きつねらが宴をひらいています
 えんをくんで酒をのみ ほそい目をさらにほそめ
 月をわけあうための宴です

 そこへ つき のない夜
 たぬきが狩人につれられてやってきました

「やあ君たち、君たちはなんて――」


『十番目の姫君』
―エスティカリア帝国―



「そこの者、100ルードいや、金貨1枚で雇われてくれるか?」
 カイゼリアで納品を一段落させたバッセとジラルを呼び止めたのは、馬上より降る身なりの良い女剣士の破格の申し出であった「私を含む五名の者と、旅の同行を願いたい」
 男達は視線を見交わせる。太陽が中天を横切ってゆく。
 立ち止まった彼らを見とめ、ひらり馬を下り、およそ笑みを作るということを知らない口が詳細を話せば行く先はジスティック山脈だという。この時期に大枚を携えての帰郷は悪い話ではなかったし、何よりサリアディートなまりの貴族(間違いないだろう)と(つて)を得ておくのは、若輩者の商人である彼らにとって悪くない話だった。語弊があった。大変有益な縁である。例えばそれが、こんな風に厄介そうな話であればあるほど。
「ただし見たことを憶えず、考えたことを話さず、思ったことは考えない。――できるか?」
『犬になれ。――できるか?』
 さすがは貴族様、言うことが違う。

 その役割の呼称はない。
 物資運送時に貴人有力者の一行を同行させ――先導役を勤めるわけであるが、もちろん目先の危険を払う傭兵にはなりえないので鬱気を払う道化師に近い。口のたつ者はかつてその道中で起こったことを面白おかしく話し聞かせ、そうではない者はギルドの保有する安全なルートや現地の商人と口を利き依頼人の望むものを提供する。相場で考えても相場渡航費の半分と悪くない手間賃を、今回に限ってはそれに上乗せする報酬を手にできる計算になるのだから、悪くない依頼事である。
 苦節において汗水たらして溜め込んだ財布袋をじゃらりと掴み、ジラルは紫煙を夜空に吹き上げた。爪が伸びていた。飯当番バッセが馬に積んだ大量の旅支度()と共に戻ってくる。
「ジラル、あっちで飯だよ」
「どーも。っつーかお前、どこへ行くつもりだよ。行商か?」
 必需品の中、色鮮やかな布の束が見え隠れしている。
「土産物。機嫌を取ろうかと思って」
「ちゃくちゃくと準備が整えてるのな。よくよく平気な顔してられるよ俺達。何年ぶりだ、こええ……」
「さぁハッキリしないねえ。ま、いいんじゃない。今なら故郷に錦を飾ることができるというものだ――……たぶん」
 ジラルはおどけた苦笑いを浮かべ煙管から灰を落とした。腰袋に挿す。商会の息がかかった伝馬宿の主人に声を投げた。
「じいさーん! 俺この馬にするわー。またなー!」
「そりゃ高けえぞージラルー。おおいバッセ坊や、こりゃどうしたことだい。大事か?」
「ええ、まあ。真面目にやっていた若輩者に巡ってきた僥倖ってやつじゃないかな」
 支度金の中から支払いを済ませ、バッセは囁く。
「今夜からジスティック辺境領に遠足なんだ」
「ほっほ、砂金戦争かえ。きばるの」
「多分、軍人がそこへ行く。俺達は彼女について行くことになったから、他連中によろしく頼んだよロウイ爺さん」
 皺にうもれた笑顔で老爺は頷いた。

 さて、犬になれと望むような人物からの依頼であったので、実際の依頼主――金の出所はどれほど面倒な性格の人間なのだろうかと恐々構えていた彼らであったが、対面時、少なくともジラルは顎を落とした。
 これは余程である。
「はじめまして、リーガルト卿が従騎士ティア=ローランです。短くはない道中、どうぞよろしくお願いします。ティアと呼んでください」
 ほの暗い闇の中、三名の屈強な剣士、リーガルトと呼ばれた女剣士を背後に身なりの良い小柄の娘は、この世に悪は居ないのだという顔で彼らに挨拶をした。かすかになまった言語、なよなよしい仕草、持ち物、同行者、何よりも(いさか)いを前にした時期、帝都という場所――繋ぎ合わせればそのように推測するしかない。商会では有名な話だ。
『まもなく金が飛び交うことになる、取り残されるな、備えよ同志』
 第一にして、依頼主が一行の首長であるというのがありえない。パシリかよ。
