19世紀
 
日本 アジア・アフリカ ヨーロッパ アメリカ
 1801     英、アイルラント゛合併 シ゛ェファソン、第3代大統領就任 
 1802   阮福映、阮朝(ケ゛ンチョウ)ヘ゛トナム統一 英仏、アミアンの和約  
 1803       フランスよりルイシ゛アナ買収
 1804 露のレサ゛ノフ、長崎に来航   独、哲学者カント死去
ナホ゜レオン法典成立
ナホ゜レオン一世即位(第一帝政、〜14)
ハイチがフランスから独立
 1805     独、詩人・劇作家シラー死去
第3回対フランス大同盟
英-仏、トラファルカ゛ーの海戦
仏-露墺、アウステルリッツの戦い
 
 1806      ライン連邦成立→神聖ローマ帝国滅亡
大陸封鎖令(ヘ゛ルリン勅令)
 
 1807     ティルシ゛ットの和約
フ゜ロシア改革(〜10)
フルトンが蒸気船を発明
 1808 間宮林蔵、樺太探検(〜09)
フェートン号事件
  スヘ゜イン、ナホ゜レオンに反乱  
 1811 コ゛ロウニン事件 エシ゛フ゜トがオスマン=トルコから自立 イキ゛リス、機械打ち壊し運動  
 1812     ナホ゜レオン、ロシア遠征 米英戦争(第2次独立戦争、〜14)
 1813     普墺-仏、諸国民の解放戦争(〜14)
東イント゛会社特許条例更新
 
 1814   英のラッフルス゛、シ゛ャワ島でホ゛ロフ゛ト゛゛ゥール遺跡を発見 ナホ゜レオン、エルハ゛島配流→ルイ18世即位
ウィーン会議(〜15)
英、スチーフ゛ンソンが汽車を発明
 
 1815   清、アヘンの輸入を禁止する 仏-英普墺、ワーテルローの戦い→ナホ゜レオン、セントヘレナ配流
墺仏等、ウィーン議定書
露普等、神聖同盟
英墺普露、四国同盟
 
 1816   英のアマースト、清を訪問   アルセ゛ンチンが独立宣言
 1817     独、フ゛ルシェンシャフトの運動  
 1818     英墺普露仏、五国同盟(〜22)  
 1819   英のラッフルス゛、シンカ゛ホ゜ール買収 独、カールスハ゛ートの決議
英、ヒ゜ータールー虐殺事件
スヘ゜インよりフロリタ゛買収
コロンヒ゛アがスヘ゜インから独立
 1820   清、嘉慶帝(カケイテイ)退位し宣宗道光(ト゛ウコウ)帝即位 ミロのヒ゛ーナスが発見される
伊、カルホ゛ナリ党の乱(〜21)
ミス゛ーリ協定
 1821     土-露英仏、キ゛リシア独立戦争(〜29)
仏のナホ゜レオン、セント・ヘレナ島で死去
ヘ゜ルーがスヘ゜インから独立宣言
 1822     仏のシャンホ゜リオン、ロセ゛ッタ・ストーンを解読 フ゛ラシ゛ルがホ゜ルトカ゛ルから独立
 1823       モンロー宣言
 1824   イキ゛リス-ヒ゛ルマ戦争(〜86、3回) 独、ヘ゛ートーヘ゛ン「交響曲第9番」作曲  
 1825 異国船打払令   英、世界最初の鉄道開通
露、ニコライ1世即位(〜55)
露、テ゛カフ゛リスト(12月党員)の乱
仏、空想的社会主義者サン=シモン死去
 
 1827     英仏露-土エシ゛フ゜ト、ナハ゛リノの海戦  
 1828 シーホ゛ルト事件 露イラン、トルコマンチャーイ条約 英、審査律(テストアクト)廃止  
 1829     露土、アト゛リアノーフ゜ルの和約
英、カトリック教徒解放法
シ゛ャクソン大統領就任(〜37)
 1830   仏、アルシ゛ェリア征服
オランタ゛、シ゛ャワに強制栽培開始(〜70)
仏、七月革命
ホ゜ーラント゛、ショハ゜ン「革命」作曲
 
 1831   エシ゛フ゜ト-土、第1次エシ゛フ゜ト事件(〜33) ヘ゛ルキ゛ーがオランタ゛から独立
青年イタリア党活動開始
 
 1832 天保の飢饉   英、ク゛レー内閣が第1回選挙法改正  
 1833   英、東イント゛会社の貿易独占権廃止 英、一般工場法
露土、ウンキャルースケレッシ密約
英のファラテ゛ー、電気分解の法則発見
 
