十番目に生まれたわが子は またしても ひめぎみ。
 年老いた王さまはたいそう おこまりになりました。

 はたして ひめぎみが国をおさめていくことなどできるのでしょうか。
 このままでは心配で 死ぬこともできません。
 ですから王さまは、姫が5つになられたある日、ひとつ問題をお出しになったのです。

 上にあって下にあり、決して動かぬものとはなんぞ。

 十の姫はおこたえになりました。
 それは王位ですね。民なくして王はありえないものでしょう。けれどもやすやすと動いてはなりません。

 王さまは やはり お認めになることはできませんでした。
 さいしょの王子がお生まれになる前のおはなしです。


『十番目の姫君』
―金色のストリスク―



 エスティカリア帝国とサリアディート皇国の間には内海が横たわる。
 内海ル・ゼータは海の女神の名を冠する通り暖かく穏やかな海流に包まれ、漁師たちに多大な恵みをもたらしていた。
 その蒼き海に、今、帆船の一団が燦然と陽光を受け緩やかに航行する。白い帆、漆黒の船体側面に刻まれる紋章は獅子と唐草。エスティカリア帝国船である。
 蒼く眩しい敷き詰められた光景に目を細めたイェインは、次いで主の姿を甲板に発見した。
「本当に来ましたね。おれ、実は海を見るの初めてなんですよ」
 ブロンドの束ね髪を潮風に吹流し、海面を見つめながらアルヴィスは笑う。
「お前は落ち着いているな。私が初めて海上で海を見た時にはもっと騒がしくしていたものだよ。いつ見てもすばらしい光景だ。さほど経験があるわけではないけどね」
「そうですか……? 壮大だとは聞いていましたが、おれには生憎水の塊にしか見えません。陸が見えないと、どことなく落ち着きませんし」
 これは事実であった。見渡す限りの水。イェインには海上という場所がひどく頼りなく思える。ここはお前のいるべき場所ではないと浮き足立つ感覚。人は陸の生き物だと。
 アルヴィスは穏やかな横顔をさらし、手すりに肘をつき指を組む。
「だからこそだよ」
 風が吹く。海鳥が声高く鳴き、風に乗って流れて行く。
「――……ここでは我々全てが異邦だからね」
 零れ落ちた言葉のほとんどは風にとけ入り、しかしそのごく僅か一部分がイェインにそっと届けられた。従者は頭を振る。別の話題を持ちかけることにした。
「それで若、ご結婚はどなたとなさるかお決めになりましたか?」
 船の行き先はサリアディートである。皇太子の前言通り(あの瞬間この航海は決定されたようなものだった)サリアディート皇室をひやかしに出るのだ。
 皇太子妃選定のため他国へ皇太子自ら赴く。あまり行なわれないことであるが、アルヴィスにすればそれは"当然"に値するらしかった。まったく無駄に行動派だから困る。そう言えば以前もそうだった、去年の秋のこと突如銀杏が食べたいと言われて――。
 イェインは深みに嵌りかけた思考を苦々しくひきずり戻す。
 去る日より両国間が公式に文書を交わした結果、旅の工程は五日前から一月(ひとつき)と定められた。取りあえずのところの"名目"は一週間後サリアディートで執り行われる、ルヴァーン・アイディス剣術大会の公式観戦である。隣国でも稀に見る盛大な大会であり、過去に数度エスティカリア皇帝も観戦に訪れていることから、おふざけの隠れ蓑としては十分に機能することだろう。
