生まれに生まれたり、九人のひめぎみ。
王子はただ一人ともいらっしゃいません。
としおいた王さまはおっしゃいました。
十番目に生まれたわが子を、王とする。
お生まれになったのは、とびいろのおぐしをなされた ひめぎみであられました。
初めての王子がお生まれになったのは それからまもなくのことです。

―金色のストリスク―
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巨大で壮麗な一室。その室内にあってなお巨大な絵を前に、アルヴィス=セルトベルク=フォン=エスティカリアは笑みを刻む口元に指先をあてがい歌うように問う。
「さてイェイン、随分大きな絵だけどこれはなんだろうね? 政務を終えて帰ってみれば置かれてあったのだけど、あいにく私はこんな馬鹿デカい絵は所望していない。落し物かな?」
<従者>はいくぶん畏まったようであった。無言の返答。
「イェイン?」
首元で一つに結わえた長い金糸の頭髪を翻し、イェイン=ターナスを振り返った者。エスティカリア帝国が皇太子その人である。
「さあ、おれ……――わたくしには判断しかねます」
二人きりではある。しかしながら近衛が傍にいるため一人称を改めた。
「目が泳いでいるけど」
「泳がせておいてください」
芝居がかった仕草で肩をすくめ、アルヴィスは再び蒼の視線を絵画に戻す。200号ほどであろうか。大の男が両手を広げて、それでもなお余りある横幅を持つカンバス。重厚な金の額縁と合わせればとにかくデカい絵である。名書きを探して裏を覗き込めば――描かれてからそれほど時間が経過していないのだろう、独特の絵具と油の臭いが鼻をついた。
アルヴィスは全貌を拝むため、体の向きはそのままに後ろへ歩みを進める。
繊細に描かれているものは姫ばかりが五名。油絵である。色とりどりの衣装に身を包んだ娘たちが椅子に腰掛け、あるいはその傍らへ寄り添うようにすっくと立ち、澄ました顔で――しかし中々に愛らしい顔つきで、各々こちらを見つめている。
何に納得しているのかふむふむと頷いていた彼であったが、ふと絵画への視線を断ち切ると両開きの戸口へ滑らせた。顔は動かさぬまま許可の意を込めて片手を挙げる。命じられるまま扉の前で微動だにせず控えていた近衛二名が、それぞれうやうやしく金の取っ手に手をかければ、現れたのはアルヴィスの側近を勤める老侯爵である。入室し一礼した彼は破顔一笑した。
「おお若君、さっそくご覧ざれましたかな。いかがですか? 見事な美姫ぞろい。さてはて、どなたになさいますか」
皇太子の表情は笑みが刻まれたまま揺らぐことがない。
自然、顔が強張りイェインの背筋に冷たいものが流れた。しかし<この王子>の側近を長年務めてきたのは伊達ではないらしく、老爺は彼特有の人好きのする笑みを浮かべたまま、嬉しくてたまらないといったように頷いてみせる。凄い。
「お喜び下さい、隣国サリアディート皇国との縁談が決まりましたぞ。ささ、お好きな方をお選び下さい。よき日を見計らって御興し入れを」
白い髭を膨らませ、ふふふとこらえきれぬ笑みを漏らす。黙ったままの主を見やり、
「どうです!! いつもいつもいつも! このか弱き爺を謀って下さいましたが、若、わたくしにも少しは知略というものがございます。内密に隠密にご縁談の方を進めたのでございますよ。これで我が国もさらに繁栄することでしょう」
ユィーマン老侯爵の晴れやかな笑みに、いよいよイェインの額に冷や汗が浮かび始めた。案の定アルヴィスの笑みを描く蒼が彼を捉える。
「イェイン、お前は知っていたのか?」
「……は、はひ」
ふーん、と呟いたのは皇太子。侯爵は得意満面に胸を張る。
「イェインについてはわたくしが口止めをいたしました。お解かりとは思いますが、そちらの絵画はサリアディートの方々から送っていただいた姫君の肖像画。本日届いたばかりです。お返事の折には七の姫エスティアナ様がお相手だと聞き及んでおったのですが……――彼女の個人の肖像と一緒にこの絵が届けられたということは、五名の中から好きな方を選べということなのでしょうな。どなたになさいますか?」
いやはや参りますな、モテモテですな若。もはや有頂天である。
「セルディアス、ご機嫌だね」
ニコニコとアルヴィスは微笑んでいる。
「もちろんですとも! もちろんついでに、エスティカリアからは若君の肖像をお送りしておきました。さあさあ! 心おきなくご縁談のまとまる日を楽しみにしておられませ!」
「……私の、肖像画?」
小首を傾げる。
「秘密裏に行なうためには宮廷絵師に描かせてはいささかまずいもの。ですから今回は市井に居られる名士をお招きしました。先日謁見していただいたロッテカヴァネス様です。完成した品は見事な一品でしたぞ」
やられたな、そんな台詞が聞こえてきそうな苦笑を浮かべるアルヴィスは前髪をかき上げる。
セルディアス=ルド=ユィーマンは満足であった。
「観念なさって下さい。もはや若といえども引き返せません、年貢の納め時ですな。おとなしくその御身、お堅めになっていただきますよう」
「……まいったなぁ」
アルヴィスは苦笑のまま繰り返す。
「まいったな、あれは私を描いた絵だったのか。――どこの道化かと思っていたんだけど」
室内の空気が微妙に硬化した。
飄々と金の髪を揺らし彼らの主は歩いていく。まっすぐに奥の寝室へ向かえば、大天蓋に覆われた寝台の下を覗き込んだ。
いよいよ不穏の空気が辺りに立ち込めていく。
老侯爵の笑みが盛大に強張った。形良い白き指が寝台の下から引きずり出すもの。もちろんいかがわしい本などではなく……。
眩暈を覚える。
どうしてそれがそこに。
