夢幻の幻想と夜陰に紛れて、物語は始まる。
出会ったものは世間から見れば馬鹿ふたり。後に『東にそのひと有り』と呼ばれることとなる魔物たちである。
「続・魔境における、こんな愛情表現 〜風鳶の行方〜」
―宴【うたげ】をめぐる攻防―
序.
息を殺し、酔いを殺し、陰に潜む。
夜目にも目立つ白金の髪の男と目配せすれば、やれやれと首を振った。
―――何でこんなことになったのだろう。
蒐廉は思う。
ひたすら豪奢な渡り廊下であった。
磨き上げられた床は月明かりに照らされ、薄ら寒いほど端正。硝子窓から覗き見れる庭園は一糸の乱れもなく華美かつ優雅。恐らくはこの先にいるはずの、彼らが待ち望む魔物に相応しい場所なのだろう。
絶世の美女。妖艶。艶美。大輪の華。例えられる賛辞の言葉は数え切れない。そんな緋色の太夫――亜夜がいるはずの、離れ。
拝んで来いと言われたものの、こんな気後れする場所にいるとは聞いていない。
蒐廉は居心地悪く視線を動かし、やがて相棒を見たところでそれを止めた。魔物は豪気であった。その瓢然とした表情に動揺は微塵も感じさせずに、『行くぞ』と蒐廉を顎で促す。
雲が動き、月光が翳る。
蠢く二つの陰法師が闇に溶ける。
聞こえてくるのは品のよい、艶やかな女の笑い声。
間もなくだ。間もなくお目にかかれる。
女の声はそれだけで姿を彷彿とさせるような美声。非常に耳障りがよく、ちょっと楽しみかもしれない。
ぼうと灯篭に内から光る、離れの方へ視線を向けた。
雲が、夜の帳に覆われた天を滑る。
次瞬、俯き加減であった白金の頭が跳ね起きた。舌打ち。
「どう―――」
戸惑いの声は蒐廉のもの。豪気の魔物は押し殺した声音で言う。
「馬鹿、散れ!」
月が、顔を出す。
じわりと出現した陰法師は『三つ』。
あーあ。
蒐廉はそらみたことかと唸った。
一.
花街には夜毎賑わいが訪れる。
女たちの華やかな笑い声、ご満悦な男たちの朗々した笑い声、享楽的で甘い睦言。
灯る提灯に彩られれば、いよいよそこは夢を帯びた世界と化す。
――夢と、夢を見るがゆえに現実を呼び起こされる場所。それが花街であった。
魔境中央、花街一丁目。その奥まった場所に一つの妓楼がある。
そこそこの看板を掲げた老舗の妓楼。名を瑠楼殿といった。
夜の帳降りるその場所で佇む豪奢な不夜城は、例によって例に漏れず絢爛でかしましい空気を包み込んでいる。
さて、妓楼とは華やかな空気を売りにした場所であるが、そこはそれ、商売である。光りがあれば影があるのも当然の話で、いかにも舞台裏といった場所が存在した。
表の艶やかな装飾とは無縁の室内。武骨な板張りの床の上に、両手の指で事足りるほどの魔物たちがいる。
闇溶け込む黒装束にその身を包み、物静かに控える彼らは、無頼漢や酔漢から遊女らを守ることを糧とする『廻り役』である。
彼らの仕事とは店内をうろつくことではなく、いかに隠れるかにあり、いざ事が起これば『先生、出番です』のごとく颯爽と現れ、酒に酔ったヤンチャなお客様を静かにさせる。そんなお仕事。早い話が用心棒。
用心棒たちの群れは、まだこれといって出番がない今夜。武骨かつ殺風景と称される『廻り役用控え』で各々白く輝く得物の手入れや、先月の器物破損による領収書をまとめていたりした。
静かな夜の常の様。
無言。ひたすらに無言。衣擦れ、ペンの走る音、刃物を研ぐ音のみが空間を満たす。ぶっちゃけ辛気臭いことこの上ない。
そんな折だった。彼方からの喧騒に混じって、軽やかな足音が彼らの敏い耳に届く。
一斉に、それぞれの注意が戸口へと注がれた。
臨戦態勢。複数名からカチャリと鞘と刀のこすれあう金属音が鳴る。足音がいよいよこの控えの前で止まれば、一層室内の空気に剣呑を帯びる。
板戸は勢いもよく開口した。
現れたのは――足音から察すると、非常に意外なことに同業者だった。見回りに出ていた廻り役のひとり。室内の空気が萎えた。「なんだ仕事じゃないのかよ」と、すでに興味を失った魔物たちは各々無言の作業に戻る。
