■従属生物/もしくは月に魅かれた獣のあり方について■


 少女に「指示」を与えたのは、その日が終わろうとしていたときだった。

「この人物が、明日から君の『主』になる」

 すでに照明が落とされた、広い室内。
 少年が言葉少なに手渡した資料ディスクを、少女は受け取る。

「だから、今日で訓練は終わり。……いままでご苦労様」

 白い服を着た小柄な少年は、赤い服の少女よりほんのわずか背が低い。間近にいたので、少年は少女をすこし見上げるような形になる。
 十代半ばほどの少年の顔はひどく幼く、頼りなげに見える。同じニューマン――遺伝子改良によって生み出された人間の亜種――であることを考えれば、はたからすると何歳も違わない姉と弟に見えるかもしれない。
 もちろん、実際には違う。ふたりの関係は「姉と弟」ではない。
 「教え子と教師」だった。しかも見た目とは逆だ。
 少女は少年に、この数ヶ月の間師事している。
 戦闘――実戦における技術を、教わっていた。

「……どうしたの?」

 ややあった沈黙に首をかしげて、少年は少女に問いかけた。
 物憂げな色を浮かべた瞳を、つかの間心配そうに細める。少女がディスクを受け取った姿勢のまま、ぼおっとした表情で動かなかったからだった。
 少女がはっとしたように顔を上げたのは、それからさらに数秒たってからだった。

「――は、い、いえ! 何でもありません!」

 それまでの不足分を取り戻すように、大きな声を張り上げる。反射的に直立不動の体勢になったのを見て、少年はやれやれと苦笑いのようなものを浮かべ――すぐに顔をしかめた。

「やっぱり、不安? ……それとも、不服かい?」
「とんでもありませんっ! 光栄ですっ!」

 今度は即答してくる。顔には笑みさえ見て取れる。

「……そう?」「もちろんですっ!」

 やる気に満ちた、と表現してもいい、晴れやかな表情だった。

 ――でも、そぐわないけどね――。

 薄暗い室内は、つい先刻まで使用されていた。ふたりが実戦さながらに、練習していた。
 もっともふたりは、ともに素手だ。光子フレームとバリアこそ稼働させているものの、武器の類は身につけていない。
 武器は必要ない。ふたりが行っていたのは、武器を用いない戦闘技術の訓練だ。
 光子干渉操作技術。
 空間上に存在している『非結束光子』を、精神波の指向性放射による干渉で自在に操作する「技術」。『西暦期』においては未開発であったがゆえに「超能力」と呼ばれ、その大層な名前とは裏腹におよそ役に立たない代物と認識されていたもの――。
 今は一般に、『テクニック』と呼ばれるもの。
 分子振動による発火。
 疑似ペルチエ効果による温度下降。
 局所原子爆発。
 イオン誘導によるプラズマ発生。
 質量変化と物質劣化誘導。
 原子間崩壊。
 形態形成場の高速復元と破壊。
 空間転移。
 タキオン場の発生。
 ありとあらゆる現象を起こせる、その『テクニック』を専門に行使する者たちは『フォース』と呼ばれる。ふたりはその『フォース』である。
 『テクニック』による戦闘は、武器を用いてのそれとは大きく形態を異にした。
 ふたりが今日行った完熟訓練ともなると、人間同士の戦いとは思えないほど凄まじいものになる。遠近両方の距離でありとあらゆるエネルギーが飛び交うため、まともに訓練できる場所などはほとんど存在しない。
 その点この室内は広く、縦横に動き回れる。特殊重合金と耐熱カーボンの積層構造になっている壁は、強力な炎や冷気、衝撃などに対しても充分耐えうるよう設計されている。

 戦うには、適している。

 けれど近くで向き合って、会話をするにはまったく適していない。少年はそんなことを思う。
 広すぎる部屋とカーボンの壁は声を吸い取ってしまい、溌剌とした少女の声もどこか空々しく聞こえるようになってしまう。照明の落とされた暗さは少女が浮かべている笑みを、どこか昏いものに見せてしまう。
 そこまで考えをめぐらせてから、本当に? と少年は勘ぐった。本当にそれは、自分にそう見える、というだけのことだろうかと。
 そしてすぐ、「そうだ」と自答した。その通り、自分がそう勘ぐっているだけに過ぎない。
 何故なら、少女にとっては「それ」が当然であるからだ。
 少年にとってどれだけ理不尽で、どれだけ納得がいかなくとも。