 ならばこれは、噂に聞くサリアディートから輿入れした姫君、ではないのだろうか。エスティカリア皇帝も無茶をする。
 彼女を目撃した時点でジラルは彼らの旅の目的を聞かないことにした。病的にお気楽なバッセは「これは……思ったよりもいい商売だったかもしれないねえ」とへらへらと呟いていたが、彼はここまで深刻な場所に乱入したつもりはなかったのである。一切。
 そして、自称従騎士ティア=ローランは今、普通に過ごしていれば一生立ち入ることはなかったであろう場所に立っている。ジラル=ドナはいかにもジスティック辺境領らしい石造りの酒場で、普通に過ごしていれば一生(まみ)えること叶わなかったであろう、その横顔を見ていた。燭台の炎が陰影をつける横顔の持つ印象は、出会いから二日わずかに変化した。
 ひゅと空気を裂き、店の左側に設けられた的へ誰かが投げた得物が突き刺さる。賭博行為を繰る手は動いたまま、しかし人の声だけは消え失せた白々しいことこの上ない店内を見渡したティアは頓着せず再度口を開く。
「教えて下さい。ギルファニード氏と話をしたいのです」
「はっ……馬鹿が、耳が腐るぜ」
 初めに話し相手になっていた男とは別の商人がはき捨てた。
 ――うさんくさい。のだろうなあ。
 青い血の持ち主が商人と対等に話をする。替え玉かと思ってみたが、どうにもどうにも。
 にやにやと非常に感じの悪い笑顔で彼女を出迎えているのは、己の場に入り込んできた貴族に対する優越と嘲笑――だけではなく、場の空気を引き寄せておきたい腹積もりもあるのだろうと察せられた。
 何しろ一般人ならともかく、貴族が単身、ギルファニードの居場所をわざわざ酒場に聞きに来ているだけとは到底思えない。使用人とは何のためにいるのか。そしてサリアディートの音を持つ貴族が帝国でも山間の辺境領に来ること自体稀である。
 要するに、すこぶる怪しい。
 室内の空気が滞る中、女騎士――右前方からは人を殺しそうな気配が絶えることはなく、店内は剣呑、両挟みになったバッセとジラルがそろそろ苦しくなってきた頃、距離をはかることに飽いた慎重な小心者が握り締めた杯を木製机に叩きつけた。ミュヒレイザの柳眉が震えた。彼らの肩が飛び上がる。
 赤く飛び散り、四散するもの。
「貴族様よう、探しものなら憲兵にでも聞きな。ここは酒場だ。酒が、出てくる場所だ」
「そうだなお嬢ちゃん。女は酒場に来たからには男を騙して飲むか、男につぐか二つしかねえんだぜ。そいつぁおごりだとよ。飲むかい」
「いいえ、せっかくですが仕事中ですから」
 ハの字の眉が、指先を――頬からぬぐいとった一滴を見つめ顔を上げる。
「そうかいそうかい、ならついでみるか?」
「そうすることで何か良いことがあるのですか。私ばかりが奉仕するのでは、何だか不公平です。とても」
 表情を失した女剣士から視線をそらしたジラルに、見覚えのある男が鼻に皺を寄せた。「面倒を連れて来るな」という顔である。「うるさいこちらも商売だ」と顎を上げて返す。
『帰れよ』『できるか』
『馬鹿かお前』『お前よりましだ』
『やれよ』『やかましい』
『遅漏!』『早漏!』
 子供じみた空中戦を制したのは黒檀の杖であった。反射の動きで腰の得物に手をかけたジラルは、咽元で静止したそれにやおら目を落とす。
 酒場の主人を相手に一人酒を飲んでいた客だった。頭が横滑りしたような紳士然とした上質の衣服に身を包み、蓬髪に米神だけが白い男だった。杖が引いた。ジラルは彼が苦手だった。喧嘩相手も同じだった。おとなしくなる。バッセは感謝の意をこめて会釈する。
「奉仕、良いこと、ねえ」
 ティアと相対する四十がらみの商人は、笑みに湾曲しない眼球を微動だにさせず咽を震わせる。
「ここで見返りを求めるのか、そりゃあいい傑作だ。そいつは情婦の真似事だぜお嬢ちゃん。シンセツな男がお前さんを買ってくれるといいなぁおい、誰か買ってやれよ!」
 どっと沸く。
「貴族の女を抱ける機会なんてこの先ねえぜ、俺が買ってやろうか」
「女と言うにはちとこまかいが」
「おいおい、歳なんか関係ないくせによく言うぜ」
 酔っ払いは命知らずだった。