 問いを受け、なお海を眺めていたアルヴィスは、ようやく従者を横目で見やる。
「――ん? そうだなあ。行ってみないとなんとも言えないけど、一番私と結婚したくなさそうなお嬢さんと結婚するよ」
「……は?」
 何の冗談だろうとイェインは微細に眉をひそめた。今更不躾な行為だとは感じない。
 妃の選定のため他国を訪問する。ないことはない、しかし実際に政治の間で起こるわけがない。そういうものは民草の娯楽を重視した話題性のためだけに存在し、真実裏ではどの姫君を妃として迎えるか既に決まっているものではないのか。
 自分のように身分のない者には情報が降りてこずとも、すでに決まっているものだとイェインはそう思っていたのだ。
 ――ましてやこの若様のことである、何も考えずに行動するなどありえないだろう。
 何しろ常に一の行動で三の結果を得るような、非常にせっかちな人物なのだ。またユィーマン侯爵曰く、向こう側が用意したエスティアナとかいう七の姫をそのまま受け入れているとも考えにくい。
 アルヴィスが拗ねた町娘のように束ね髪を指にくるくると巻きつければ、陽射しにブロンドの色彩は極彩色に彩られた。ロクに手入れをしていないはずの頭髪は酷く美しく、宮中のご婦人方にはさぞや羨ましいことだろうなと彼はあさっての方向に思考を飛ばした。
 そこへ声が落ちる。
「だって、私は結婚したくないのに向こうはその気まんまんとかちょっとズルイじゃないか」
「……政略結婚が嫌なのですか? それならそうと貴方ならいつも通りにすれば良いんじゃ」
 しかしアルヴィスは自ら書状まで出してここにある。
 ということは、だ。とイェインはまとめにかかる。もしかするとここらで趣向を変えて、自らこの婚約をぶっ潰しに行くつもりなのだろうか。天啓のように思い、スッと背筋に悪寒が駆け上がった。胃が痛む。どうしてもっと早くに思いつかなかったのかと唖然とさえする。
 ――それならそうと、前もって教えておいて欲しい。是非とも! 心の準備という物ができる。前準備なしで何かしでかされるよりも、ずっとマシだ。
 視線を投げかけても、高貴な人の蒼の瞳は通常の通りの笑みを湛え、表情を読み解くことは叶わない。
 この海のような眼だった。穏やかな表情を刻んだ海面はふとした瞬間に嵐となって牙を向く。豊かな暮らしを与えていたその御手で眼差しで人心を惑わし、海中深くへと引きずり込む。
 アルヴィス=セルトベルク=フォン=エスティカリアは大仰に肩をすくめた。
「いやそれは構わないよ、国のためだからね。ただ、そういうお嬢さんの方が『こんな結婚嫌ですねぇ』『本当ですよねぇ』って気が合いそうじゃないか」
「……そうですよね」
 真面目に聞いていたおれが馬鹿でしたよ! と言いたくなったイェインは、仕方ないので主がこちらを見ていない間に同じことを目で語った。
「なあイェイン」
「は、はい……っ!?」
 裏返る己の声は非常に正直だった。
「『真面目に聞いていたおれが馬鹿でしたよ!』ってな感じでうるさくないかい」
「幻聴です」
 結局のところどんな印象を受けたしても主は奇人であり、金色のストリクスであることに変わりないのである。