 ――会ったこともない他人のために、自分の命をささげる……か。

 それは、今日まで少女が教わってきたことだった。そして今日以降、少女が遵守せねばならないことでもある。
 少女を育てたある機関が、そう教え込んだのだ。少女が物心つかないほどに幼かった頃から、繰り返し繰り返し、延々と。
 曰く。

 『定められた主に、全身全霊を以て仕えろ』。
 『主の戦いを助けるために、己がすべてを捧げろ』。
 『人であることを捨てろ。主と貴様は対等ではない』。
 『主が生きるためなら、貴様は望んでその命を差し出さねばならない』。

 少女の意識の根幹、もっとも深い部分に刷り込まれているそれらの言葉は、要は「主に忠実な奴隷となれ」ということである。

 ――前時代的、とか言うんだっけ?

 少年は考える。
 AI保護法が成立し、連盟憲章であらゆる「意志」の平等――有機物、無機物に関わらず――が叫ばれた現在、世論的な観点で見るなら「前時代的」どころの話ではない。そんな主従関係が成り立っていたのは、千年単位の過去のことだ。

 ――じゃあたぶん、違うってこと……なんだよね。

 化石というのもはばかられるような、絶対に間違っている思想を絶対の正論として植え付ける。
 普通考えられない。誰も考え付きはしないだろう。
 その組織を抱えている者こそ、ニューマンの人権擁護を唱えてニューマンだけの自治領を興した者たちのひとりなのだから。「意志の平等」という思想の、先鋒なのだから。
 そんな人間が、秘密裏に「戦闘用の奴隷」を育てているなど――誰が予想できるというのだろう!
 間違っているというよりは、明らかな矛盾である。おおやけに露見したときのことを考えれば、それを上回るメリットを見いだすことは出来ない。

 ならば、何らかの理由があるのではないだろうか?

 ――そう、理由。意味があるはず……きっと。

 なにかそうしなければならない理由がある、ということだと思う。
 奇妙な組織を作り上げ、絶対服従の戦闘補佐集団を生み出す、何らかの意味があると。

 ――きっと意味がある……あるんだろう、けど。

 思っては、いるが。

「……あの、イシャム師」

 自分の思考に遠慮がちに割り込んできた少女の声に、我に返る。にわかにあべこべになってしまった立場に焦って、少年はぎゅっ、と眉根を寄せた。
 少女はそれをどう受け取ったのか、

「本当に、……その、不満は、ありません。それだけは、本当です……」

 少年から視線を外して、うつむきながらそう言った。
 少年が自分の言葉を信じていないと思ったのか、言い訳めいた口調になっている。
 同時に少年は、耳ざとく少女の言葉の意味を読みとった。

 「『不満は』ない」。
 少女はそう言ったのだ。

「……そう。不安なんだ」

 済まなそうに、縮こまるように。
 こくりと、少女は首肯する。
 少年は当然だと思った。不安に感じないわけがない。
 もっともその不安、少女が感じている不安を少女自身が正確に把握しているかは疑わしかったが。

「こ、こんなことでは、その、いけないとは、思っていますっ……」

 ――いけなくはないよ。当然のことなんだから。

「ですが、情けなくはあるのですがっ、……その、実戦でうまくやれるのだろうか、とか」

 ――情けなくもない。君はまだ、十九歳だろう?

「その方のお役に、本当に立てるのだろうか、とか」

 ――そういう風に考えちゃうんだね、どうしても。初めて会う人への不安は、ないとでも言うの?

「いろいろ、考えてしまって、…………済みません、こんな…………」

 ――君の謝ることじゃない。謝ることですらないよ。だから。

「…………『ムジナ』らしからぬ不安を」

 ――だから、その考え方は間違ってるんだよ!