 1834     ト゛イツ関税同盟成立  
 1837 徳川家慶が12代将軍となる
大塩平八郎の乱→生田万の乱
モリソン号事件
  英、ヒ゛クトリア女王即位(〜1901) モールスが有線電信機を発明
 1838     英、チャーチスト運動(〜48)  
 1839 蛮社の獄 第2次エシ゛フ゜ト事件(〜40)
清、林則徐のアヘン取り締まり
   
 1840   英-清、アヘン戦争(〜42)    
 1841 天保の改革 平英団事件     
 1842   英清、南京条約 仏、文学者スタンタ゛ール死去  
 1843   虎門寨(コモンサイ)追加条約 リヒ゛ンク゛ストン、アフリカ探検開始  
 1844 オランタ゛国王が開国を勧告 米清、望厦(ホ゛ウカ)条約
仏清、黄埔(コウホ)条約
   
 1845       テキサス併合
 1846 米のヒ゛ット゛ル、浦賀に来航   英、穀物法廃止 オレコ゛ン協定
米墨(ヘ゛イホ゛ク)戦争(〜48)
 1847   アフリカ最初の黒人共和国リヘ゛リア誕生 露のムラヒ゛ヨフ、東シヘ゛リア総督就任  
 1848     独、マルクスとエンケ゛ルス「共産党宣言」
仏、二月革命→第二共和制(〜52)
墺、三月革命
独、フランクフルト国民議会
英、チャーチスト運動
メキシコよりカリフォルニア獲得
コ゛ールト゛ラッシュ
 1849     マッツィーニ、ローマ共和国樹立
英、航海条例廃止(1651〜)
 
 1850   清、道光(ト゛ウコウ)帝が死に咸豊(カンホ゜ウ)帝が即位    
 1851   清、太平天国の乱(〜64) 英、ロント゛ンで世界最初の万国博覧会
仏、ルイ=ナホ゜レオンのクーテ゛タ
 
 1852   南アにフ゛ール人のトランスハ゛ール共和国が成立 仏、第二帝政(ナホ゜レオン3世、〜70)
サルシ゛ニア宰相にカフ゛ール就任(〜61)
ストウ婦人、「アンクル=トムの小屋」刊
 1853 米のヘ゜リー、浦賀へ来航   露土、クリミア戦争(〜56)  
 1854 日米和親条約   仏のハ゜スツール、腐敗の原因の発見 共和党誕生
カンサ゛ス-ネフ゛ラスカ法成立
 1855       ホイットマン、「草の葉」出版
 1856 米総領事ハリスが下田に着任
吉田松陰が松下村塾を開く
英仏清、アロー戦争(第2次アヘン戦争、〜60) 露土、ハ゜リ条約  
 1857   英-ムカ゛ール、セホ゜イの反乱 仏のフロヘ゛ール、「ホ゛ハ゛リー婦人」著 アメリカ合衆国憲法制定
 1858 日米修好通商条約
徳川慶福が14代将軍・家茂となる
安政の大獄
ムカ゛ール帝国滅亡(1526〜)
英米仏露清、天津条約
露清、愛琿(アイク゛ン)条約
    
 1859     英のタ゛ーウィン、「種の起源」出版
イタリア統一戦争(〜61)
 
 1860 初の遣米使節が派遣
桜田門外の変
英仏、北京の円明園(エンメイエン)を焼く
英仏清、北京条約
露清、北京条約
   
 1861   清、咸豊(カンホ゜ウ)帝が死に同治(ト゛ウチ)帝が即位→西太后(セイタイコ゛ウ)が政権を握る イタリア王国成立(〜1946)
露、農奴解放令
リンカーン、第16代大統領となる
南北戦争(〜65)
仏のナホ゜レオン3世、メキシコ出兵(〜67)
 1862 生麦事件  清、同治中興(〜74)
仏越、第1サイコ゛ン条約
普のヒ゛スマルク、宰相就任(〜90)
仏のヒ゛クトル=ユーコ゛ー、「レ=ミセ゛ラフ゛ル」著
 
 1863 新撰組結成
薩英戦争
  ホ゜ーラント゛大反乱(〜64) リンカーンの奴隷解放宣言
 1864 蛤御門の変
英米仏蘭、馬関(下関)戦争
第1回長州征伐
清、洋務運動 第1インターナショナル
国際赤十字同盟結成
 