 二日後未明。一週間の上りの航行を終えた帝国船はサリアディートへ着港する。相も変わらずル・ゼータ海は凪いでいた。

  ◇ ◇ ◇

 サリアディート国皇が居する土地を、ライアガードレイドという。皇都。
 都の全容を説明するならば、まず最下層に位置するレンガ造りの民家が椰子科の樹木と共に、まばらな環状に取り囲む。続いて白の漆喰ところどころ剥げる一般家屋がずらりと軒を連ね、そこに入り組むようにょきにょきと手足を伸ばし存在するのが賑わいの街。商店の群。生きとし生けるもの全てが集まる場所である。
 さて、ここで大きく路は隔てられる。次の階層が貴族の居住区であるからだ。整然とした公園広場が広がり、騎士達が闊歩する様をよく見られるのもこの辺り。木々があり、花がある。恰幅のよい貴族の屋敷が土地を彩る。そうして都の中心部、俯瞰(ふかん)すれば放射状の路道が集合する、やや丘めいた場所に巨大な石造りの城はある。
 貿易と漁業の国サリアディート。海に面した場所柄特にライアガードレイドではそれが顕著である。
 船乗りの休憩地として、航海と貿易の要所として――隣国から人々が波のように押し寄せ絶えることはない。活気の都と呼ばれるわけである。そうした人々が落としていく金銭により国は豊かだった。様々な、余りに多用な人種がごった返す土地。
 だからであろうか。有り余る熱気を発散するための娯楽を人々は求めた。いつしか都の北外れにある山腹を削り、闘技場が建設されることになる。
 このような突発的とも言える建設由来を持つ、ライアガードレイドの『ルヴァーン・アイディス剣術大会』であるが、今や近隣諸国が知らぬ所ではない――少年ならば一度は夢見、剣を握りたくなる由緒正しき大会なのだ。
 何せ御前試合である。王が観戦するのだ。
 庶民のための庶民による庶民の剣術大会であるからして、騎士は参加できない。それもまた人々から支持される由縁だった。
 年中を通して気候穏やかな土地、サリアディート。
 季節は春小麦の収穫前。すなわち大会の季節である。
 都は腕を鳴らす者たちでぞろそろと人に溢れ、商売に活気が増す。宿屋が嬉しい悲鳴を上げる。
 ある者は優勝賞金1000ルード(およそ1000万円)を目指し、ある者は名誉を求め、またある者は王の御前に(はべ)り願いを訴える機会を狙い、やって来るのだ。ライアガードレイドは今、最も原始的な欲で溢れていた。
 そんな一年で最も賑わうこの時、誰もが浮つく中で彼女が浮ついた気分で居るのもまた道理。
 大通りの人ごみの中、他者との過度な接触を器用に避けこっぺぱんのような革靴を鳴らして駆ける娘がいる。年頃は十六、七。
 とび色をしたわた飴のような毛質のそれを一つにくくり、ふわふわと揺らしながら彼女は駆けていた。恐らくここにいる人間のほとんどが目指すところは同じであるに違いない。
 都の北部、闘技場。
 まもなく決勝戦が始まるのだ。
 娘は小柄な身体で人波に翻弄されながらきょろきょろと首をめぐらし、屋台の位置を確認する。財布をしっかりと握り、切込みを入れたパンに甘辛いタレで味付けされた鶏肉のから揚げと同じく揚げた玉葱を挟んだもの――チェットという、を売る屋台に顔を出した。下宿の関係で顔見知りの店だ。
「こんにちはスミスさん、チェット二ついただけますか」
「おおラティ、いらっしゃい。ここに居るってことはお前も行くんだな――まったく羨ましいな。俺はこの通りだよ。ああ、リーガルトさんも出場してるんだって?」
 あつあつのチェットを受け取り代金を支払いながら、ラティアリーズ=シルドは笑む。
「ええ、そうですよ。ミュヒのことですからこのまま行けば何事もなく優勝しそうですね。午前の部でも向かうところ敵なしな感じで……。もう本当に。1000ルードの賞金が出たら、ラスク(パンをカリカリに焼いて砂糖をまぶしたもの)を山ほど買うそうです」
「あの剣士殿は甘いものが好きなのか、こりゃあ以外だ。そんなもん食う顔には見えんな」
 豪快に笑う店主に、クスクスと笑み返す。その通りだと思った。
「では早々ですけど、もう行きますね」
「そうだな、時機が時機だ無法者も多い。気をつけろよ。財布は鞄の底にしまって、路地近くには例え大通りでも近づくな」
 はい、と頷き返した彼女は人の群に分け入っていく。それを一瞥しスミスは仕事へ戻った。今日ほど忙しい日もない。

