国連

1. なぜ国連中心主義なのか 03.4

2. the United Nations 05.6



1. なぜ国連中心主義なのか 03.4


 20世紀初頭、二つの悲惨な世界大戦を経験した人類は、二度とそのようなことが起こらないように国際連合を創設し、戦勝国である常任理事国五カ国を中心に、みんなでルールを作って、何か問題があればみんなで話し合って解決しようと決めた。そして、国連憲章など数多くの国際的ルールが作られた。

 冷戦時代の国際システムにおいて中心的組織は西側のNATOと日米同盟、東側のワルシャワ条約機構であった。しかし、冷戦の終焉を経て、91年の湾岸戦争に際し国連が全会一致で多国籍軍を支持したのを機に、国際システムの中心的組織が国連に移った。

 それから10年、01.9.11を境に唯一の超大国である米国の新保守主義(neoconservatism)と称される政府高官を中心に、国際システムの中心的組織を米国中心に構築しようとしている。

 このような流れの中で、残念なことに日本の一部マスコミ(産経・読売)が、日本が国連を中心とする外交に原則を置くことを、“国連神話”だと揶揄している。しかし、この米国の行動は歴史の流れの中で、時代に逆行する行為にならないだろうか?再び力が支配する時代にならないだろうか?そこで、現今の国連の問題点をあげてみる。

 まず第一に国連憲章第53条及び第107条の「敵国条項」の削減だ。日本は1956年12月、80番目の国連加盟国となったが、その格付けは独・伊など旧枢軸国六カ国と共に「国連の敵」であり、安保理の決議無しでも軍事制裁を科してもよい「敵性国家」で、現代もその地位は変わらない。

 第二に、日本は米国の22%に次いで19%(年間312億円)という高額の国連分担金を支払っている。核と拒否権をもつ常任理事国は、英5.5%、仏6.4%、中1.5%、露1.2%だ。しかも、米国は露と共に何年も滞納しているため、実質日本が一番払っていることになる。それなのに、分担金比率を反映した国連改革は一向に進まない。

 第三に、国連安全保障理事会も含めて、国連での議論は加盟国の利害と思惑がせめぎあって玉虫色の合意の繰り返しで、能動的組織としての機能が果たせていない。

 他にも国連には問題点があると思う。しかし、問題点があるから拒絶ではなく、問題点があるからこそ関与して、その問題点を解決し、国連発足時の本来の“理想形”に近づける努力をすべきだ。

 川口順子外相が先の訪欧時、イラク攻撃終結後の国連のあり方について、「日本は戦後復興に主体的に関与し、常任理事国で一致できるところから決議案作りを促したい」とドビルパン仏外相に語った。これに対しドピルパン外相は、「関与とか一致とか言葉の問題ではなく、国連が何をするかが重要だ」と言い切った。

 日本が“関与”や“一致”という言葉を頻繁に使うのは、復興支援で「顔の見える貢献をしたい」という日本主体の考えのレベルだからだ。一方仏は“国連主体”という理念を持っているから、先のドビルパン外相のような発言につながる。もちろん自国の国益もあるが、この“国連主体”という理念が大事なのだ。

 この問題は短期的な視点・国益ではなく、長期的な視点・国益をしっかり考えてもらいたい。



2. the United Nations 05.6


 1941年、日本の真珠湾奇襲攻撃を受けて間もない米国のルーズベルト大統領は、 ホワイトハウスを訪れて入浴中だったイギリスのチャーチル首相に、枢軸国(the Axis powers 1936年ムッソリーニがローマとベルリンを結ぶ垂直線を枢軸として国際関係は転回すると演説したことに由来)に対する軍事同盟の呼称を連合国(the United Nations)ではどうかと相談した。同首相はイギリス詩人のバイロンがうたった「ユナイテッドネーションズが剣を抜けば」という一節を引用して賛意を表したといわれている。そして1942年1月1日、この呼称は大西洋憲章(1941年8月、ルーズベルトとチャーチルが大西洋上で会談して発表した共同宣言。第二次大戦と戦後の世界秩序についての構想を示したもので、領土の不拡大、政体選択の自由、各国間の経済協力、恐怖および欠乏からの解放、公海の自由、武力行使の放棄などを内容とし、のちの国連憲章の基本理念となった。)に盛られた。

 国連(the United Nations)の創設は1944年8月21日から10月7日にかけて、米国の首都ワシントン旧市街のジョージタウンの小高い一角にあるダンバートンオークス邸の会議から始まった(ダンバートンオークス会議)。当初はヨーロッパ戦線の連合国(the United Nations)側中心である米国、英国、ソ連の三国代表が顔を合わせ、後半は対日戦線の連合国側中心である米国、英国、中国の三国代表が会談した。この時期、ソ連軍は東部戦線全面でドイツ軍を破り、米英軍もノルマンディーに上陸してフランスを奪回し、太平洋の米軍はマリアナ沖開戦で日本海軍空母の大半を撃滅して、連合国側各国は勝利をほぼ手中に収めていた。

 ダンバートンオークス会議では国際連盟(the League of Nations)に代わる戦後の国際機関の呼称をどうするか議論された。米国は「国際連合」を、ソ連は「世界連合」を、イギリスは「世界評議会」を提唱した。議論の結果、米国の「国際連合」が承認された。その理由は、戦時中の同盟の次元を高めて、機能だけを別物にする発想だが、平時の新国際機関を基本的に軍事同盟の延長とする姿勢があったからだ。

 1945年6月、国連の創設を正式に決めたサンフランシスコ会議では国連憲章が五十ヶ国代表により署名された。憲章では新機関の名称は「the United Nations」と明確に記述された。その後サンフランシスコ講和条約を受諾した日本だが、外務省条約局が中心となった「the United Nations」の日本語訳は「国連」とされた。正確には「連合国」あるいは「連合国機構」と訳すべきだ。外務省の内部からも「わざわざ実態にそぐわない国際連合という訳語をつくり」(元外務省国連局社会課長の色摩力夫著「国際連合という神話」)という指摘がある。 ちなみに中国語では国連は原名に忠実に「聯合国」と訳され、中国でも台湾でも公式呼称となっている。

 ではなぜそのような訳語がつくられたのか。色摩氏は解説する。「戦後のわが国の社会に有り得べき違和感を懸念して、俗耳に入りやすい政治的表現を狙ったらしい。だがこれは賢明な判断ではなかった。国連という呼称がわれわれ日本人の途方もない国連神話を生み出す要因の一つとなったからだ」。つまり、国連という曲訳からは、この国際組織が実は第二次大戦の勝者が戦後の世界秩序を保つために軍事同盟の延長としての共同統治を図るという戦略の産物だったという現実がうやむやにされてしまうということだ。色摩氏の懸念通り、現在の日本人に「the United Nations」のことを、「第二次大戦後の国際社会が新世界の平和維持のために創設した新国際機関」と認識している人が非常に多い。