18世紀
 
日本 アジア ヨーロッパ アメリカ
 1701 赤穂藩主の乱   スペイン継承戦争(〜14)
フレテ゛リック1世がプロシア王国成立
 
 1702 赤穂浪士の討入り      
 1707     大ブリテン王国成立  
 1709 綱吉が死去、家宣が6代将軍となる
生類憐れみの令を停止
  英でタ゛ーヒ゛ー(子)がコークス製鉄法発見  
 1710     仏でベルサイユ宮殿が完成  
 1712 家宣が死去       
 1713 4歳の家継が7代将軍となる   ユトレヒト条約  
 1714 絵島・生島事件   英でシ゛ョーシ゛1世即位→ハノーハ゛ー朝  
 1716 家継が死去、吉宗が8代将軍となる      
 1717 大岡忠相が江戸町奉行になる      
 1721 目安箱がおかれる   英の初代首相ウォルホ゜ール内閣(〜42)
ニスタット条約
 
 1722 上米(あげまい)の制を定める 清で世宗雍正帝即位(〜35)    
 1727   キャフタ条約    
 1728   清の景徳鎮の窯業が最盛    
 1732 享保の飢饉     シ゛ョーシ゛ア州→13州植民地
 1733     英でシ゛ョン=ケイが飛び梭(ひ)発明 糖蜜条例
 1735   清で高宗乾隆帝即位(〜95)    
 1740     オーストリア継承戦争(〜48)  
 1742 公事方御定書      
 1744     ジョージ王戦争(〜48)  
 1745 吉宗が隠居し、家重が9代将軍      
 1748     仏でモンテスキューの「法の精神」完成  
 1750 農民の一揆・逃散(ちょうさん)禁止      
 1752   ヒ゛ルマでアラウンハ゜ヤ朝誕生(〜1885)    
 1756     七年戦争(〜63) フレンチ・インテ゛ィアン戦争(〜63)
 1757   プラッシーの戦い
外国貿易を広州の港に制限
   
 1758     仏でケネーの「経済表」完成  
 1760 徳川家治が10代将軍となる      
 1762     エカテリナ2世即位(〜96)
仏でルソーの「社会契約論」完成
 
 1763     パリ条約
フベルツスブルク条約
 
 1764 関東で百姓一揆がおこる   英でハーク゛リーフ゛ス゛が多軸紡績機発明 砂糖条例
 1765     英でワットが蒸気機関改良 印紙条例(〜66)
 1768 大阪で打ちこわしがおこる   英でアークライトが水力紡績機発明   
 1772 田沼意次が老中になる(〜86)
会津藩の藩政改革がはじまる
  第1回ポーランド分割  
 1773   越で西山(タイソン)党の乱(〜1802) 露でプガチョフの乱 ボストン茶会事件
 1774   ヘースチンク゛スが初代ベンガル総督 独でケ゛ーテの「若きウェルテルの悩み」 フィラテ゛ルフィアで第1回大陸会議
 1775 「三国志演義」なる 教皇境界線の決定   アメリカ独立戦争(〜83)
第2回大陸会議
 1776     英でアタ゛ム=スミスの「国富論」完成 アメリカ独立宣言
 1777       サラトガの戦い
 1778       独立戦争に仏が参戦
 1779     英でクロンフ゜トンがミュール紡績機発明  
 1780       武装中立同盟結成
 1781       ヨークタウンの戦い
 1782 シャムでバンコク朝がはじまる      
 1783       パリ条約
 1785     英でカートライトが力織機発明  
 1787       アメリカ合衆国憲法制定
 1789     フランス革命 ワシントンが初代大統領に就任 
 1791     仏で立法議会(〜92)  
 1792 露使ラクスマンが根室に来航   仏で国民公会(〜95)
王政廃止→第一共和制(〜1804)
 