 轟く室内に大工が渾身の力で万力を固定する音にも似た、かみ締める奥歯のそれが細く低く、響く。恐る恐るかえりみれば白い顔に凍てついた茶色い目に剣呑極まりない光が宿っており、なんだかもう手のつけようがないように思われた。
「あの……」
 ミュヒレイザは唸る。
「ああ、大丈夫だ。……平静を保つ努力をしている」
「お、お疲れ様です」
 何がだ。
 分別なのだ。ただもう分別で逆転主従を演じている剣士なら、主人を辱められる状況に手出しできないのは恥辱以外の何者でもないのだろう。何かの間違いで許可が出た瞬間、抜剣のみならず、サリアディート貴族の特権でも行使してしまいそうな具合である。
 ――いかん、方々で面倒が勃発しつつある。
 ジラルは少し焦った。
 誘発させる因子はそこら中にある。こことかそことか、あっちとか。間髪の思案の後、仲介役に回ろうとしたジラルの二の腕をバッセが掴む。なんだよと振り払った手の先、両手がまあまあと掲げられ彼を押しとどめた。
「やめときなって。きっと彼女の迷惑だよ」
「馬鹿かお前。最悪俺達の仕事も干されるんだぞ」
 同業者内で心象を下げきってしまえば、全てにおいて本末転倒である。彼一人では個として商人としてできることがあまりに限られており、こうしている間にも立ち尽くす依頼主は変態酔漢どもの視線の餌食となり、約束の半金を握っている剣士の機嫌は急降下している。
「かわいそうだと思うのはもう少し後にしな。だってほら、彼女アレじゃない」
「別に思ってないっ。ああもう、どうしてそう、いちいち軽いんだ」
 ただ彼は、一人では分が悪かろうと思っているだけだ。この場にいる連中は三世と直接面会したことがあるような古株ばかり、こうして集まっていることにすら意味がある。しかも酒が入っている。
「俺達は、剣士にはなれないんだよジラル」
 しかしそれが自業自得の依頼人へ肩入れしない理由にはならなかった。たった三日間の行程でしかなくても、比べれば圧倒的に小さな歩幅で彼らの後を着いて来たのだ。
「子供だぞ。だいたい奴等の言葉には品性が足りていなさすぎる。もう少し、こう、何か言い方があるだろうっ」
 こそこそと、怒鳴る。
「そら出た。これだからジラルは常々女相手にすぐ騙されるんだと俺は思うよ。口紅つけて胸がついてる商人相手に交渉なんてさせられないもの。いい加減勉強しなよージラル、十一の時から成長が見られないよー。女だって嘘やハッタリをかます口がついてるんだぜー俺んちの四番目の姉さんなんか三つもサバよんでるんだぜー。まあそれは心優しくて良い心がけだと俺は思っているんだけどね」
 短刀から手を離す。恩知らずなことにバッセは黙らなかった。
「でもやっぱり余計なお世話だよ。俺達のは、想像でしかない」
 ティア=ローランの白手袋のはまった手のひらが、酒の入った木組み桶の取っ手を掴む。
 よし、そのまま頭にひっかぶせてやれそれくらいは許されるとジラルは胸中で「いけ、やれ」を繰りかえしたが、娘は平常どおり穏やかなまま、ぶどう酒をまったく正しくない場所にそそいでいく。
「これは、昔からのことなのですが……私には、どうしてそれほど飛躍してしまうのか分からない」
 こぼれ溢れた机上に立つ杯が赤紫に満たされていく。従騎士はふと生真面目な顔になった。
「簡単なことではないですか。これほど簡単なことにそこまで大きな代償を求めるというのなら、なぜお(こぼ)しになるのです。初めから、もっと別なふうに大切にしていればよいではないですか。よしんば大切にしなくとも、粗雑に扱うと決めたならばなぜ取り繕おうとなさる。――最初からあなたの持ち物であるのに」
 彼女の母語であった。
 丁寧な動作で持ち物を置く小さな手を男の静かに枯れた目が射抜くと、その口元に笑みが蘇る。なまりのあるエスティカリア語が再開された。
「初めにあって本当は誰もが持ちえたもののことです。引き離され外気に触れた瞬間失われてしまったもののことです。しかし無くせない、皆が欲しいはずのものです――さあどうぞ。お酒、好きですか?」
 杯のふちで危うい均衡を保ちながら止まり、丸く弧を描く水面が赤く揺れる。
「商人というやつは澄んだ金の音がしなけりゃ頭が働かなくてね、あんたの難解なお言葉が理解できんようだ。それとも言葉もまともに話せないあんたの頭が高尚過ぎるのか。さて」
