第1話『聖女、闇の悪魔と銀の姫君に出会う』
四.
本日、吟遊詩人ジークの仕事場は酒場にあった。
昼は王都広場で、夜はこうして酒場を点々と。レシアから絵を買い受けてからすでに五日経った夜のことであった。
朗々とした声で戦記を歌うこともあれば、恋物語をしっとりと歌うこともある。曲目はその日の客次第であるが何を歌ったとしても、異国人である彼の歌はそれなりの評判を得るようになっていた。
ふいに、銀貨が差し出される。
何を歌うか問う前に、ローブのフードを落とした客――男である、が口を開いた。
「『銀の姫』は歌えるか?」
「大丈夫ですよ。わかりました、『銀の姫』ですね?」
男が注文する曲にしては珍しい選曲である。
しかしそんなことはおくびにも出さず、彼は今夜初めてのリクエストに応えて演奏器を奏で始めた。
『銀の姫』とは、昔リアトリスいたとされている銀髪をした娘の美しさを称えた詩である。現王が一女、シュレイナ姫が『銀の姫』と呼ばれるのはこの詩にあやかってのこと。一の姫は見事な銀の髪を持った美姫だとかで、現王がそれはそれは目に入れても痛くないほどの可愛がりようであるらしいというのが国民の間での通説である。
光り輝くは白銀よ
月の灯りは艶やかに、陽の灯りは清廉に
汝を包むもろもろは、一筋の乱れなく
光り輝くは純白よ
艶やかなる純白よ
白銀にたなびかん
とまあこんな感じに褒め称える歌なのである。この後の歌詞を大まかに言えば、彼女が歩いていく軌跡には光りが帯びているように見えるだの、肌は雪の色より直白いだのと続いていき「おいおい、それはもう人間じゃないだろう」と首をひねらずには居れない歌詞となっている。
ジークが余韻を残して演奏を終えると、ワッと喝采が酒場から巻き起こった。
最前列にいるリクエストをした男もにこやかに拍手を送る。
「相変わらずあんたの詩はうまいな。同じ詩がとても新鮮に聴こえる」
「ありがとうございます」
一礼したジークは軽く首を傾げてその疑問を口にした。
「あの――相変わらずと言うことは、以前も私の詩を?」
「ああ、そうだ。何年ぶりかな……―――。まあ、健勝そうでよかった」
どうやらこの男は相当前から自分のことを覚えていてくれたらしい。吟遊詩人としてこれは名誉なことだと思った。
鳶色の長髪をした男は『ニヤリ』、そう形容するのがふさわしい笑みを見せる。
「ところで詩人よ。今、少し話をしてもかまわないか?」
「話ですか?」
いったい何を。
別に商売を中断されて困ることはない。先ほど貰った銀貨で今日の収入は充分だった。
「どうぞ。―――何か込み入った話でも?」
「大したことはない。指輪の話だ」
指輪。
ジークは先日出会った画人の娘を思い出す。
「そう、銀の指輪だ。―――大昔に俺があんたに支払ったな」
「え?」
ぽかんとした表情でジークはその男を見上げた。
五.
「宰相! 吉報です! どういうわけか我らが最強の敵、ローゼンハイムを名乗る男が打診する前に王宮へ訪ねて来ましたよ」
そう言いながら執務室へ喜びも露に駆け込んで来たセトアリアに、ひとり政務に励んでいたシュトラウスは目を丸くする。
「本当かね?」
「ええ、逃がさないよう丁重に賓客室に通しておきました。―――本物である保証はどこにもありませんが、偽者であろうと今回の場合に限っては使えます」
要は、王が現れた男を『北の賢者、ローゼンハイム』だと思えばそれでいいのだ。
「まだローゼンハイムに何の応対も取っていないことは王もご存知です。それでこうタイミングよく現れてくれれば、事態を察した賢者殿が、わざわざ足を運んで下されたと思わせることもできましょう。偽者であろうと我々が偽者を一から仕立てることに比べて信憑性が違います。もちろん万が一の可能性で、本物ならば言うことはありませんし」
セトアリアの表情が得意満面に輝いている。
シュトラウスはそれに苦笑してから、顎に手を置いて逡巡した。
「そうだな、この件はお前にまかせよう。良きように。その際、私に趣あれば遠慮せず言いなさい。―――魔術師をくどき落とすことに比べれば、容易いことだ」
「は、承りました」
従者は意気揚々と胸に手を当て、腰を折る。
この宰相のために何かができることは、ひどく誉れ高いことのように思われたので。
さて、訪ねてきた男は若かった。痩身の体つきはいかにも魔術師らしく、身体の線を隠すためのローブもまたしかりである。
しめたものだとセトアリアが先手を打ち、いかにも『待ち望んでいた』という様子をありありと見せながら、
「貴殿が北の賢者、ローゼンハイム殿であらせられますね?」
そうイエス・ノーで答えられるように訊ねる。
案の定、男は短く是を返した。