 癇癪を起こして怒鳴りそうになるのを、少年はぐっとこらえた。少女が口にしたその単語を、そのまま苦々しい沈黙で受け止める。
 少年は、その単語の意味を知っていた。形骸的な意味も、そこに隠された蔑意も。
 『ムジナ』とは、西暦期に伝承された空想上の生き物の名前である。当時の呼び方で顕すなら、「妖怪」という分類がされる。
 あやしげな術を使って、人間を惑わす獣――それが『ムジナ』である。少女が属する組織は、自分たちが育てた人間を『ムジナ』と呼んでいる。
 戦闘補佐集団、『ムジナ衆』――古いその呼び名に隠された意図を、少女たち『ムジナ』は知らない。
 「術(テクニック)を使う、畜生」。
 そういう意図を込めて呼ばれるのを、偶然にも少年は聞いてしまった。
 少女たち『ムジナ』は、組織の人間から「人間」として扱われていないのだ。
 そしておそらく『ムジナ』たち本人も、その事実を自覚のないまま受け入れてしまっている――。

「……今から気に病むことじゃないと思う。それに君は、なかなか優秀だったしね?
 実戦でもうまく立ち回れると思うし、精神制御訓練をやっているなら冷静に行動もできる。君の光子干渉のスピードが今ひとつ遅い点にしても、前線に立つ人間がいればそれほど問題じゃない。その分は威力と、冷静な対処で十二分にカバーできる……」

 少年が淡々と口にしたのは、結局そんな言葉でしかなかった。
 技術論にしか触れない。新しい「主人」のことにも、無論『ムジナ』の真意にも。
 触れられない。触れても無駄なのだ。
 自分は少女にとってあくまでテクニックの教師のひとりでしかない。長い年月をかけて少女の根幹部分に植え付けられた思想まで、覆すことはできない。
 何度か話しかけるうち、悟ってしまったのはそんな事実だった。

「……だから君が心配していることは、ほとんどが杞憂だよ。わかった?」
「は、はいっ。そうですよね」

 神妙な表情でそれを聞いていた少女は、ぱっと居住まいを正して返事をする。

「ありがとうございますっ。もう大丈夫ですからっ」

 笑顔が明るい。弾むように勢い込んで話す口癖もいつものものだ。
 ただ本当に、それで根本的な不安も取り除かれたのだろうか。
 自分の言葉は単なるすり替えであり、ならばそれは誤魔化しにしか過ぎないのではないだろうか?
 少女の心の奥底にある不安は、そんなものではないのではないだろうか?
 そもそも不安だけしかないのか、どうか。それすらもわからない。
 当然だとは少年も思った。しかしそれがもどかしく、歯がゆかった。

「……じゃあ、今日はもう休んでいいから」
「あ、……」

 会話を切り上げようとした――正直なところ、これ以上少女の前で負の感情をため込みたくはなかったからなのだが――少年に、少女は一瞬とまどったような表情を見せた。
 何かを言いたそうに口を開いて、つぐむ。それを二回ほど繰り返す。
 三回目になる前に、それをじっと見ていた少年の方が根負けした。

「…………なに?」
「えっ!? あ、あ、いえその、……その、やっぱり結構で」
「言いたいことやしてほしいことがあるのなら、遠慮しない」

 言いよどんでいる少女の台詞をさえぎるように、ぴしゃりと告げる。
 むしろそれが功を奏したのか、少女は決心したかのように頷き、

「こ、このディスクを、ここで再生してもらっても、よろしいでしょうかっ」

 賞状でも賜る時のように、両手で少年にディスクを差し出してきた。
 「……は?」と拍子抜けして呟いた後、少年はその理由にふと思い当たる。
 少女は、私物といえるものをなにひとつとして持っていない。
 衣食住、武器や金銭にいたるまで、すべて組織から支給された品のはずである。当然情報ディスクを閲覧するために必要な個人端末や、『ビィ』を搭載した簡易コミュニケーターなども持っているはずがない。必要と判断された時に、組織から貸与されるというだけなのだ。
 自分の主人となる人間を早く見てみたいのか、他の人間には見られたくないのか。ひょっとしたら両方かもしれない。

「別にかまわないけど。……いいの? 僕も見て」
「あっ、いえ、イシャム師ならかまいません……それに、師はもうお会いになっていらっしゃると」
「そう言えば……そうだね」