「嫌です、お断りですよ。それを口にした瞬間、私はこの世で最も馬鹿馬鹿しく卑しい人間になれる」
 双眸が弧にしなった。視線がぶつかる。
「なんだ、汚れ仕事は嫌うのか。あんたらしくもない」
「私はあなたを知りません。けれども作為で人を騙し殺すのは、いけません。嫌だと言います。私は許容しない」
「全てあんたたちが望んだんだろう。当たり前のことを訳知り顔に語るのは楽しいかい」
「知っていないからここに来ているのですよ。――誰が、望んだのです」
 聴衆は――特に下っ端の商会員は困惑した。まさしく当人同士の互いに完結した話し合いであった。そもそも人探しであったものが、隠喩揶揄の飛び交う会話になる意味が分からない。互いの表情を探りあい、誰も心当たりがないのだと悟った彼らはより一層いぶかしい気分へと陥った。上が下に情報を下ろしてこないのは今に始まったことではないが、目の前で隠匿されるのはさすがに気分が悪い。いかにも重要そうな話であったので。
 商会員(かれらの)のまとめ役は手持ちのぶどう酒の底がついたこと悟ると一瞬顔をしかめ、背筋を正した。
「あっと、気が利かなくてすみませんクゼさん。酒頼みますか」
「結構。――なぁ、あんた本当に何をしに来たんだ。サリアディートに女騎士はいない、あるはずがない。それを加味して考えるとあんたがまくし立てたお喋りは嘘と都合の良い真ばかり、理すらない。つまるところ俺はあんたの泣き言を聞けばいいのかい。さっきから酒がまずいんだが……金とるぜ?」
「……お金のやり取りや責任の押し付け合いをしに、私は来たわけではありません」
 娘の頬が引きつる。
「誤魔化され “できない”と安堵するために来たのでもない。事のあらましと人の意思、これらを得た上で私はあなた方の王に迷惑だと告げに行きたかった。あなたも『泣き言』と言うからには知っているのでしょう、ならば彼らに対して随分と不公平(むごい)ではありませんか」
「はっきり口にしたらどうだ、首の後ろがかゆくなる。悠長にすぎるぜ」
「この町で、一体何が起こっているのです。砂金で一発大儲けなどと夢想にすぎないものを使ってまで、騙し動かし呼び込んで、あなたの得たいものは何ですか。他人の命を削ってまで得られるものはなんだと言うのですか!」
 商人は相好を崩した。口角をむずむずと震わせて、指の先をとんとんと噛みあわせて。
「こりゃあまた、邪魔くさい……俺はあんたを哀れには思わないぜ。どちらかと言うと虫唾が走る方だ。まあいい、聞いてやろう。話せ」
「迫害しようとか強奪しようというのではありません。初めに砂金の話だと言いました。どうにも腑に落ちない。商会に属する人間がここにいても、何も手に入れることはできないのですよ。なぜならば」
「さっそくで申し訳ないが、あんたの言葉は理解に苦しむな」
「なぜならば、あなた方はすでに帝都の怒りを買っているからです。面目を潰してしまった。ついでに利用しようとしてみた。怒られますよ。私みたいな面倒くさいのが来てしまったことが証左になるとは思いませんか」
「そうか、帝国の差し金で来たのか。軍服を着た皇国の言葉を話すお嬢ちゃん」
「この中にアガサスが帝国に殺し合いで勝てると思っている方がどれだけいますか。どうしてそれで鉱山に絡む利権を商会が得ることができるのですか。ギルファニード商会の代わりはこの世にありえないと本気で信じているのですか。よくもまあ、愚かな」
 これで色めき立たないほど、彼らはおとなしくなかった。クゼ・エヌバを取り囲む商人の一人が声を荒げる。
 振り返って、挙動のひとつも逃さないように観察する。
「役立たずがデカい口を叩くんじゃねえっ!! こっちがどれだけ迷惑こうむっていると思ってんだ糞餓鬼が!!! 帝国相手にろくに交渉もできず、ケツまくって逃げ出した皇国のおかげで俺たちゃ商売にならねえんだよ!! 王に諫言申立てる? 正気とは思えないね。お前の正義なんぞ犬にでも食わして三日で死に腐るさまを見ていればいいじゃねえか、サリアディートなんぞデカいだけの棒は、なんでこんなものを……っ、寄越しやがったんだ!!」
 ティアは――エミラティアは瞬きをしなかった。拳を握り、彼らをじっと見ていた。