「そうだ」
セトアリアはにんまりと笑う。
本当は誰だろうといい。宮中の者に、この男が『ローゼンハイム』だと思わせることができればそれでいいのだ。幸いなことにこの部屋には、数人の宮廷人がいる。
とにもかくにもそういった経過を経て、その男がローゼンハイムであるということで落ち着いた。
王への謁見を提案すると、男は「会ってもかまわない」とだけ返答した。時間がくるまで賓客室でお持ち下さいともてなし、宰相の政務が落ち着く午後に会席を予定していると告げる。
ここまで簡単に事が進むと返って拍子抜けしてしまう。
セトアリアはこれで、『魔術師を王宮に招けなどというふざけた勅命問題』は解決したのだと、ホッと安堵の息をついた。
いたのだが―――、
事は午後の会席で起こることとなる。
「ローゼンハイム殿。今、何と?」
やつれた調子の王が、身を乗り出した。
「だからこの国の姫の病は、悪魔のせいだと言っている」
ローブを着た鳶色の髪の男は煙たそうに前述とほど同義の言葉を繰り返した。
申し訳程度に設けられた会席会場が、一気にざわつきを帯びる。
当たり前である。男は簡単な挨拶を済ますと何の前置きもなく、突然、
「今日来たのは他でもない。リストリアのシュレイナ姫、あれは悪魔に憑かれている。俺はそれを言いに来た」
などと言い出し、あまつさえ『姫の病は悪魔のせいだ』である。騒がない方がおかしい。
シュトラウスは動揺した声音を隠す調子で質問する。
「失礼だがローゼンハイム殿、姫の病についてはどこで?」
この件については厳重な緘口令を布いてある。外部の者で知るのは招かれた薬師や医師、その他の怪しげな職業の方々であったが、前者は国政が及ぶし、後者はそもそも普通の人間と係わり合いがないので話が漏れようはずがない。
賢者は眉を上げた。
「そんなもの――魔導師や僧侶の類は言うに及ばず、魔術師でもこの城を見ればわかるだろうよ。ここはまだマシだが、離宮は陰の気で満ちている」
離宮は病に伏した姫が、静養のため最近になって移された場所である。姫の病のことはさて置き、これは外部の者は誰も知らないことだと断言できた。
シュトラウスとセトアリアはそれとなく顔を見合わせる。
「俺は魔導師だ。それくらいのこと、ここにテーブルがあるというのと同じようにわかる。信じる信じないは好きにしてくれればいい」
しん、と水を打ったように室内が静まり返った。
魔導師……? 魔術師ではなく?
シュトラウスの表情に思案が走り、次瞬、口を開いた。困ったように眉を下げることは忘れない。
「再度失礼いたします、学がないので教えていただきたい。魔術師と、魔導師の違いのほどとはいったい?」
宰相の質問にローゼンハイムが答えようと向き直ったところで、国王――ルーアン=イリディティウス=フォン=リアトリスが話の腰を折る行為に出た。
椅子を蹴って立ち上がるや否やまっすぐに男の膝元に歩み寄ると、崩れ落ちるように両膝をついたのだ。
「ルーアン王!」
王が他者に膝をつくなどしてはならない。セトアリアが咎めるように主の名を呼ぶものの、王はまるで聞いてはいなかった。
「おお……、魔導師殿。見聞に及んだ通りのお方だ……。どうぞ我が姫をお救い下さい。あれは私の、宝なのです」
悲壮な顔をした彼は、もはや王ではなくただの父親でしかない。
一方、ローゼンハイムは無表情に頷く。
「そのつもりで来た」
彼はそっけなくそれだけを言うと、続いてシュトラウスに視線をやった。
「そして宰相殿、魔導師とは魔術を生み出す者のことだ。魔術師とはまったく格が異なる。―――納得してもらえたかな?」
流し見る横目に笑みが含まれた。
宰相は頷く。
―――わかっているのだ、ローゼンハイムは。自分がこの男の知識を試したことを。
一般人が魔導師も魔術師も得体のしれない輩として、同じもののように扱っているのは周知の事実である。
しかしシュトラウスは知っている。
意味まではわからなくとも、魔術師に直接聞いた話によってその『違い』を。
ゆえに、手っ取り早く知らないふりを装って、この男が『魔』に関係するものか確かめるために先ほどの質問をした。
この男が魔導師もしくは魔術師の『語り』ならば、この質問には答えられないはずだった。
「ご高説ありがたく頂戴いたしました。痛みいります」
会釈した宰相は椅子から立ち、丁寧に腰を折る。
「ようこそおいで下さいました、魔導師ローゼンハイム殿。貴公のご助力に私からも心からお礼申し上げます。我が国、一の姫シュレイナ=アリセディリティーテ=フォン=リアトリス様を、どうぞよろしくお願い致します」
この男、どうやら本物らしい。
悪魔も何も一緒くたにして、宰相が認めた瞬間だった。
六.
