17世紀
   
日本 アジア ヨーロッパ アメリカ
 1602     オランダが東インド会社設立  
 1603 徳川家康が征夷大将軍→江戸時代   英でシ゛ェームスス゛1世がスチュアート朝創始  
 1604 諸街道に一里塚をおく      
 1607       英がバージニア州植民  
 1608       仏がケベックを建設  
 1609 オランダ゛と貿易をはじめる      
 1612 家康がキリスト教禁止命     オランタ゛がニューアムステルタ゛ム建設
 1613     ロシアにロマノフ朝誕生  
 1614 大阪冬の陣      
 1615 大阪夏の陣
武家・禁中並公家諸法度を制定
  セルハ゛ンテスの「ト゛ン=キホーテ」完成  
 1616 家康が死去
ヨーロッハ゜船の来航地を平戸と長崎に
ヌルハチが後金建国    
 1617   明で小説「金瓶梅詞話」出版    
 1618     三十年戦争  
 1619   サルホの戦い
オランタ゛がシ゛ャワにハ゛タヒ゛ア市建設
   
 1620       英のメイフラワー号がフ゜リマス到着
 1622  元和の大殉教      
 1623 徳川家光が3代将軍となる   アンボイナ事件    
 1624  スペイン人の来航を禁止する
藩の専売制がはじまる
  仏でリシュリュー宰相就任  
 1628    インドでシャー=ジャハン即位 英で権利の請願  
 1629 長崎で踏絵がはじまる   ボヘミアのフスが火刑  
 1632   ターシ゛=マハル廟建設始まる(〜53)    
 1633 奉書船以外の海外渡航禁止
在外邦人の帰国禁止
     
 1635 参勤交代制はじまる      
 1636   後金が国号を清(〜1912)と改称    
 1637 島原の乱 李朝が清に臣下の礼を行う 仏でデカルトの「方法序説」完成  
 1639 ホ゜ルトカ゛ルの来航禁止→鎖国令      
 1640     短期・長期議会召集(〜60)  
 1641 オランタ゛商館を平戸から出島に移す      
 1642     英で清教徒革命(〜1649)  
 1643 田畑永代売買を禁止する      
 1644   李自成の乱→明滅亡→清の中国支配    
 1645   清で弁髪・胡服を強制 英でネーズビーの戦い  
 1646   明の遺臣、鄭成功が挙兵
朝鮮で林慶業の乱
   
 1648     ウェストファリア条約→三十年戦争終結
仏でフロンドの乱
 
 1649 慶安の御触書が出される   英のチャールス゛1世処刑→共和制宣言  
 1651 家光が死去、家綱が4代将軍となる
慶安事件
  英で航海条例(〜1849)  
 1652     蘭英戦争(〜1674、3回)
オランダがケープ植民地を建設
 
 1653   朝鮮で時憲暦が施行 クロムゥエル独裁(〜1658)  
 1657 江戸に大火(明暦の大火)      
 1658   ムカ゛ール帝国でアウランゼブ帝即位    
 1660     英のチャールス゛2世が王政復古を宣言  
 1661   清で聖祖康熙帝即位(〜1722) 仏のルイ14世親政→コルヘ゛ール登用  
 1663  定飛脚を定める
殉死を禁ずる
     
 1670     露でステンカ=ラーシ゛ンの乱(〜71)  
 1673 分地制限令を出す
三井の越後屋呉服店ができる
清で三藩の乱(〜1681)    
 1679     英で人身保護律  
 1680 家綱が死去、綱吉が5代将軍となる      
 1682     露でピーター1世即位(〜1725)  
 1683 三井高利が江戸で両替屋を開業 台湾の鄭氏帰属    
 1685 最初の生類憐れみの令を出す   仏でナントの勅令廃止  
 1687   モハッチの戦い
英でニュートンの「フ゜リンキヒ゜ア」刊行
   
 1688     英で名誉革命  
 1689 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出る 露清がネルチンスク条約 英で権利の章典
英仏植民地戦争開始
 
 1690     ロックの「人間悟性論」「政治二論」  
 1691 住友家が別子銅山をひらく      
 1700     北方戦争(〜21)  

 スペインの無敵艦隊を破ったイギリスは、1600年に東インド会社を設立して、海外進出の糸口を開きました。しかしエリザベス一世の死後、ジェントリーとよばれる地主や、ヨーマンとよばれる豊かな農民などが力を持つようになり、これらの人々を中心として、清教徒(ピューリタン)革命が起こりました。つづいて名誉革命が起こりイギリスの絶対王政は倒され、議会を中心として政治を行なう市民社会が生まれ、発展していきました。

 フランスではルイ13世の政治を助けたリシュリューや、ルイ14世の政治を助けたマザランの努力によって、王の権力は強まりました。しかしマザランが死に、ルイ14世が自ら政治を行なうようになると、王はさらに力を強め、国の富を増やす政治を行い、豪華な宮廷生活にあけくれました。一方ルイ14世はしばしば侵略戦争を行い、イギリスやオランダやオーストリアなどと争いました。しかしこうした贅沢な生活や、繰り返し行なわれる戦争などによって、フランスの財政は苦しくなり、市民や農民は重い税に苦しみました。

 カトリックと新教の対立から、デンマーク、スウェーデン、フランスなどが加わり、国際戦争となった三十年戦争によって、ドイツはばらばらになりました。

 ロシアでは17世紀のはじめ、ロマノフ朝が興りました。ロマノフ朝はピョートル1世のとき、進んだヨーロッパの文化や技術をたくさん取り入れました。それまでのロシアは、ヨーロッパとの接触が少なく、文化の面では、南の東ローマ帝国やアジアの影響が強かったのです。しかしこの頃から、ヨーロッパの制度や文化が取り入れられ、国力が充実しました。ロシアの拡大政策は、遂にスウェーデンと戦争(北方戦争)になりました。

 明では、17世紀に入ると、後金国(のちの清朝)の王、ヌルハチが内モンゴルと中国東北部を統一しました。驚いた明は後金討伐軍を集めようとしましたが、かえって全国に農民の反乱が起こってしまいました。1635年には反乱軍は江南に集まり、1644年には李自成(リ・シ゛セイ)を中心とする反乱軍が北京にせまりました。明軍は反乱軍に参加し、だれも反乱軍と戦いませんでした。最後の皇帝毅宗(キソウ)・崇偵帝(スウテイテイ)は宦官ひとりを連れて宮殿を出て、景山(ケイサ゛ン)で自殺し、とうとう明は16人の皇帝、276年間で滅亡しました。明の内乱を知って清軍は山海関(サンカイカン)におしよせました。山海関を守っていた明の軍人呉三桂(コ゛サンケイ)は、清軍の援助を得て、進軍してきた李自成の軍を破りました。しかし、清軍は、そのまま北京を占領し、ここを清の都としました。こうして新しい征服王朝が誕生しました。

 日本では、豊臣秀吉の死後、関が原の戦いで勝利を収めた徳川家康が実権を握りました。家康は徳川家の安泰を第一義とした世襲制を敷き、三代目の家光は海外への渡航禁止・海外在住邦人の帰国禁止を命じ、1639年には鎖国を命じました。ヨーロッパ諸国が「内から外」の時代=大航海時代に突入している真っ最中に、日本は「内」に完全に閉じこもってしまいました。


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