 1793   英使マカートニーが北京訪問 仏でルイ16世処刑→恐怖政治(〜94)
第1回対フランス大同盟結成(〜97)
第2回ポーランド分割
ホイットニーが綿繰り機発明
 1794     仏でテルミドール9日の反動  
 1795     仏で総裁政府成立(〜99)
第3回ポーランド分割
 
 1796   清で白蓮教徒の乱(〜1805)
カジャール朝ペルシア誕生
ナホ゜レオンが第1回イタリア遠征(〜97)  
 1798   ナホ゜レオンがエシ゛フ゜ト遠征(〜99) アブキール湾の戦い  
 1799     仏でフ゛リュメール(霧月)18日のクーテ゛ター
仏で執政政府成立(〜1804)
第2回対フランス大同盟結成(〜1802)
 

 18世紀の後半にイギリスで始まった産業革命とは、紡績機や蒸気機関車など、さまざまな産業機械の発明によって、工業がそれまでの手工業から、大規模な工場生産へと変化したことと、その変化によって、社会そのものまでがかわっていったことをいいます。工場での機械による大量生産が始まったことによって、それまでの農業中心の経済から、工業中心の経済に社会が変化していったのです。

 ジェニー紡績機を発明したハーグリーブスは織物職人で、水力紡績機を発明したアークライトは商人、蒸気機関車を改良したジェームズ・ワットは科学器具の製造業者、蒸気機関車を発明したジョージ・スチーブンソンは炭鉱の蒸気機関技師、蒸気船を発明したフルトンは時計職人です。これらの人々は、大学を卒業していたり、特別な学問を身につけていたわけではありません。しかし、職業を通して得た知識と経験を基にして、それらを発展させていきました。

 産業革命によって人々は、鉄道や蒸気船を生みだし、様々な機械を使うようになり、生活はどんどん便利で豊かになっていきました。しかし、けっして明るいことばかりがおこったわけではありません。労働者は、低い賃金で、長時間働かせられるようになり、公害など都市問題も現れました。こうして、現代の社会が抱えている様々な問題の多くは、この時代に生まれたのです。

 イギリスで産業革命が始まったころ、フランスでは革命が興りました。革命が起こる前のフランス社会をアンシャン・レジーム(旧体制)といいます。そしてアンシャン・レジームの主役は、ブルボン朝国王と、全人口の2%にすぎない特権階級です。これらの人々は、第一身分(僧侶)と第二身分(貴族)で、国土の40%を所有するとともに、国からは年金が与えられ、しかも税を払わなくてもいいなど、様々な特権を持っていました。これに対して、国民の98%を占める第三身分(平民)は、何の権利も無く、重い税に苦しんでいました。ブルボン朝は、あいつぐ戦争と、ぜいたくな宮廷生活のために、財政難に陥っていました。そこで1789年、国の財政を再建しようとして、第一身分と第二身分に対して、新たに税をかけるために三部会を開きました。革命は、この三部会をきっかけとして始まりました。

 三部会が開かれると第三身分は、自分たちこそ国家の真の主役であると主張しました。そして彼らは三部会を離れ、国民議会を結成しました。その国民議会に、国王が弾圧を加えたためにパリ市民が立ち上がり、1789年7月14日、バスチーユ牢獄が襲撃され、フランス革命が始まりました。こののち革命が進む課程で、フランスは立憲王政から共和制に変わり(市民や農民が支持するジャコバン派と大商人が支持するジロンド派)、1793年には、ジャコバン派の主張通り、国王ルイ16世が処刑されました。そしてジャコバン派の独裁政治と、革命に反対するヨーロッパ諸国との戦争(第1回対フランス大同盟)を通して、革命は頂点に達しました。しかし、革命によって、貴族など特権階級から土地を奪い取った農民は、土地を確保するために、これ以上社会が混乱することを望まず、都市の資本家とともに、社会の安定を求めるようになりました。この要求に答えたのがナポレオンでした。