 1865 長州内乱
薩長同盟
第2回長州征伐
墺のメンテ゛ル、遺伝の法則を発見   南北戦争終結(61〜)
リンカーン大統領暗殺
 1866 薩長連合
家茂が病死、徳川慶喜が15代将軍
  普墺戦争  
 1867 大政奉還
坂本竜馬暗殺
  北ト゛イツ連邦成立
英、カナタ゛連邦(自治領)成立
独のマルクス、「資本論」第1巻公刊
英、第2回選挙法改正
スウェーテ゛ンのノーヘ゛ル、タ゛イナマイトを発明
ロシアよりアラスカ買収
 1868 明治維新
鳥羽伏見の戦い→戊辰戦争(〜69)
五箇条の御誓文
江戸城無血開城
江戸を東京と改称
廃仏毀釈運動が起こる
  英、第1次テ゛ィス゛レーリ内閣
英、第1次ク゛ラット゛ストン内閣
 
 1869 版籍奉還 エシ゛フ゜ト、スエス゛運河開通 露のトルストイ、「戦争と平和」著 大陸横断鉄道開通
 1870     普仏戦争(〜71)
仏、第三共和制(〜1940)
イタリア王国統一完成(教皇領併合)
英、普通教育法(国民義務教育法)
 
 1871 廃藩置県
岩倉使節団を先進国へ派遣
秩禄処分を行う
  ト゛イツ統一 →ト゛イツ帝国成立(〜1918)
仏、ハ゜リ-コミューンの乱
独のシュリーマン、トロイ遺跡を発掘
英、労働組合法制定
ニューヨークで地下鉄が開通
 1872 新橋〜横浜間に鉄道が開通
学制公布
福沢諭吉「学問のすすめ」
     
 1873 徴兵令
地租改正条令
西郷隆盛、板垣退助らが下野
  独、ヒ゛スマルクの文化闘争(〜80)→五月法発布
独墺露、三帝同盟成立
マーク・トウェイン、「金ぴかの時代」出版
 1874 民選議院設立建白書が出される   英、第2次テ゛ィス゛レーリ内閣(〜80)  
 1875 千島・樺太交換条約
江華島事件
清、同治(ト゛ウチ)帝が病死し光猪(コウチョ)帝が即位 英、スエス゛運河会社の株式買収
仏、第三共和国憲法発布
仏、画家ミレー死去
 
 1876 日朝修好条規(江華条約)   土、ミト゛ハト憲法作成 ヘ゛ル、電話器を発明
アハ゜ッチ族の反乱(〜86)
 1877 西南戦争
東京大学設立
英領イント゛帝国成立(〜1947) 露土戦争(〜78) エシ゛ソン、蓄音機を発明
 1878     露土、サン-ステファノ条約
ヘ゛ルリン会議
独、社会主義鎮圧法(〜90)
保護関税政策採用
 
 1879     独墺同盟 エシ゛ソン、白熱電灯を発明
 1880 渋沢栄一が第一国立銀行、
東京株式取引所開設
  英、第2次ク゛ラット゛ストン内閣(〜85)  
 1881 国会開設の詔 エシ゛フ゜ト、アラヒ゛=ハ゜シャの乱(〜82)
英、アフカ゛ニスタン保護国化
仏、チュニシ゛ア占領→保護国化
露清、イリ条約
独墺露、三帝協商(〜87)
露、皇帝アレクサント゛ル2世暗殺
 
 1882   朝鮮、壬午(シ゛ンコ゛)の変 独墺伊、三国同盟(〜1915)
独のコッホ、結核菌を発見
ロックフェラー、石油業界を支配
 1883   仏越、ユエ条約
英-スータ゛ン、スータ゛ン独立運動(〜98)
独、カール=マルクス死去(1818〜)
独、植民事業開始
独のコッホ、コレラ菌を発見
 
 1884 秩父事件 清仏戦争(〜85)
朝鮮、甲申(コウシン)の変
英、フェヒ゛アン協会設立
英、第3次選挙法改正
 
 1885 伊藤博文が初代総理大臣に就任
日清、天津条約
清仏、天津条約
イント゛国民会議開催
スウェーテ゛ンのスウェン=ヘテ゛ィン、中央アシ゛ア探検開始
ヒ゛ルマ、アラウンハ゜ヤー朝滅亡
   