一枚のカンバスを片手に、アルヴィスはうむと怪訝に眉を寄せた。
「白い衣装に白の長衣、金の装飾。どこのオウジサマだろうね」
普段の笑みに緩みきった顔からそれを取り除き、三割増美化されたアルヴィス=セルトベルク=フォン=エスティカリアの肖像が、そこにはあった。
ありえないことがありえている。
いろんな意味でそれはまずい。まずいのだ。
「な、なななぜそれが――」
どもるセルディアスにちらりと笑う。
「もちろん私が秘密裏に内密に隠密に手を回したからだね。最近周囲をこそこそと観察する目が気になったから、ちょっと侍女に頼んでみたら教えてくれたよ。ちょろいな」
勝ち誇った眼差し。
がっくりと、白いものをたくわえた顎を落とした側近はやがてふるふると拳を作り、
「これで四十六敗目……。また、やられた……!」
「やられましたね、ユィーマン殿。分かっていたことですが」
主に目をやれば、やれこの目つきはなんだだの、やれこの口元が気に食わないだのと絵の品評を始めている。そこで侯爵はようやく事の危うさを思い出し、冷や汗をかきかき皇太子に向き直った。
「そのようなことはどうでもよろしいのです! ちょろいな……ってどうするのですか! ほくろを忘れているのがどうしましたか! それは、それは先方とのお約束の品。ここにあることはおかしいのですよ、若! 規約の反故ではありませんか!」
「意外に普通なことを言うね、セルディアス。もうちょっと面白いことを言いなさい」
ぽいと興味を失った絵画を放り投げ、彼は眉根を寄せる。
「私の承諾を得ず、こんなくだらないことをするならね。――イェイン」
「は」
身をすくめるイェインへ、アルヴィスはいっそ朗らかに声を落下させた。
「この絵を描いた画家に褒賞を与えてきてくれ」
「……は」
是の反応を返すものの下された命令の理解ができなかった。いや、内容の理解はできる。問題は命令を下す『理由』である。
すると心中を読んだように答えは返ってくる。
「だって凄いと思わないかい。私が一度足りとも袖を通したことのない衣服に、したこともない表情を合成して描いてあるんだよ。それでもかろうじで私だと分かる。腕がいいね。――宮廷画家としては呼ぶな。かわいそうだ。私が後援者になると言っておいて欲しい」
「左様でございますか」
意味不明である。もっともそれがこの太子が太子である由縁でもあるのだが。
ストリスク――エスティカリア語で変わり者、奇人の意である。
『金色のストリスク』とは宮中の人間ならば誰でも知っている太子の別称。エスティカリア帝国皇太子は貴人ならぬ奇人とは、短からず仕えてきた彼が認める所である。太鼓判を押してもいい。
しかし――、
「それで、どうするおつもりですか」
帝国の不利となる外交問題になりかねない。
「心配性だね私の従者は。安心するがいいよ、書状を書いておいたから」
イェインの問いに答え、再び姫君の肖像の前に立ったアルヴィスは前のめりに顎に指を置きまじまじとそれに見入った。
「書状とは?」
セルディアスである。
ん、と観照する太子の眉が跳ねた。
「なあ、侯爵。サリアディートの姫君は全部で十人だったような気がするんだけども」
「――……はい、そのように記憶します」
諦めの吐息まじりの答えだったが珍しいことではない。主の話す内容がいきなり違う方向に飛ぶのが珍しいことではないように。
ニヤ。
ひどく不吉な――彼らにとって、笑み。それが口元に浮かぶ。
「そうかそうか。――それはとてもいい感じだな」
一人合点。これもまた主に限っては珍しいことではない。従者二人はおとなしく控えていることにした。できればこのまま回れ右して退室したいくらいには、おとなしくしていることにした。
「セルディアス、私はやはりサリアディートを訪問するよ。どうせだからと、そのように書状も出したことだしね。さすが私、用意がいい」
「は!?」
「なんだいその素っ頓狂な叫び声は。――いいか、ちょっと聞きなさい。あの国の姫十人の内わけはこうだ。一から三の姫は既に隣国へ嫁いで、四の姫は名ばかりの女伯爵として政治へ参入しているはず。となるとサリアディート国皇が矜持に持て余す姫の数は残り六名」
イェインがああ、と反応を返す。
「事実上、皇太子妃にと差し出された姫は五名。残る一人はどうした、とうことですか」
「そうだよ! これぞまさにお家騒動の臭いだね!! きな臭い。一見の価値があると思わないか?」
若者と老爺は視線を交わす。
始まった。
そう思わずにどうしていられるだろう。
「まったくワクワクするよね。宮中ほど愛憎入り乱れ、思惑の飛び交う場所はないのだから」
他人の不幸は蜜より甘い。言って彼はユリの蜀台の乗る、飴色に磨きこまれた広い木製の机――その金細工の施された引出しから一通の書状を取り出す。封蝋にくっきりと捺された文様は鷹と帆船。サリアディートの紋章である。
従者二人に書状をかざし、
「先日私はサリアディート行きの荷車を止め、例の肖像と引き換えに手紙を持たせた。『せっかくの貴国との親睦の機会。肖像などではなく、わたくし自身が生身を伴って直接赴きましょう』ってね」
手に持つ書状はその返答。
「もろ手を上げて一同お待ちしております。とのことだよ。もちろん、私でなければ行えない政務は終らせてある。行っても良いよね?」
きらきらと輝く主の瞳を見、市井生まれの皇太子付き従者――イェイン=ターナスと、侯爵という地位でありながら皇太子付き従者を勤めるセルディアス=ルド=ユィーマンは、同時に溜息を落とした。
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