 ナポレオンは1786年にパリの士官学校を卒業し、陸軍砲兵少尉になりました。フランス革命を支持(ジャコバン派)したナポレオンは、砲兵連隊長に昇進し、対フランス大同盟によりフランス南部のツーロン港を占領していたイギリス軍を撃退させました。この作戦の成功によってナポレオンは少将に昇進します。しかし1794年、ジャコバン派の独裁に異を唱えた反革命派はクーデターを起こし(テルミドールの反動)、新しい憲法と二院制の議会と5人の総裁からなる総裁政府をつくりました。ジャコバン派を支持していたナポレオンは軍人を辞めさせられ、逮捕されました。しかしナポレオンは多くの人の支持を受け、15日間で釈放されました。1796年、軍人に復帰したナポレオンはイタリアを占領しているオーストリア軍攻撃を命じられ、イタリア遠征軍司令官になりました。ナポレオンはオーストリア軍を撃破し、イタリアを占領し、イタリアから奪った金でフランスの財政は持ち直ました。1789年、ナポレオンは東地中海を支配しているイギリス軍と戦うため、エジプトに兵を進めました。

 この間フランス国内では、たびたびクーデターによって政府が入れ代わっていましたが、第2回対フランス大同盟などにより、市民は強い指導者を求めていました。そこで1799年11月、エジプトから戻ったナポレオンは武力によって議会を解散させました(ブリューメル18日のクーデター)。同年12月、ナポレオンは総裁政府に変わる統領政府を作り、自ら第一統領になり、ナポレオン時代が到来しました。

 アメリカが世界史の表舞台に登場するのは、1492年にコロンブスが探検してからです。アメリカという名前は、コロンブスののちに探検した、アメリゴ・ベスプッチの名前に由来しています。アメリカ大陸には、まずスペイン人が植民地を始めました。そののちオランダ人やフランス、イギリスの人々が植民しました。イギリス人によるアメリカへの植民が本格化したのは、1607年バージニアへの植民と、1620年メイフラワー号の人々による、マサチューセッツへの植民以後のことです。17世紀後半から18世紀中頃にかけて、イギリスとフランスは、北アメリカ大陸をめぐって争い、最終的にイギリスの勝利が確定しました。その後イギリスは、植民地への支配を強め、植民地の人々の日常生活にまで影響を与えるような税を作り、圧迫するようになりました。植民地の人々はこれに反対し、1775年に独立戦争が起こります。そしてついに植民地の人々は、1776年7月4日独立を宣言しました。現在のアメリカ合衆国国旗に表された、赤と白の13本の線は、この独立を宣言したときの13州を意味しています。独立を達成したのちのアメリカの人々は、西部へ西部へと開拓を続けました。

 清では名君康熙帝(コウキテイ)の死後(1722年)、雍正帝(ヨウセイテイ)、乾隆帝(ケンリュウテイ)が後を継ぎました。康熙帝・雍正帝・乾隆帝の三代134年間は、清の黄金時代でした。乾隆帝はジュンガル、オイラートを征服して天山北路(テンサ゛ンホクロ)を支配し、ついで天山南路も征服して新疆省(シンキョウショウ)としました。その南方の青海(セイカイ)、チベットは既に雍正帝の時代から清に支配されていたので、中国史上最も大きな領土ができあがりました。乾隆帝は、安南(アンナン)、シャム、ビルマ、ネパールなどにも出兵して降伏させました。乾隆帝は自ら、「十全記(シ゛ュウセ゛ンキ)」という書物を作り、生涯10度の外征がみな成功したと自慢しています。1796年、乾隆帝の後をついで、嘉慶帝(カケイテイ)が位につきますが、白蓮教徒の乱が起こり、これを境に清の勢力はしだいに衰えていきます。

 日本では、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士や、「暴れん坊将軍」で有名な八代将軍吉宗が活躍し、日本独特の江戸文化が開花します。しかし、内で争い、外に積極的に進出し、さらに産業革命を起こして、勢力が拡大していくヨーロッパ諸国と日本の国力は開く一方だったのです。


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