 1886 ノルマントン号事件
清国水兵暴行事件
英領ヒ゛ルマ成立 独のタ゛イムラー、四輪自動車製作 アメリカ労働総同盟(AFL)
 1887 保安条例 仏領イント゛シナ連邦成立  英、第1回植民地会議
独露、再保障条約(〜90)
 
 1889 大日本帝国憲法発布
東海道本線全通
  第2インターナショナル(ハ゜リ)
仏、フ゛ーランシ゛ェ事件
仏、ハ゜リにエッフェル塔建立
第1回汎米会議(ワシントン)
 1890 教育勅語発布
帝国議会開始
  独、ヒ゛スマルク下野→皇帝ウィリアム2世親政
独、社会主義鎮圧法廃止
フロンティア消滅
シャーマン反トラスト法
 1891 大津事件
足尾鉱毒事件
イント゛ネシア、シ゛ャワ島でシ゛ャワ原人の骨が発見される 露仏同盟(1894年完成)
露、シヘ゛リア鉄道着工
 
 1892 千島沈没事件      
 1893   仏、ラオス保護国化 英、アイルラント゛自治法案を上院で否決
ニューシ゛ーラント゛、婦人参政権承認
 
 1894 日清戦争(〜95) 朝鮮、東学党の乱(甲牛農民戦争)
孫文らハワイで興中会結成
仏、ト゛レフュス事件(〜1906) イキ゛リスを抜き工業力世界一 
 1895 日清、下関条約 閔妃(ヒ゛ンヒ)殺害事件 露独仏、三国干渉
ノルゥエーのナンセン、北極探検
伊のマルコーニ、無線電信機発明
独のレントケ゛ン、エックス線を発見
 
 1896   露清、東清鉄道密約
第1回シオニスト大会(〜97)
朝鮮、国号を大韓と改称
第1回近代オリンヒ゜ック大会アテネで開催  
 1898   英仏、ファショタ゛事件
独露英、中国分割(租借)
清、変法自強運動
清、戊戍(ホ゛シ゛ュツ)の政変
独ウィルヘルム2世、コンスタンチノーフ゜ル訪問
露、社会民主労働党結成(〜1918)
仏のキュリー夫妻、ラシ゛ウムを発見
ハワイ併合
米西戦争ハ゜リ条約
 1899 治外法権を撤廃 仏、広州湾租借
清-日露英仏独米伊墺、義和団事件(〜1901)
英-南ア、ホ゛ーア戦争(〜1902)
第1回ハーク゛万国平和会議
独土協定=3B政策
門戸解放宣言
 1900     英、労働代表委員会成立
独のツェッヘ゜リン、飛行船を発明
 

 フ゛リュメール18日のクーテ゛ター(1799年)により、統領政府の第一統領になったナホ゜レオン(30)は、ナホ゜レオン法典(1804年)をつくり、フランス革命の成果を確かなものとし、人民投票によって同年に皇帝となりました。ナホ゜レオンはフランス革命の子といわれています。ナホ゜レオンは、征服したヨーロッハ゜諸国に対して、ナホ゜レオン法典を布告しました。そして、この法典を通して全ヨーロッハ゜に、フランス革命の精神が伝わり、ヨーロッハ゜の諸国民は、自由と民族的統一、憲法の制定を求めるようになるのです。この精神は、ナホ゜レオンの没落後の反動的なウィーン体制(1815年)と激しく対立しましたが、七月革命(1830年)や、二月革命(1848年)をへて、民主的な近代市民主義を築きあげていくことになるのです。ナホ゜レオン法典(民法、民事訴訟法、商法、刑法、刑事訴訟法)は、19世紀に各国でできた多くの法律の土台となり、今でもフランスで使われています。ヨーロッハ゜中を駆け巡った偉大な皇帝ナホ゜レオンは、1821年5月5日南大西洋の孤島セント・ヘレナ島で死にました。52歳でした。

 18世紀の後半にイキ゛リスで始まった産業革命やフランス革命を経て、成立した社会の仕組みを資本主義社会といいます。そして、この資本主義社会の経済を支配していたのが、資本家(フ゛ルシ゛ョワ)とよばれる人々です。やがて資本家は、経済を支配するだけではなく、政治の上でも、それぞれの国を支配するようになりました。そして資本家は、その製品の市場を求めて、アシ゛アやアフリカ、ラテン・アメリカなど、世界へ積極的に進出して行くようになるのです。こうしてヨーロッハ゜は、こののち、アシ゛アやアフリカなどを、経済と政治の両面で支配していく、帝国主義時代を迎えるのです。

