家原城
 
家原城の碑
 家原城は文献に、2度登場します。
初めは永禄9年(1566)2月に松永久秀と三好三人衆が摂津で戦ったとき、松永方の和泉軍は当地家原城から出陣し上野芝で戦い、三好三人衆に敗れ、岸和田城へ逃れたこと。
次に同11年(1568)12月28日には三好三人衆のひとり三好政康の軍勢5000騎が松永方の三好義継の内衆寺町左近将監や雀部治兵衛らの籠もる家原城を攻撃し落城した事である。
 明治時代に描かれた絵図によれば、城域は南北約175m・東西245mで、本丸を中心に南の曲輪(南北約24m・東西約16m)・西の曲輪(南北約26m・東西約20m)が付属してます。城の周囲は堀(幅約6m)・土塁によって守られています。城の南・東・西部は、石津川など自然地形を防御の為にたくみに利用しています。
 慶弔10年(1605)和泉国絵図に『家原寺』とみえ、高174m石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳には『家原村』とあり幕府領(奈良奉行支配)で高175石余。享保21年(1736)の家数145。天保11年(1840)の家数23、人数191、牛6でした。

家原城の絵図
家原寺(知恵の文殊)
 
本堂
 家原寺は『行基年譜』によれば、慶雲元年(704)行基37才の時、自らの生家を仏閣に改めて開創したといわれます。
永徳2年(1382)兵火で消失し、天正(1574)再建されました。
 本尊は『知恵文殊菩薩』で、入学試験をひかえた受験生の合格祈願のハンカチが所狭しと掲げられてます。20年程前までは直接本堂(文殊堂)にチョークやマジックで書いていたので「落書き寺」ともよばれてました。
 寺宝は『行基菩薩行く状絵伝【国指定重要文化財】』、天文20年(1551)銘のある『石碑【府指定文化財】』、『五色の仏舎利』などを蔵する。境内は府の顕彰史跡です。

 家原寺町だんじりの竹の節(たけのふし)は、南大門の金剛力士像を取り入れたものです。

アクセス 【電車】JR津久野駅から徒歩15分
      【車】泉北2号線の大池前交差点を東へすぐ
         無料駐車場有り

南大門
とんど
 
たきあげ所
 毎年小正月におこなわれ、書き初めの作品をとんどに入れて焼くと上達するという伝承があります。
またお正月に使った注連縄、松竹梅や不要になったお守りなども焼却できます(有料)。

平成10年より大左義法会(とんど)が2座になりました。

 1月14日 PM2時〜おたきあげ所点火
 1月15日 PM5時〜大とんど点火

行基が中国の左義長山で催される山焼の行事をまねて行ったものと伝えられています。


大とんどの場所は家原寺の境内で行われています。

当日は混雑が予想され一部車両通行止めになる区間もあるので、電車、バスを利用されることをお勧めします。

大とんど

大とんど点火