仕事の雰囲気だとはおよそ思えない雰囲気を伴って現れた彼は、緩ませた表情で室内を見渡した。やがて一点で目を止めると、にやり、笑う。
「―――どうした梓劉?」
入り口付近に腰を降ろし、座卓に向かって何かを書き付けていた覆面の偉丈夫が、ペンを持ったまま怪訝に訊ねた。
大したことじゃないと梓劉は偉丈夫――組織の首長である京石に手を振り、先ほど目を止めた一点に向かって笑い含みに声をかける。
「夜那、ご指名だぞ」
それは実に場違いな声かけと言えた。重ね重ね記述するが、ここは用心棒の園である。指名も何もあったものではない。
普通ならば、「馬鹿が、何言ってるんだ貴様」が正しい返答。しかしながら『この声かけ』には、重苦しい溜息こそが標準の返答であることを、ここにいる彼らは知っている。ここ最近できた『いつものこと』である。失笑の雰囲気がそこかしらから如実に現れ、梓劉に至っては声を立てて笑った。
重苦しい、溜息。
黒衣の集団の中、ひとり魔物が無駄のない動きで立ち上がった。
「毎度毎度言うけどわたしは廻り役で、指名されるいわれはないんだがな……。―――……あのクソガキ、今日こそ細切れに刻んでやる……」
部屋の片隅。白刃の曇りを確かめるという内容の作業の手を止め、立ち上がった夜色の魔物。もう一度灯りに直刀をかざしてから、それを鞘に収めた。この具合ならよほどの物でも切れるだろうと満足して、帯刀。
そうして苦虫を百ほど噛み潰した白皙に、手馴れた仕草で覆面を巻く。キュッっと小気味よく布の端を引っ張り、括りとめれば完成である。顔は隠せても内側からほとばしる剣呑な気配は隠せぬまま、足取りも荒く戸口を目指す。
「旦那によろしくな〜。仲良くしろよー」
振り返り、魔物の怒りをたたえる瞳の色は紫紺。
冴え冴えとしたそれに射抜かれ、梓劉はたたらを踏む。
同僚が怖かった。
同僚の名は夜那。
なんの因果か瑠楼殿一の遊女、亜夜の実子であったりする。
そしてそんな愉快な話題以上に、『瑠楼殿の名物守護』として一部の魔物の間で名を馳せているあたりが、この魔物の地味に凄いところである。と、彼などは思っている。
当時、瑠楼殿の夜那と言えば知るひとぞ知るプチ有名人であった。
―――理由はまた、追々。
「冗談でもそんなこと言ってると、あれと一緒に刻むぞ梓劉」
夜那は捨て台詞を残して立ち去る。うーん悪役のようだ。
「刻むな、一応客だ」
興味なさ気にペンを走らせながらそう言った師――京石の言葉が耳に入ったかどうかは、本人のみぞ知る。
二.
その『いつものこと』の始まりは、今からちょうど半月前のことである。
その夜、瑠楼殿が大広間にバカ騒ぎをする一団があった。
バカ騒ぎするのはいい。ここはそう言う場所だ。酔っぱらい浮かれ騒ぐ男たちと、それに便乗するようにかしましく声を上げる遊女たち。
へそ踊りだの、イッキやりますだの、耳がおっきくなっちゃっただの、きゃいきゃいとやかましくよろしくやっていたのだ。ここまではよかった。
変な方向に話が向いたのは、この座敷を買った男の一言からであった。
「そういやよ、ここってすっげえ美人の太夫がいるんだってなぁ?」
傍らの遊女を引き寄せてその魔物は言った。
しどけない様子の遊女に酌をふるまわれながら、いい感じにできあがっている白金の髪をした男が耳ざとく声を上げる。
「え、そうなんですか? 苑笠さん」
そうなの? と男は酌をする遊女にも尋ねる。
「嫌やわ、雷吼はん。あたしいうモンがありながら、よそのひとのこと気にするやなんて」
遊女がふくれて抱きつくと、雷吼は笑ってそのまま抱き寄せた。それを笑い見て、苑笠に問われた遊女は答える。
「よう知ってはりますなぁ、苑笠はん。亜夜太夫のことでっしゃろ? それはもちろん、ほんまにえらい別嬪ですえ。匂いたつような美貌ゆうんは、ああいう方を言うんっでしゃろうなあ。女のうちかて惚れ惚れする美しさですえ」
苑笠は苦笑する。