明けて翌日、ローゼンハイムはさらに周囲を――主にセトアリアを――驚かせる発言を落とした。紅茶を飲みながらのセトアリアと魔導師、二人だけの会席の最中のことである。
「まず断わっておくが、俺には悪魔を払うことはできないからな」
「は?」
宰相に魔導師の世話役を任ぜられたセトアリアは思わず声を上げる。茶器を持った手が振動し、カモミールが小波だった。
「どういうことです、ローゼンハイム殿。昨日と話が違うようですが?」
昨日、この男は『姫を助けるために来た』とは言わなかったか。今さらできないなどとは言わせはしない。務めて感情を押し殺してセトアリアは質問する。
「俺は姫君を助けるために来た。それは間違ってない」
白磁のティーカップに口をつけた途端、無表情だったローゼンハイムの眉が跳ねた。どうやら猫舌らしく、熱いままでは飲めないらしい。しかしそのようなことはどうでもいい。
「俺は彼女を助ける手段を知っている。しかし、姫に憑いた悪魔を俺自身が払えるとは言っていない。以上」
「……魔導師殿でもできないことが、他の誰かにできましょうか?」
セトアリアは茶器を置いて、真っ直ぐに鳶色の髪をした男を見据える。ローゼンハイムの斜めに構えた目がこちらを見返した。
「できるさ。神の花嫁と呼ばれる、聖女なら」
「……聖女というとあの?」
疑わしいものを見る目つきでローゼンハイムを見ると、男は頷いた。
「リアトリスは聖女の加護ある地じゃないのか、俺に聞くな。―――まあ、政治家で彼女を信じているやつなんていないか……。仕方がないな」
言って賢者は真顔に戻る。
「俺は彼女の居場所を知っている。それを伝えに来たんだ」
およそ信じられないものを見る目にヴァージョンアップしたそれで、セトアリアは魔導師を凝視する。
―――そもそもに戻って考えてみれば、この男はいったい何が目的なのだろうと思う。
シュレイナ姫を救いたいと言う。しかしそれをした所で魔導師たるこの男に、何が得られると言うのだろうか。
一般的な善悪の頓着など関係なく、自身の裁量でしか動かないはずだ、彼らは。
「聖女ですか……それは何と言うか、途方もない話ですね。―――……しかし神の花嫁は国の大事に現れるとされていますが?」
確かにこの国は今、嵐の前の静けさにはある。そしてセトアリアは、事前に嵐を追い払ってくれる聖女の方がよほど有益だとも思っている。
しかし、聖女は国の大事が起こってから『後片付けを手伝うために』現れるものではないのか。
ローゼンハイムは首を傾げた。
「国の大事にね、間違っちゃいないけど……。―――なあ、その……現れるって、生まれてくるっていう意味か?」
違いがよくわからなかったものの聖女とは国の大事に、過去より生まれ変わって現世に現れるのだと思っていたので頷いた。
賢者は眉を寄せる。
「そりゃ、この国の人間がよりドラマチックになるよう作り変えた与太話だ。人間の転生なんぞ数百年単位で行なわれているもんが、千五百年も経って一度もないわけがないだろうが」
はあ、と曖昧に頷く。
何だか自分の知らない世界の話になってきていた。
ついで言うなら話がかみ合っていないように思える。自分の疑問には答えてもらえないのだろうか。