「なあお嬢ちゃん、自称でも騎士のはしくれなんだろう。だったらまずいんじゃないのかい、それのどこが他人を盾に取らない言葉なんだ。公平だ不公平だなんぞ搾取する側の人間が痴れたことをぬかしてんじゃねえよ。貴様ら貴族は俺達の運んだ麦を食い、俺達の肉を盾にのうのうと生きているんだろうが。てめえ勝手に大儀だ戦だ意味ある死だと言った口で、今度は絹を着て肉を食いながら“かわいそうだ”と嘆くのか。ああ、わずらわしい。鬱陶しい。俺達はお前らに増やされた家畜じゃねえんだぜ」
「――もう良い、耳が腐る」
 血の気の失せた唇がきつく引き結ばれた。ミュヒレイザだった。取り押さえようとするバッセとジラルを睥睨し氷結させ、外套を翻し軍靴を鳴らす。どこに置けばいいのか迷ったのだろう利き手が逆の腕を掴んだ。
「下衆が口をわきまえろ」
 その面と帯びた銀剣を見て、クゼは笑った。見覚えがあったからだ。
「いいねえ、その蔑んだ声。いかにも貴族じゃないか木偶の坊! お前さんが放ったらかしにしていたちっせえ配下はな、万民すべてを平等に愛おしく思うらしいぜ。家畜に情でも移っちまったんなら飢えて死ねと教えておけ、遺憾に邪魔だ」
「……勘違いをするな。いざとなれば死を売りさばく寄生する蟲に、くれてやる太平など皇国には持ち合わせがない。見下げ果てた糞どもだ。――動くな」
 眼の端で襲撃者になりつつある商人の動きを追い、牽制する。柄に指を這わせた右腕に重みがかかった。すがりつく両腕は沈黙するミュヒレイザを引き戻し、(かぶり)をふる。彼女が決して振りほどけない御手である。
「悪い言葉は心を荒ませますよ、卿。お口が悪いです。駄目です」
「――っ」
「私に任せていただけると言って下さったではないですか。約束を破るのですか、ひどいです」
 鋼のような腕を手放し、各々の赴くままに心の毒を吐く商人の群れを見渡す。彼らは店主と豪快な笑みで会話しあるいは酒を受け取り、はたまた辺境領の女の肩を抱いた。賭博を楽しみ、ゲームを楽しみ、ジスティックに身銭を落としていく。
 打たれる思いで見つめる。
「なあお嬢ちゃん方、肩を押すだけで歩かせることができりゃあな、世話ねえんだよ。ちょいと触られて動きだしたならそりゃあ最初からそいつは歩きたがっていたのさ」
 顧みた先にあったのは、諭す顔ではなかった。
「客が欲しいと望むものをことごとく差し出すのが一流ってやつなんだろうよ。それに、あんただって欲しいものがなかったことなんてなかったろう?」
 揶揄する顔でもない。
「どしたいお嬢さん」
 分かっているのだろう、と理解を確認する顔だ。
 ティアはああ分かりましたと相槌を打ち、ふと両の手をさすり合わせる己に気づいた。指先が冷えていた。
「いえ、ちょっと色々と予想外だったので。……何がこれほど引っかかるのだろうと考えていたのですが」
 彼らがここで酒を飲んでいることも、名前を聞かれないことも、海千山千の人間が怒鳴ったことも、見ず知らずの人間の話を聞いてくれたことも、全て。
「けどやっぱりよく分かなくて。だったら今は必要のないことだったのかとも考えたのですが、そうじゃなかった」
 己の生き方に横槍を入れる正体不明の者への対応にすぎない。
 思惑とは全く異なる生活圏、流れの一つとなり汗を流す人々にとって、都合の良いことは迎合されるに相応しく逆は排斥される。当たり前のことだ。
 ティアには信じられなくても、ここに利益があると信じているから彼らは(とど)まっている。
 これは、明確に、生活だ。
 かつてラティアリーズ=シルドが全てを見捨て、カーディスの家で過ごした灯りのともる時間と寸分の違いもない。彼らの生活。
 思ったときには足が動いていた。右の手袋を外しながらつかつかと歩み寄る。頑丈なだけが取り得のテーブルに投げ出された、日に焼け、節のたった男の手には彼女にない年輪があった。生きている人の手を掴み――握る。男の跳ねた眉を覗き込んだ。
 罵倒されるのは怖い、言葉では駄目だとも思うが、無礼は詫びねばならぬ。
「どうにかします。まだ駄目ですが私、頑張りますから。……あなた方もどうぞご自愛を」
 あっけに取られる一堂を捨て置き、ティア=ローランは同行者を連れ言い逃げた。