「しっかしいくらいい女だとしても、ここの太夫じゃなあ。オレくらいじゃ一生お相手してもらえねえよなー」
本日は良い事があったための奮発デーなのだ。それでもこの妓楼では、格で言うなら一番下から二番目の座敷しか手配できていない。―――金銭的に。
杯をあおって差し出せば、絶妙のタイミングで女は酒を注いでいく。朱に内塗られた杯になみなみと透明の液体が満たされていく。
「確かにねえ。亜夜姐さんの相場はこのお部屋の十倍ですよってに。けどそれでもお客さんは一日たりとも絶えへんねんから、お店にとってはありがたいことですわ」
「十倍って、そりゃすげえな」
雷吼が目を丸くすると、数名の男たちの誰かが声を上げた。
「それだけいい女なら、相手にされなくてもどんなもんか見てみてえな。目の保養ってやつで」
「いいね、見るだけはタダってな」
笑いが大広間を揺るがす。
よし、と苑笠ががなった。
「雷吼、それから蒐廉。お前らふたりでちょっと拝んでこい!」
「ええ!? 俺ですかー?」
蒐廉が嫌そう眉をひそめたが、雷吼は賛同の意を込めてぽんと膝を打つ。
「それ、いいっすね! 行こうぜ蒐廉。絶世の美女とやらを拝みにな」
ふらりと立ち上がる。
「なあ、どこにいるんだ。その太夫?」
傍らにいた遊女に質問するものの、「そんなん知らへんわ」とあさって方向を向いたままこちらを見ない。肩をすくめて違う遊女を見やった。
苦笑しつつ遊女は言う。
「雷吼はん、やめといた方がよろしいわ。太夫の部屋は妓楼内でも奥でして――庭園に面した離れがそうですけど、そこらへんは人通りも少ないですから直ぐに目に付きます。……見つかったら最後、店のもん相手に面倒ですえ?」
やんわり行くなと言われているのだが、気持ちよく酔っぱらった魔物相手には無意味であった。
「大丈夫だって。余裕だって。―――おら、行くぞ蒐廉」
どこからその自信はわいてくるのだと心の底から問い掛けたい。
雷吼は渋る魔物を引き起こせば、騒がしいばかりの室内を見やって声を上げた。
「じゃあオレたち、高嶺の花を拝みに言ってきまーす!! 保養してきまーす!」
おどけて言えば、どっど男たちが沸く。
「うらやましいぜ! お前らが成功したあかつきにはオレも行くからな」
笑う男はまだ知らない。
向かう先には妖艶なる美女だけが、待ち構えているのではないことを。
夜の名を持つ魔物には、夜の色が寄り添う。
三.
せっかくここまで来たっつーのに!
こんなところで、覗き見と言う高尚かつ崇高な役目を放棄しなくてはならないのか。あと少しなのだ。
現れた三つ目の陰法師を、うらみがましく雷吼は見つめる。
白刃の煌きを携える、夜が、彼を見た。
ぞくり。悪寒と高揚感が走る。
覆面姿の黒装束。男としてはいさささか華奢な立ち姿。
―――強いな。
う、と蒐廉が詰まれば、覆面の魔物は笑ったようだった。
隙。
「お客様におかれましては、このような場所で何をされているのでしょうか?」
かすかなる動きを見せれば、それだけで鋭利な紫紺の眼光と白刃が待ったをかける。
おいおいマジかよ。
金と紫紺の視線が交わった。
「事と次第によってはわたくしにも考えがございます」
じわりと汗がにじみ出る。
と、冷えた空気が一瞬の内に緩和した。紫紺の瞳がふと笑みの形に弧を描いたのだ。
「さて、いかがなさいますか?」
諦めモードに入った蒐廉を横目に、雷吼は言う。
「……チラッとどんな太夫なのか、見せてくれるだけでいいんだけどな」
「お引き取りください」
「ほんのちょっと。ちょびっとだけだから」
食い下がる。
「お引き取りください」
「ケチくせぇなあ。いいじゃん、どれだけの美女だったか宣伝もしとくし!」
ここで、間があいた。
「……表玄関から、正規の方法でご予約を。我が妓楼の太夫は、ただで姿を拝めるほど安くはないのです。その価値を下げるとおっしゃるならば―――」
怖ぇえ! なんかすげえ怖ぇえ!
度迫力だな、空気が寒いぞ!