「第一、あんた達の言う『国の大事』がこれまでまったく起こらなかったほど、この国は平和じゃなかっただろうに。だからだな、これまでにもリアトリス王室に何度か聖女は力を貸してるんだぞ? ……記録には残ってないだろうが」
セトアリアは色めき立つ。
「そんな!?」
信じられなかった。
それほど宗教色が強い事柄があって、ゼナ教がしゃしゃり出てこないはずがない。聖女の御世だ。降臨だ。そんな騒ぎはこれまでに起こっていないのだ。
信者たちは今も粛々と聖女が危機を救うために現れるのを待ち、『現れない』ゆえに今は平定の世なのだと信じ、崇めているはずではないのか。
ローゼンハイムはカップの胴をグラスのように持ち、言い聞かせるように人差し指を立てる。
「驚くことはない簡単な理屈だ。要は聖女を聖女だと、国が認めていなければいい。はなからな。助けの手を聖女と知らず、いつのまにか受けている。それがリアトリス王室の現状だ」
何のことはないように言う。そんなことがありえるのだろうか。
セトアリアは肘立てについた腕で、こめかみを押さえた。
「しかしそれが本当ならば、あまりにも失礼ですね……」
仮にも神に見初められた聖女に対して。
「あーって言うかさ、俺に言わせれば根本的に聖典の『神の花嫁』って言うのがちょっと違うと思うんだよな。聖典に書かれてあるのは理由の後付けだろ、多分。―――聖女たる力を持って生まれてくる人間は、べつに聖典の『神に見初められた娘』の生まれ変わりじゃないと思うぞ。これは飽くまで俺個人の見解だから、鵜呑みにしてもらいたくないが」
生まれ変わりなどと信心深いことを言っていたかと思えば、この国の代名詞とも言える聖典『聖女』の項を無碍にした発言をする。セトアリアには目の前の男が、とんでもない異端のように思われた。
すると魔導師ローゼンハイムは突如、椅子を引いて立ち上がる。
今度は何事だろうと油断なく見つめていると、彼はこう言った。
「さて、と。じゃあ行くか、セトアリア殿」
「……どこにです?」
鳶色の髪をした賢者は何を、と片眉を上げる。
「聖女殿を迎えに行くんだ」
「今からですか!?」
「悪魔を払うだけじゃなくて、姫君を助けたいんだろう? だったら早くした方がいい。彼女の体力が持つのは恐らくあとわずかだ」
言いながら近衛の控える出口にスタスタと歩いていく。
鎧の騎士たちがうやうやしく両開きのドアを開こうとすると、男は手を上げてそれを制した。振り返る。
「ああ。そうだそうだ、忘れていた。聖女の話、ここだけの話にしておきたい。国を上げて彼女を祭り上げようなんて考えはよしてくれ。聖女は――彼女はそれを望まない。これから俺たちが迎えに参上するのは、ちょっと特殊な力を持った『ただのお嬢さん』だ」
言ってぐるりと部屋を見渡した魔導師は手の平をかざす。
「これで部屋にいる者全てに術がかかった。この部屋を一歩出た瞬間から、今の話を口外できなくなる。しようと思えばそれは俺に伝わる術だ」
ローゼンハイムはにやと笑う。
「魔導師を裏切ろうとは思わないことだ。こと、痛い目に合いたくないならな。信じる信じないは好きにしろ」
セトアリアは今度こそハッキリとした頭痛を覚えた。
「して、ただのお嬢さんの名は?」
「レシア=フォーテット。―――着いて来たいなら来るがいい。行くぞ」
七.