 ドアベルの音がライアガードレイドの仕立屋の物より低い。ずるずると木製の扉を背に敷き息をつく。星が白い。
「あの……ティア、さん」
 ジラルである。
「はい。なんですか?」
「出てきちゃっていいんですか。っつーか本当に何をしにここへ……」
 馬鹿にされ、罵られ、試され、煙にまかれに来たのだろうか。
「もちろんです、出てきていいんですよ。彼らはただの民衆ですからね、実際に来てよく分かりました。ここに一本筋が通ったものがないということは、彼らもまた歯車の一つということです。――卿」
 彼女が話しかけてミュヒレイザが視線を合わせる。帝都を出てからこのやり取りが一段と増えた。
 白い息を弾ませながら、高い襟の外套を着た男が小走りに駆けてくる。男は一瞬、彼らを見やったがすぐに店内へ吸い込まれていった。ドアベルが鳴る。
「行きましょう。出入り口を塞いでいては良くありませんし、なにより結構寒いです。……夏がずいぶん早く終わるのですね」
 ギルファニードの居場所を知るための手立ては一つではない。ここで成すべき、疑問の提示は終えることができた。なんとでもできる、どうにかできる。
 何より印象づけることができた、これは重要なことだと成果に納得していたティア――エミラティアの腕が「失礼」短い断りの後、引かれた。ミュヒレイザは守るべきものを後ろへ下げる。
 軽やかな音が途切れる前に扉は三度開かれた。
「あ、すぐに退きますからね。すみません迷惑な場所にたむろしていて」
 後ろを気にしながら現れた若い商人はびくりと振り向き、強張った笑みを浮かべる。
「ちがっ、待ってくれ。違うんだよ、あんな無礼な物言い……恐ろしいこと。なあ、あん――あなた困ってるんでしょ。俺はあいつらとは違ってあなたに協力するぜ。使ってくれよ、な。力になりますから使ってください」
 ちらちらとミュヒレイザを伺う双眸を、冷ややかに揶揄する眼差しが受け流す。色を読み取ったティアは具合が悪いと丁重に断りを入れることにした。
「そんな外套も着ずに……、寒いでしょう? 大丈夫ですよ、卿はこう見えてとても優しいです。逆上して罪を問うなんてことはしませんよ。どうぞ安心してください」
「あなた、リーガルトだろうっ! 俺知ってるんですよ。すごかった、だって剣術大会で……っ」
「お前」
 声が低い。ミュヒレイザは石を積んだだけの短い階段に足をかけ、その動きで向き直った。押されるように男は半歩下がる。
「脅しては――」
「名は」
「さ、サグネス。サグネス・カルス!」
 女剣士は、勢い頭をさげた男の頭髪をまじまじと見つめ、両目を眇めた。何をするのかと思えば頭頂に利き手を置き、上体をかがめる。囁くように。
「……いいか商人」
 指先に力が込められていく。
「卿、離してください。人の頭は帽子をかぶったり撫でられるためにあるのであって、掴むものでは」
「――静かに」
 制止の声だけが返ってきて、ティアは軽く戸惑いを覚えた。気をもみながらも引く。
「仲間を目の前に、裏切る人間のどこを信じて使えばいい。おもねるな、うろたえるな、堕落するな、毅然としろ」
 頭を掴み上げ、目と目は合わせることなく。
 ひねる。男の目に黒い扉が映る。無理な姿勢がつらい。
「帰れ。――この顔を忘れるなとあの女が言っていた、とでも身を滅ぼしたくなければ言うんだな」
 すすすすみませんでした! 申し訳ない!! 帰りますからっ、つっかえつっかえ、まろびながら店内に引っ込む商人を涼しい顔で見送り、「行きましょう」促した。

 やれやれと馬を引きながら、肩越しに明かりのこぼれる窓を見たバッセはふと笑う。
 ――分かるよ。
 サグネス・カルスに同情を禁じえなかった。
 彼らは知るだろう。知っているだろう。情報が繋がるだろう。使者が来た。だから皇国とはなくてはならないものだ。
 生活が人道へはまり込む。
「まったくよく言う、普段ならギルファニードの悪口は至上の酒の肴だろうに。怖い者知らずにもほどがある」

 後には奇妙に静まり返る酒場があったことを、エミラティアは知らない。

  ◇ ◇ ◇