  ◇ ◇ ◇

 果たして午後の部は開催された。予選から始まった試合はクジによる無作為な勝ち抜き方式。百余名ほどの挑戦者たちは次々と脱落し、残すは晴れの舞台に向かい立つ二名のみ。決勝である。
 息が詰まるほどの熱気の中、戦闘の幕は引けようとしていた。それはイェインならずとも試合を観戦している者ならば簡単に分かるだろう。
 余りに自明。
 およそ決勝とは思えぬほど二人の剣士の間には途方もない戦力差が存在した。歯がみする表情で振り下ろされた剣を、何も写さぬ涼しげな表情で受け流す人物。対戦者が弱いのではないとイェインは思う。強いのだ。
 剣士はいっそ冷ややかとも言える表情を、小揺るぎもさせずに間合いを取りなおす。手の平で(つか)を転がし握り直すや地を蹴った。宙に翻る束ねられたアッシュブロンドの髪はそれなりに長い。長い手足、広い肩幅、長身。簡素な衣服を身に着けてはいるが、何より動きが洗練されていた。太刀筋が自己流には見えない。間違いなく戦闘教育を受けた貴族の出であろう。
 あ、と思った時には勝負あった。(ふところ)に入り込むような形で身を屈めたブロンドの剣士は、相手の銀剣を丁寧に弾き飛ばす。
 回転しながら放物線を描き落下していく得物。それを目の端で追う対戦者の喉元に切っ先を突きつけ、視線で威圧する。勝負あった。
 わっと湧き上がる観衆を背に彼らの時間は凍りついたまま――勝者と敗者の視線がぶつかり合う。
「そこまで。見事な戦いであった」
 鷹揚な笑みを浮かべ拍手でねぎらう人物――サリアディート国皇――ジェルリド=ラッセルディーン=アーザー=サリアディートが御座から立ち上がると、剣士らはようやく緊張を解いた。
 剣を持つ者は鞘に収めてから、持たぬ者はその場で居住まいを正す。膝をつき、(こうべ)を垂れた。
 白い口髭をたくわえた姿こそエスティカリア帝国ユィーマン老侯爵を彷彿させるが、その本質はまったく異なる。どことなく愛着の湧く雰囲気を持つユィーマンとは異なり、ジェルリド王はひどく頑迷な面立ちを持った人物であった。
 イェインは主に視線を投げる。
 アルヴィスは悠々と与えられた玉座――サリアディート国皇席の隣である、に腰をかけ事の成り行きを見守っている。浮かべる表情は笑みは笑みでも嬉々とした笑みである。油断ならない。目が合った。視線で牽制しておくことにする。
 王は手を打ちながら六名の近衛を従え優勝者間近へと進む。
「面を上げよ。そなた、名は」
「は。ありがたき幸せ。わたくしの名はミュヒレイザ=アイリラ=ド=リーガルトでございます」
 鮮烈に王を見上げた双眸は茶。そこには動かしようない意志が見え隠れする。
 そう、ブロンドの剣士は女であった。
 どれほど長身であろうとも肩幅が広かろうとも、顎から首にかけての曲線、手の線、顔立ちが愉快なまでに女の性を示している。王の足元に侍る男顔負けの体躯は微動だにしない。視線もまた、微動だにしない。
 稀に見る――恐らくは史上初ではなかろうか、ミュヒレイザは女性の優勝者となったのだ。
「そうか、ではリーガルト。女の身で並み居る猛者を一蹴してしまう剣技、まことに見事であった。優勝の褒美は何を望む?」
 人々は息を呑む。
 戦闘は面白い。しかし優勝者が何を望むのかにもまた興味はつきないものである。
 黄金か、地位――名誉か、それとも。
 ミュヒレイザは今や挑むような視線でただひたすらに国皇を見つめていた。
「1000ルード、黄金は要りませぬ。王よ、わたくしの願いはただ一つでございます」
 朗々とした声は低い。
「わかった。ではそなたの願いを一つ、聞こう。王たる私にできることならば是が非でも叶えると約束する。言いなさい」
「……願いはただ一つ。しかしながら貴方様といえども決して叶えることはできますまい」
「どういった願いなのだ」
 憮然としたジェルリドから視線をはずすよう彼女は地に落とし、やおら顔を上げた。双眸で射抜く。
「わたくしの願いは、死者を甦らせることにございます。それだけでございます。いかな王と言えども絶対に叶えるはできぬこと、分かっております。――しかし」
 ざわついていた場内が静けさを帯びていく。
 戦々恐々たる発言を抱えたままミュヒレイザは深く頭を下げた。
「しかしこうして王の御前で愚を犯すほどに、わたくしは彼の方をお慕い申しております。賢き、気高き方。そうしてそれをただ、貴方様の前で明言したかった。さすればこの言葉に嘘偽りはないのだと、彼の方に証明できるでしょう」
 王は無言のまま、静かに剣士を見下ろす。
「ゆえに願いはこの愚かな行為を、寛容なるお心で見逃してくださること。それをお願い申し上げます」
「……確かに死者を甦らせることはできぬ。分かった。――許す、それでよいのだな。……そなたに安寧あらんことを祈ろう」
 弾けるように観衆から拍手と歓声が巻き起こる。轟き、会場を揺るがす。
 一体何だこれはとイェインは目を丸くした。一方確認すればアルヴィスがキラキラとした眼差しで女剣士を見つめながら拍手を贈っている。
 ――ああ嫌な感じだ。絶対、間違いなく! 面白い物を見つけたと思っている顔だあれは。リーガルトさん、申し訳ない。
 天を仰ぎながら近い将来起こることを心の中で詫びておくことにする。

  ◇ ◇ ◇

 無数の観客に混じるラティが表情を失っていることに気が付いた者は果たしてどれほどいたか。いたとしてそれを気に留めた者がどれほどいたか。
 アイスグレイの瞳はまっすぐに、遠く隔たれたミュヒレイザの姿を捉えていた。
「ラスクを買うって言っていたのは、嘘ですか……どうして。ミュヒ」
 膝の上で拳を強く握っていた彼女はすばやく席を立ち、観客席を後にした。