レシア=フォーテットは村長の家系に生まれた。
父と母と、村長である祖父、最後に自分。それが同じ屋根に住む者の全てである。
それほど豊かな村ではないが、貧しくもない。ゆえに彼女の家にはレシアに絵画をたしなませる余裕があった。誕生日や何かを達成できた時のお祝い―――そのほかもろもろの機会に両親は彼女へ少しずつ、安くはない紙を、木炭を、岩絵の具を、筆をと買い与えていった。
そうして十六になった今、レシアは自身の手で画材を得ることができるようになったのだが、これはレシアにとってたいへん誇らしいことであった。
頑張って働けば自分の欲しい画材を、両親の顔色をうかがうことなく買うことができる。
先日、自分の絵が銀の指輪へと変化したことなど、まるで夢のような心地になったものだ。
そんな訳で近頃レシアは、夜な夜ないつもは引き出しの奥にしまってある指輪をこっそりと指にはめ、緩んだ顔でそれを眺め見るのことにハマっている。
―――ほんと凄いちょー……。なくしたら思うけー、よう持ち歩かんわ。
堅いトチの木を細工した幅のある指輪を常時にはめているレシアであるが、この指輪はビップ待遇なのだ。おちおち身につけることなどできない。
ちなみにビップ待遇と言うのは、彼女が三つの宝箱を持っているからこそ言えることだった。三つの箱の内訳はこうである。
一つ目は幼いころ集めたどんぐりの収集品や、紅葉とか四葉のクローバーの押し花を入れておく『何となく捨てられない大事なもの』用の箱。周囲からは捨てろとやかましい、セミや蛇の抜け殻もここに含まれる。
言わばガラクタ専用。
二つ目は、友人や親兄弟からもらった手紙などをしまっておく『思いでも一緒に閉じ込めて置こう』を主旨とする箱。誰かに貰った物は例外なくここに含まれる。
そして最後の三つ目の箱。ここには描いた絵が入賞した時などごく稀にある両親からプレゼントされる装飾品や、近所のおねえさんに貰った首飾りなどが入っている。正規の宝箱と言えるだろう。
そしてそんな場所にあって、銀の指輪はやはり宝物の一つであるレースのハンカチに包んで保管されているのだ。
これをビップ待遇ば言わんとなん言うねー? と、レシアなどは思っている。
ただ、この指輪については少々不可解なことがあった。レシアが丹精込めて吹き清めたことを除いても、妙に小奇麗になっている気がするのだ。
―――もうちょっと古か感じする指輪やと思うとったけーなー?
じっと見つめれば、銀はキラリと煌きを返す。
レシアは小首を傾げたが、まあいいかと納得した。唯一過不足なくはめることのできた指から、指輪を抜き取ろうとする。
「あれ……?」
冷や汗がにじみ出た。
もう一度トライしてみるものの、やっぱり指輪は第二関節から動かない。
さらに冷や汗が出る。
―――抜けん! なんでじゃー?
赤くなってしまった指の付け根を銀の指輪ごとまじまじと見つめる。
「指、むくんどるんかねー? まあ、明日とったらええけー、今日はもう寝よか。眠いわー……」
言い聞かせるように一人ごちて、レシアはランタンの火を消す。布団の中にもぐりこんだ。
今日と同じ明日が来る。
そう信じて疑っていないレシアの夜であった。
八.
翌日、レシアが見慣れない豪奢な二頭立ての馬車を村の入り口で発見したのは、午後の写生に森へ行ったその帰りだった。
とにかく感想は豪奢、一言につきる。
ちょっとスケッチしたいかもしれない。
人が乗り込む車は派手ではないがとにかく繊細な飾りが施されているし、車輪なども村にある荷車などとは違いしっかりとしたつくりである。こうなってくるとつながれている馬の毛並みさえも美しいと思えた。
着飾った御者の男が馬から手綱を外し、井戸から汲みあげた水を与えている。どうやら今到着した所らしい。
「あの、こんにちはー」
思い切って会釈して、そそくさと後にした。何とも変な感じであるが、どうしても真横を通らないと村に入れないため、無視するのは憚られる。
後には「おや」と眉を開いた御者が残された。
村長の家は村の一番奥にある。
顔見知りのおじさんやおばさんと挨拶をかわして家を目指し、そうして家を目前とした時、友人のカレンがわたわたと声をかけてきた。
「何ねー? どうしたんじゃー?」
「ちょっと、レシア。何か知っとーけ? さっきアンタん家に立派なかっこうした男の人が入っていったんよー。あたしが見るに王都の人じゃーあれ」
レシアは少し考えてみたが、そのような訪問者があるという予定は聞いていなかった。
「……わからんねー。あたし、知らんちょー」
「そうけー? まあ、村長さん家じゃけえ何か用事ばあったかもしれんけーの」
「そうじゃねぇ」
とレシアははにかむ。
二、三言葉を交わしてカレンと別れたレシアは、少し扉を開いて中をうかがい見た。どうなっているのかの事前調査である。
「ただいまー……?」