「『人があって国がある。群れた人は王を望み、王はやがて民を殺す。国があって人がある。王は人を殺し、群れた民はやがて王を殺す。さすれば汝望みたもうことは数を減らすことにある。汝迷うことなかれ』――坊ちゃま……聞いてますか?」
「……へ。あ、うん聞いているぞシザック! 坊ちゃまと呼ぶな」
「嘘おっしゃい。お勉強の最中に上の空とはいい度胸でいらっしゃる、課題倍増の刑をお望みですか」
 フィリオールは怯んだが臆しなった。
「僕を誰だと思っている、知っているぞ。この場合の王とは領主と解釈し、王とはそもそも殺すものだから良い王とは人を殺す数が少ない王のことで、ええと大事と小事を迷うことなく決断し実行できるものこそが大器の王である、だろっ。どうだ! だいたい今日の授業でやった所じゃないか馬鹿にするなよ」
「だからお休み前に復習をしているんでしょうが。いつもやってる事でしょう。――物覚えがよいのは大変よろしいのですが、先生方からも今日は学業に力が入っていなかったと聞きましたよ。どうされました」
「……べつに」
 なんでもない、と口ごもる幼い主に彼はどうしたものかと一案を巡らせた。
 実のところ言えばフィリオールの様子がおかしいのは今日に始まったことではない。帝都での夜会以降どうにも塞いでいる様で、山越えの疲れだろうと判断していたが元が奔放な性格をしているこの少年のこと、いつまでも静かであると必要以上に心もとなくなる。
 教書を閉じ椅子の傍らに膝をついて視線を合わせた。
「なんだ。……ちょっと、怖いぞ」
 笑顔が。
「面倒です。話しなさいフィリオール様、わたくしはあなたの力になれるはずです」
「――力になるとか、そういう話じゃない」
「立派な男ならば四の五の言わない。どんなことでも聞きますから。あるいは――帝都でなにか?」
 は、と顔が上がる。迷っているらしい子供をシザックは待った。
 報告書の一そろいに目を通すことができるほどの沈黙が横たわり、けれでも彼は黙っていた。
「あのな、シザック。くだらないとか言うなよ」
「はい」
「僕は、うれしかったんだ。あんな風に一緒に、誰かと手を繋いで走ったことなんかなかったから。楽しかったから、また会いたくて」
「はい」
「でも、嘘だった」
 膝小僧の上で小さな手が固められる。
「僕はやさしそうな女だと思ったけど、でも、本当のことを言ってくれてなくて。だから……――」
「くだらない……」
 よっこらせと立ち上がった彼にフィリオールは顔を真っ赤にした。
「それ、言うなって言っただろっ! 嘘つき!!」
「精神的鍛錬が足らないようですね坊ちゃま。わたくしは悲しい」
「嘘をつけ! お前が悲しいなら、僕は今頃絶望しているぞ!! 坊ちゃま言うな!」
「あなたの本当とはなんですか。妃殿下と遊時を過ごしたことではないでしょう。貴方は『ラティ』と名乗った女性に親切にして貰った、肝要なのはそこではないのですか。それとも貴方の目には、『ラティ』が後に影であなたを見下してあざ笑う人間になりえると、そう映ったのですか?」
「それは」
「自信をお持ちなさいフィリオール様。あなたの目に映った人となりがその方を形作り示すのですよ。わたくしにもエミラティア妃殿下はとても良いお方のように映りました」
「そうか。では……なにか、理由があったのだろうか」
 それはもちろんと彼は満面の笑みで頷く、
「子供が迷子になっているものを普通の良い人は放っておきません。また、妃殿下の様に思慮深い方はむやみに身分で脅すような真似をしないのでしょう」
 子供は押し黙る。そして――
「不敬だ! お前自分が執事だって自覚はあるのか、信じられないぞっ」
「わたくしは旦那様から、貴方への教育的指導の許可をいただいておりますゆえ」
 教書を開きながら怜悧な執事は提案する。
「ハッキリさせたいならば、明日にでも直接訊ねてごらんになればいい。彼女が辺境領に来ていることは聞いているでしょう。なんでも今の彼女は“従騎士ティア=ローラン”らしいので、貴方よりもうんと身分が低い。やりたい放題できますね。――はい、統治者心構えの章4項開いて」
 フィリオールは顔をしかめた。
「……なんでそんなに名前が必要なんだ」
「ぼそぼそ言わない。さあ、早く開く」
 結局彼らはさらにぼそぼそ言ったので、課題を倍ほど増やされた。