 少年は自分の携帯端末を取りだす。
 十センチ四方のカード型、テラバイトクラスのありふれた端末である。少女から受け取った情報ディスクをスロットに押し込み、手慣れた動作で仮想コンソールを開く。情報再生/画像限定。全データを画像にインポーズ。
 じっと少女が見守る中、仮想コンソールの隣に五分の一の立体画像でひとりの人物が投影された。
 黒い戦闘服、黒く長い髪、黒く穏やかな瞳。
 幾状もの凄まじい傷を、戦闘服からのぞくすべての部分に走らせた、長身のモンゴロイドの男。
 少年がすこし前に、偶然命を救うかたちで出会った――。

「…………………」
「……この人だね。名前は……『SouGetsu』。
 エイジアン・モンゴロイドだから、多分第三公用語で『双月』――」
「…………そう、げつ…………」
「第一公用語だと、『ダブルムーン』……になるのかな……」
「『ふたつの』、『月』……ですか?」
「ん」
「……ふたつの……つき」

 少女が呆けたように呟くのを聞きながら、立体投影の横に羅列されていくデータを見た少年は、内心驚いていた。
 男が少年に救われた、その後のことが記されている。その内容にだ。
 危険度Cランクの森林地帯掃討作戦に八回、地下洞窟内の広域偵察作戦に二回、殲滅作戦に五回。

 ――半月足らず、病み上がりの身体でこれを全部こなして、しかもほとんど無傷で帰ってきた、だって……?

 いずれも原住生物との大規模交戦を含む、戦闘任務ばかりである。
 男はほぼ毎日のようにそれらに参加し、生き残り、あろうことかギルド基準で高評価を受けている任務すらあった。
 考えられないような数字だった。恐ろしいほどの幸運というのでなければ、悪魔か狂気の沙汰だ。
 投影された男の姿を、少年も見つめる。
 画像の中の男は直立したまま、じっと正面を見据えていた。
 見た目の壮絶な容貌とは裏腹に、穏やかな瞳。
 どこか深い水底を思わせる、その瞳を見ているうちに、ふと疑問に感じて。

 ――何が、映ってるんだろう……?

 少年は、そんなことを思って。

「……何処を、見てるんでしょうか」

 そんな少女の言葉が――聞こえた。

「え?」
「いえ、何処を……見ているのだろうな、と」
「前……じゃないのかな」

 咄嗟にしても間の抜けた答えだと、自分でも思った。
 しかし、少女はきっぱりと首を横に振った。

「違うと思います」
「違うの?」
「はい」
「じゃあ君は、何処を見ていると思う?」

 少女はさらりと、「わかりません」と答えた。
 それから少年の方に向き直り、

「でも、たぶん。『目の前』じゃないです」

 そんなことを言う。
 暗喩なのだろうとは思ったが、それが意味するところは少年にはわからなかった。
 ただ再び画像の男に目をやった少女を見て、ひとつわかったことがある。

「何処を見ているのかは、わかりませんけど……」

 少女の目から、表情から、仕草から。
 そして何より、言葉から。

「その場所に、この方が見つめている場所に」

 どこか怯えにも似た、不安な色が消えていた。

「私も一緒に、行ってみたいです」

 しっかりと一語一句、区切るように。
 まるでそれは、宣言のよう。
 頼もしく、誇らしく、揺るぎのない。

「…………そう」
「…………はい」

 つい先刻、少年は感じた。
 広く寒々しい室内は、向き合い静かに話すには不向きだと。
 それが、今はどうだろう。何故そう思えるのだろう。
 こんなにも、自然に感じるなんて。
 広い部屋の冷えた空気が、厚いカーボンの壁が閉じこめる静寂が、静かで穏やかな少女の声を包んでいく。予備灯のほのかな光が、少女が浮かべている笑みを際だたせる。

 本当に?

 本当に。
 少年は理解する。おそらくは、いやきっと、これが。
 少女の、『ムジナ』としてではない、意志の萌芽だと。

「……行けるさ。君は。優秀なんだから」

 だから少年は、それだけを言ってやった。
 組織から叩き込まれた優れた技術と体力、少年が教えたその使い方。
 そしてその男がもたらしてくれる、何か。
 それがあれば、きっとどんな場所にでも行ける――そう思った。
 そうしてそこで様々なことを知り、様々な人と出会い、様々なものを得て。

 この子は行けるようになるだろう、と思った。



「――はいっ!」



 どんな場所にでも、どんな未来でも。


 了




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