真正面から少し右にずれた位置に階段が見える。べつに何ら変わりはない。そしてさらにもう少し扉の開く角度を広げた時、変化は唐突に起こった。
扉が中から急に押し開かれたのだ。
わ! と、声を上げたレシアは足を滑らせ、しりもちをついた。―――つもりになった。
あれ……? お尻、痛とうないねー……。
というよりも背中に何か支えがある。
そこで彼女はようやく自分が誰かに支えられたままであることに気がついた。反射でつぶっていた目を開ける。
開けた目の先には、見慣れない若い男の姿があった。
「とりあえず聞いておくが、大丈夫か?」
長い鳶色の髪の毛がゆれる。
レシアはものの見事に慌てた。大丈夫かの後に続く男の言葉が、耳に入らないくらいには慌てた。
「ああっ! ごめんなさい! ごめんなさいっ! こげん、もうっ恥ずかしかー!!」
ドアの枠に手をかけて身体を支え起き上がり、次いで猛然と頭を下げ始める。
「お客さんにはなん言えばいいか、えらい失礼をしました! こけそうなとこ助けていただいて、ありがとうございます。あ! そうじゃー。あたしにはおかげさんで怪我ばないけんど、お客さんは大丈夫なんねー? 怪我しちょりませんか?」
息継ぎなしの一台詞。
丸くした目でそれを唖然と見ていた男は、レシアがその様子をうかがい始めたところで低く声を立てて笑い始めた。しばらく気の済むまま男はしのび笑い、やがて目の前で手の平をないないと振る。
「これはどうもご丁寧に。俺は別に何ともないぞ」
「よかったちょー」
安堵の笑みがもれる。
祖父――村長を訪ねてきた人物を相手に、粗相はしたくなかった。
鳶色の髪の男はレシアの手元を見やると、どうしたわけか不遠慮に彼女の顔をのぞき見る。「わ」と驚きにのけぞった。
「……しかしそうか、あんたがね」
感慨深げに頷く男が不思議だった。
「な、なんねー?」
「いや。あんたに一つ確認したいことがある。名は?」
レシアはどんな疑いもなく、自身の名を口にする。
「あ、ああ。申し遅れましたー。あたしは村長の孫でレシア=フォーテットばいいます」
よろしくと一礼しようとする彼女の肩を押し止めて、男はその左手を掴む。ギョッとしたのはレシアである。
「俺の名はローゼンハイム=ダルセイト」
「そ、そそうですけー。あの、ダルセイトさん、あの」
手を離してくれと言いたかった。
ローゼンハイムはかまわず言葉を続ける。
「あーもうなんつーか、この指輪で決定的なんだが。―――これ、外してもいいか?」
指差すのは左手の薬指に光る、昨晩から結局取ることのできない銀の指輪。
さらにギョッとする。
「いや、あのちょっとダルセイトさん?」
蒼の目がレシアを射抜き、左手に落ちる。
「あのちょっとダルセイトさん?」
男の節の立った指先が銀に触れる。
ひどく混乱したが同時にどうせ抜けないだろうと思った。何だかんだと頑張ってみても結局取れなかったのである。ちょっと引っぱったくらいで取れるはずがない、と。
指輪はチカチカと輝いて、今さらながらに自慢の一品であると小さく笑む。吟遊詩人の顔を思い出した。
ところがどうだ。ローゼンハイムが指輪に手をかけると、恐ろしいほどにすんなりと問題の第二関節を通り抜け、簡単に抜き去られてしまう。
凍りついた。
驚くと同時、身を堅くする。すくめる。
その指輪を取ってしまうと、いつもはトチの木の指輪で隠している『それ』が見えてしまうので。
その、不自然な『あざ』が。
「ふむ、決定だな」
飄々とした声に勇気付けられ、レシアは男の顔を直視した。
ローゼンハイムは穏やかに笑う。
「怖がることはない。左薬指の付け根をぐるりと一周している、ありえない感じのこのあざは、あんたが選ばれた証だ」
そう、レシアの左薬指にはあたかも指輪がはまっているかのような『あざ』がある。刺青をいれたわけではもちろんなく、生まれつきのもの。歳を重ねるにつれこのあざが異様に思えたレシアは、常日頃は指輪で隠している。他人に見せたくないものの中で一、二位を争う代物である。
「はあ。―――あの、ええと。どういうことじゃー? ダルセイトさん」
ローゼンハイムの口から飛び出した言葉の数々は、彼女の理解を軽く超えた。男は「ちょっと待ってくれ」とだけ言い、レシアの左腕を掴んだまま家屋内部に声をかける。
「セトアリア殿、見つけたぞ。今帰ってきた」
ここで、ローゼンハイムは言葉を切ってレシアに一瞥をくれた。小さく囁く。
「お初お目にかかり恐悦至極―――聖女殿」
「へ? ぇ……、な、なななん………!? なんなな」
この時、これ以上に気のきいた言葉(もはや意味ある言葉ですらないが)は、田舎暮らしの長い彼女には思い浮かばなかった。目の前が白くなる。
レシアの日常が崩壊し始めた瞬間である。
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