  ◇ ◇ ◇

 なぜこの時期か。帝皇和親公約が締結されたからだ。
 この条約の内容は政略による婚姻を結ぶ代わりに帝国との和平を得、サリアディート側が輸入貿易に枷を負うというもの。畢竟、皇国に大規模な市場を持つギルファニード商会は圧迫される。帝国と言う巨大な客人からある日突然ごっそりと値引きを喰らわされ、皇国を支える一柱であると自負していたものが裏切られたからだ。
 これまで大事があればギルファニードには必ず皇国から打診があり――地均しが行われていたにも関わらず、今件に関してはまったくの突然であったからだ。
 彼らは怒るだろう。
 彼らが扱う商品は食料、貴金属、人間だけはない。武器商でもある。
 彼らには人脈があり、舌も冴えている。
 生活を持つ彼らはギルファニードを信じている。
 実際に思い知った。彼らはふがいない皇国に怒りを覚えていた。皇国の面目など知ったことかと行動するだけの勢いがあった。
 だから結果的に彼らが非常に疑わしいことは明白で――
「しかし、たりない」
 剣士は従者である主に頷く。先ほどの茶番劇で分かったことが一つある。
「はい。たりないと言うよりは、いえ……そうです。圧倒的に時間が足りていないのです。もしも商会がアガサスの背中を押した手ならば、百年の不動を誇ったアガサスは実は赤子なみに体重が軽いことになる。条約が決まったのは本当に最近のこと、しかも突然降ってわいたものです。情報が海を渡ること期間を考えると、その気にさせるには商会には時間的余裕がなさすぎる」
 ミュヒレイザは頷いた。
「アガサスは厳格実直な国だと」
「私もそう聞いています」
「ただ、決め付けてしまうのは早すぎる。商会にはギルファニードという札がまだ」
 ――ある。
 騎士三人組を待つ四人組の中ティア=ローランとミュヒレイザ=アイリラ=ド=リーガルトが母語で首をひねっている間、商人組はあさっての方向を見ていることにしていた。余計なことには関わらなくてよいと、初めからお達しが出ているからだ。
 いくらか待っただろうか。
 月明かりに白く縁取られた目的の人影を発見し、彼らはほっと息をつく。
「お二方来ましたよー、ほら騎士殿です」
「お待たせいたしました」
 私服に外套を重ねてはいるが騎士――キースはリーガルトに報告を述べる。
「成功です。対象は領内に宿をとっていました。現場(やど)にはライナス、ラズーリ両名を配置してあります」
「結構。バッセ、ジラル夜分までご苦労だった。解散だ」
 ジラルはゆるゆる首を振る。ティア=ローランに。
「あの、ですね。その、ご一行は明日どういうご予定をお持ちで……?」
「そうですね、明日は昼まで少し話し合わなければならない人がいますので、それまでは好きに過ごしていただけると思いますよ」
「じゃあ実家に帰っていてもいいでしょうか」
 バッセである。
「俺達があなた方に付いて来ていることを、商会の人間は知っている。それでも、行ってもかまいませんか」
「なにか不安に思うようなことがあるのですか……? 脅されたりするのですか?」
 大丈夫ですか、どうしましょうかと考え込み始めた娘に、とんでもない、と男は目を丸くした。
「俺達を信じてくれるなら、お姫様よろしく攫われたりはしないので大丈夫ですよ。ただ、家が――ね。いえ、ただの実家なんですよ。親、(きょうだい)がいるだけの――なあ、ジラル」
「あ、ああ。もちろんです。ただちょっと昔に家出同然で出てきてそれっきりなので敷居がやたらと高いという付属性がありますが、ただの実家です」
「まあ。家出ですか……、ずいぶん思い切ったのですね」
 ティアは小さく笑い、騎士と剣士は呆れた表情を見せた。
「どきどきしていますか?」
「かなり」
「だったら、大丈夫ですよ。うまくいきます。駄目だなんて野暮なことは卿もおっしゃらないでしょう。親孝行をしてくださいね」
 はい、とばつ悪く頷き「だから」言いかけて、彼は口をつぐんだ。
「では、また明日よろしくお願いします」
 頭を下げる。
 深く下げるのは、まだ早いような気がしたので。

 辺境領の夜は更けていく。
 『相手とは誰で、何人いるのか』知らぬ夜であった。