 イキ゛リスとフランスは、イント゛をめぐって激しく対立しましたが、フ゜ラッシーの戦い(1757年)でイキ゛リスが勝利をおさめました。これよりのちイキ゛リスは、イント゛国内の分裂を利用して各地を征服し、勢力範囲を広げていきました。この間イキ゛リスの工業製品が、大量にイント゛に輸入されたため、イント゛の産業は急速に衰えていきました。これまでイント゛は、世界有数の綿製品輸出国でしたが、産業革命を終えたイキ゛リスの安価な綿製品に勝てなかったのです。こうしてイント゛は、イキ゛リスのために綿花や染料の藍(アイ)、アヘンなどを栽培する農産物生産地へと変化していきました。19世紀にイキ゛リスが迎える繁栄は、こうしたイント゛の犠牲のうえに花開いたのです。イキ゛リスはまた、中国へも進出していきました。アヘン戦争(1840〜42年)やアロー戦争(1856〜60年)に勝利をおさめ、清国に不利な不平等条約を結ばせました。これらの戦争は、清国が行なっていた制限貿易に対して、イキ゛リスの資本主義が、市場の開放を求めたもので、イキ゛リスが一方的におこした侵略戦争でした。イント゛でおこったセホ゜イの反乱(1857年)は、イント゛人のイキ゛リスに対する民族独立運動の出発点でした。しかし2年後には鎮圧され、イント゛は完全にイキ゛リスの植民地となってしまいます。そして1877に、イキ゛リスの統治するイント゛帝国が建国されました。一方、イント゛でイキ゛リスに敗れたフランスは、ヘ゛トナムを中心にしたイント゛シナ半島へ進出し、1887年にフランス領イント゛シナ連邦を形成しました。またオランタ゛はイント゛ネシアへ進出し、シ゛ャワ島のハ゛タヒ゛ア(現在のシ゛ャカルタ)を根拠地にして、東南アシ゛アの多くの島々を植民地としました。

 独立を達成したアメリカは(1776年)、西部開拓を励みます。開拓された地域と、未開拓の地域の境界にあたる地域をフロンティアといいます。19世紀を通じてこのフロンティアは、西へ西へと進んだのです。しかしこの西部は、決して無人の荒野ではなく、インテ゛ィアンが暮らしていました。白人たちの西部開拓は、同時にインテ゛ィアンに対する侵略でもあったわけです。西部の開拓が進むうちに、奴隷制度をめぐって対立がおこり、南北戦争(1861年)がおこりました。そのときの大統領リンカーンは、奴隷解放を宣言し、ケ゛ティスハ゛ーク゛で「人民の、人民による、人民のための政治」という演説を行ないました。この言葉が表された精神こそ、アメリカ合衆国の民主政治の根本といえるでしょう。南北戦争後(1865年)、統一されたアメリカでは、1869年に最初の大陸横断鉄道が開通しました。西部はその後、めざましい発展をとげます。19世紀の末には、フロンティは太平洋沿岸に達し、ハワイを併合(1898年)し、米西戦争(同年)に勝利して、フィリヒ゜ンやク゛アムをも領土としました。1894年にイキ゛リスを抜いて世界一の工業大国になったアメリカの時代がやってくるのです。

 清では、嘉慶(カケイテイ)帝についで道光(ト゛ウコウ)帝が後を継ぎましたが、この頃からヨーロッハ゜の国々の進出などに苦しめられ、清の勢力はしだいに衰えました。イキ゛リスは毎年中国の茶、絹、陶磁器をたくさん輸入したので、いつも貿易による赤字に苦しみ、貿易赤字解消のために、イント゛産の恐ろしい麻薬=アヘンを清に輸出しました。そのため清ではアヘンを吸う風習がだんだん広まり、1818年の輸入額は470万元でしたが、1838年には2500万元に達しました。これで清は毎年莫大な貿易赤字です。そこで清王朝はアヘンの禁止命令(1815年)を出しましたが、なかなか守られません。ついに道光帝はアヘン輸入に強く反対する林則徐(リンソクシ゛ョ)を広東(カントン)に送りました。イキ゛リスはこうしたやり方に怒り、貿易を保護するという理由で軍艦16隻からなる艦隊を送りました。そして清は降伏してイキ゛リスと南京条約を結びました。1856年には、アロー号事件が起こりました。広東の中国人の役人が、イキ゛リス国旗を掲げたアロー号に乗り込み、罪人を捕らえたのです。イキ゛リスはイキ゛リス国旗が踏みにじられたと怒り、たまたま宣教師が殺されたフランスと連合して軍隊を送りました。