茶化して見た、細まり冷えきった紫紺の双眸。後悔した。そらせない。
「わたしがあなた方を排除しますが、それでよろしいですか?」
鍔が鳴る。
「雷吼」
そらせない。そらせばそれは、負けを意味しているような気がして。
「雷吼」
血の気の失った蒐廉に呼ばわれた。音が甦る。
「……お前、誰?」
魔物は白刃を鞘に収める。
「この先の存在を守護する者。―――名など必要ないでしょう」
「ふーん。じゃ、まいっか。オレは雷吼ね。覚えといて」
踵を返した。
はっと現在自分の置かれている状況をかんがみる。
「い、言っとくけどな、逃げるんじゃないからな!」
「さようですか、またのお越しをお待ちしております雷吼殿。太夫の部屋の指名料は一晩につき百万円からでございますので」
顔が引きつる。
「―――ぼったくりかよ……」
紫紺はなんの、と微笑む。
「正当な料金でございますよ」
彼は口の端を持ち上げて見せた。
「そりゃあいい。オレは倹約家でね、いかに安く暮らすかに命をかけてんだ」
絶対、いつか出し抜いてやる。
帰還した座敷。スパーンと開いた襖から多数に及ぶ好奇の視線が投げかけられた。
うざい。
「おお。どうだった? 雷吼、蒐廉」
尊敬する魔物の声――苑笠の声に、雷吼は幾分か気持ちを改めた。
「……太夫の部屋の料金は、百万円からだそうですよ」
言われた男は一瞬面食らって、笑った。
「おーい、賭けはお前らの勝ちだ。クッソ、予想以上にガードが堅いな」
にまにまと笑う仲間連中。賭けの対象になっていたらしい。
気持ちの衝動のままに手近にいた仲間を蹴っ飛ばし、彼は席についた。遅れて席についた蒐廉が、機嫌の悪い雷吼を避けた仲間に取り囲まれる。事の次第を根掘り葉掘り聞かれているに違いない。
肘掛に肘をつき、それを見やりながら彼は思考する。
慇懃な口調。その声音を思い出し、苛立ちと共にふと疑問が過ぎった。
「……ありゃ男、女どっちなんだろうな」
「え……? どうしたんよ、雷吼はん」
いそいそと近寄ってきた遊女が、とっくりを手に笑みを浮かべる。
「んー? ああ、さっき見たヤツのことなんだけどさ。―――ああ、お前紫紺の目の覆面知らない?」
「それは廻り役?」
頷き返せば、心得たように彼女は押し殺した笑みを浮かべた。
首を傾ける。
「雷吼はんは知りはれへんのやね。―――その方、亜夜太夫の人気の秘訣やよ。一部のお客様には有名なお話」
え、何それ? 興味をそそられる。
遊女はさらに笑む。
「あら、どうしはりました?」
「―――杏里、お前いい女だな……」
うそぶくように笑み続ける女の頭を抱き寄せ、耳元で言う。花の香りがする。
「また来るからさ、教えてくれよ」
「もう、ホント嫌やわ。あたしが雷吼はんのこと好きなこと知っててこんな。―――妬けますえ」
遊女は言葉がウマイから怖い。苦笑を禁じえない。
「じゃあ、その好きなオレのために教えて? どういう話だそれ」
これが演技ならばまさしく迫真の演技で頬を染め、遊女杏里は口元に袖を当てた。
「んもう、いいですか。普通、垣間見くらいはどの妓楼でも許されます。けれども亜夜姐さんのお部屋だけは違います。ひとり、鉄壁の防御がおるから」
宴の最中に合って、女の声はひそめられた。
「絶対、他のひとに言わんといてくれる?」
「する。約束する」
女の赤い目が細まる。
「―――亜夜太夫にはひとり子供がおってな、それがまたえらい母親想いの魔物で―――この妓楼で廻り役として働いてるんよ。そういうこと」
話が読めた。
つまるところそのマザコンな魔物は、母親に近づこうとする男を過剰なまでに追い払っている。そういうことだろう。
客以外は許さない。あの目にあった断固とした意思はそれか。
「ふーん、それはそれは」
けったいなことで。
―――おもしろくない。
そうして彼は首をひねった。一体自分は、何がおもしろくないというのだろう。
杏里は続ける。
「子供がいても許される、しかも当の子供が異常なまでに男を近づけさせようとしない。―――少し事情を知った方々が、どんな太夫だと思うのは道理ですえ。ひとは、隠されれば隠されるほど裏が見てみたくなるものですよってに」
「……だろうな」
杯を指先で弄ぶ。
「六代目もひとが悪いわ。廻り役の多少のやりすぎに目をつぶるのは、そういう経営えの旨みがあるからみたいで。―――……いっつも、怪我ばっかり」
言った遊女は親しみを込めた目で、同時に悪戯めいた目で雷吼を見やった。
「あのこ、一見性別がハッキリしないでしょう? 身長高いけど身体つきは華奢で、声もどっちつかず。どちらやと思う?」
難問である。
「マザコンだろ。……男か?」
その答えに杏里はなぜか満足したようだった。
ふふ、と笑みをこぼす。
「残念、はずれです。―――かの廻りの役は、女ですえ」
雷吼に、衝撃が走る。
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