 清の時代は18世紀の中頃から、時々農民の反乱が起こりました。そしてアヘン戦争後の混乱の中で、洪秀全(コウシュウセ゛ン)は、広西(コウセイ)で兵を起こし、太平天国と名乗りました。かれは清に反抗して弁髪(ヘ゛ンハ゜ツ)にしなかったので、長髪賊(チョウハツソ゛ク)ともよばれました。太平天国はしだいに強力になり、長江(チョウコウ)沿岸の諸省を従え、1853年、南京を占領しました。しかし曽国藩(ソウコクハン)、李鴻章(リコウショウ)らが各地で反乱軍を破りました。この後、清は太平天国の平定に全力をつくし、1864年、南京は攻め落とされ、まもなく太平天国は平定されました。太平天国の乱が平定されると、清の政治と社会も一時期安定しました。そのためこれを同治の中興(ト゛ウチノチュウコウ)といいます。またアロー事件以後、曽国藩や李鴻章などがヨーロッハ゜文化を取り入れるため、洋務運動(ヨウムウント゛ウ)を起こしました。そのため西洋風の官営の軍事工場などが次々に作られましたが、数千年来の中国の伝統はあまりにも強く、ヨーロッハ゜諸国のような発展は見られませんでした。
 日清戦争(1894年)の敗北や列強の中国大陸進出は、中国人に危機感をもたらし、康有為(コウユウイ)らは若い光猪(コウチョ)帝と共に議会制をもとに、立憲君主制度を行おうとしました。しかしこれに反対する人々は、西太后(セイタイコ゛ウ)と組んで弾圧したので、3ヶ月あまりで失敗しました。これを戊戌(ホ゛シ゛ュツ)の政変(1898年)といいます。ちょうどその頃、民衆の間では、外国人や外国文化を退ける感情が高まっていました。1898年、山東(サントウ)省に起こった義和団は、清の伝統を守り、外国のものをしりぞける目的で北京に進出し、外国人を追放しました。清王朝もこれを支持して列強に宣戦布告しました。列強は自国の人々を守るため、出兵して北京を占領し、清は植民地のようになってしまいました。

 日本は鎖国を継続していましたが、ロシア、イキ゛リス、オランタ゛、アメリカなどの船が次々に入港し、通商を求めてきたので、拒否を貫く幕府は悩みます。おまけに天保の飢饉などにより、各地で農民反乱が起こりました。そのような状況で迎えたのが、1853年のヘ゜リー浦賀来航です。軍艦による外圧に負けた幕府は、1854年に日米和親条約を締結し、1856年には日米修好通商条約を締結しました。1860年には遣米使節が派遣されました。そして列強各国の介入をほとんど許さずに、1867年の大政奉還、1868年の明治維新まで突き進みます。開国した日本は、列強各国の植民地にされないため、近代化を目指します。そしてついに、1889年に大日本帝国憲法を公布しました。
 1894年、朝鮮で起きた東学党の乱に乗じて、清が日本との条約に違反して出兵し、朝鮮の統治権を奪います。日本は抗議し、日清両国で朝鮮の内政改革を行う提案をしますが、拒絶されたので、やむなく清に宣戦布告しました。日本は清に圧勝し、その結果、大韓帝国が成立しました。1895年の下関条約で、日本は澎湖島・台湾などとともに遼東半島の領有権を得ましたが、露独仏3国の公使が、条約調印6日後に日本の外務省を訪れ、東洋の平和を脅かすとして、その領有放棄を勧告します。日本はやむなく受諾し、清から代償として3000万両(約4500万円)を取得しました。干渉はロシアが主導し、ト゛イツとフランスが同意する形で行われましたが、3国にはそれぞれの思惑がありました。ロシアは極東進出のために不凍港が必要で、そのためには日本の大陸進出を阻まなければなりませんでした。ト゛イツは、ロシアの矛先が日本に向かえば露独国境が安全になりますし、将来の清分割に際して発言権を持てると考えました。フランスは、露独の緊張緩和は自国にとっても安全なうえ、露仏同盟を実行する立場からも好都合との考えがありました。この地点での、世界の中の日本の地位はこのようなものでした。また、清に返還されたはずの遼東半島をロシアが掠奪(リャクタ゛ツ)します。日本では、「臥薪嘗胆(カ゛シンショウタン)」をスローカ゛ンにロシア復讐の世論が高まっていきました。


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