「あの、すみません。」
突然声をかけられて驚いて顔を上げると、
目の前にスーツを着たサラリーマン風の見知らぬおじさんが立っていた。
私は慌てて顔を伏せる。
「すみません、これもらってやってください。」
パッと差し出されたものは、大きな花束。
ピンクの薔薇が優しい色で目を惹く。
『え?』
我にかえって慌てて見回したけれど、そのおじさんの姿はもうどこにも見えなかった。

土曜日のお昼前の電車は思ったより混んでいなかった。
ドアの横、近くの座席にすとんと腰を落とす。
手の中に残ったのは、香りも優しい花束。
柔らかな少しくすんだピンクの薔薇と白いカスミソウ。
それくらいしか花の名前がわからないのが少し寂しい。
眼の端に止まっていた涙がひとつ、薄い花びらの上にコロリと落ちた。
待合せのカフェで友達の夕夏を見つけてテーブルに向かうと、
いち早く気付いた彼女は、もともと大きな目を丸くして見ている。
「どうしたの?その花束。」
自分でも理由がわからないので、
電車での話をそのままするより他ない。
夕夏は少し幼い雰囲気が残る顔立ちに、興味津々という表情を浮かべている。
「惚れられちゃったとか?」とからかう。
「そんなはずはないよ、お父さんぐらいの人だよ?」
そんなの関係ないよー、と言いながらも夕夏は、
「そしたら、アレだね。
送別会かなにかでもらった花束が恥ずかしかったんで、くれたんじゃないの?」
と頬杖をついて言う。
「そうかなぁ。そんな大切なもの人にくれたりするかな?」こんなキレイな花束を。
「おじさんがこんな花束をもって電車に乗るのが恥ずかしかったんじゃない?」
「うーん、それとも、リストラだったとか?」
夕夏はいろいろ想像をふくらませているようだ。
確かにこんな華やかな花束を、おじさんがもって歩くのは勇気がいるかな?とも思う。
男性向きの花ではないかな?
私ならそれだけで嬉しくなってしまうような、大好きなあまり甘くないピンク。
「あの、さ。…」
夕夏が言い難そうにくちごもる。
「3人揃うのって久しぶりだよね。美里おっそいな〜。」
いつもさばさばして、言いたい事をはっきりいう夕夏らしくない。
今日は3日前に失恋した私の為に、夕夏が集まろうと言ってくれたのだった。
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「行ってきましたよ。」
家に帰るとすぐパソコンに向かい、キーボードをたたく。
<ご苦労様。ちゃんと元気だしてって言ってくれた?
画面上にすぐ返事が表示される。リアルタイムなやり取りは便利だけど慣れない。
『言えるわけが無いだろう、はじめてあった女性に―。』
思い出してもがっくりと疲れが押し寄せてきた。
「花束を渡すのでやっとでしたよ。」
着なれないスーツを着て、買った事もないような花束を買って、
全然知らない若い女性に渡すなんて、自分によくそんな事が出来たものだと感心する。
<そうか、しょうがないか。
画面の向うの相手はどう思ったのか知らないが、自分で自分を誉めてやりたい。
ものすごく緊張した。なぜ僕がこんなことを。
<だってこんな話を信じてくれそうなのは、おまえだけだったんだよ。
―――いつものようにパソコンで原稿を打っていたときに、
突然電話回線がひらいてへんなサイトにつながった時は、
てっきりウィルスに感染したものだと思った。
いきなり見知らぬ相手が、僕の名前や職業、その他細かい事までを知っている、
なんて書いてよこした時にはたちの悪いストーカーか何かと思った。
こんな鳴かず飛ばずの売れない作家にストーカーもないものだが。
そこで彼は自分は22世紀から来た人間で、戻るにあたって、
事情があって代理人を探していると告げてきたのだった。
その内容が突然の帰還で置いていく彼女をなぐさめて欲しいという、
まったく僕に不向きな依頼だったのは、不幸としか言い様がない。
断りつづけたのに泣き落としと話し合いの結果、
花束を渡して慰めるという案が採用になったのだけど…。
「こうして僕のパソコンに侵入できるんなら、
彼女のパソコンにも入れるでしょうに、そこで上手く話をすればいいのでは?」
<ばかだな、こんな話いったい誰が信じるって言うんだよ。
<自分の彼氏が
<『僕は未来から来た者です。この時代に干渉不可のバグが起こって、
<24時間以内に即刻退去することになったので別れてください。』
<なんて言った途端、殴られるぞ。
<いっそキライになったからもう会えないと言った方がマシだ〜。
<でも好きなのにそんな事言えるか〜。俺はそこに止まる道を選ぶ予定だった。
<でも強制退去になるなんて一体なにが…。
後半から独り言になってきたようだ。彼の通信は口述筆記になっているらしい。
恋愛体験の乏しい僕は、正直に言うのが1番だろうと思うけど、
この場合だけはさすがに無理があるかもしれないとも思う。
<この時代でなんとか信じてくれそうで俺と接点のある奴を探したら、
<おまえしか見当たらなかったんだよ。
<あんまり売れてないホラー作家で独身でヒマそうな奴。
<コレだっと思って呼び出したんだよ。
自慢げな顔にさすがにムッとする。
僕だって最初は信じられなかったとも。
でも同じ画面に表示された動画の顔。兄貴の若い頃にどことなく似ていた。
それに彼はまだ誰にも見せた事のない、手書きの原稿の内容まで知っていた。
昔からあたためてきたファンタジーの原稿。
時ならぬファンタジーブームの今ならきっと…。
「あの、コレって本になるんですかね?」気になっていたことを聞いてみる。
<さあ、どうかな。先のことはわからない。
「君は未来から来たんだと言ったじゃないですか!」
<何を言っているんだ、俺の未来とおまえの未来は違うだろーが。
そう言われてなんとなく納得してしまったけど、どうも丸め込まれたとしか思えない。
<慣れない事を頼んで悪かったよ、これきりでおしまいだから安心しろよ。
落ちこんでいたらそう画面に文字が浮かんだ。
「え? そうなんですか?」と驚く僕に、呆れたように言う。
<当たり前だろ。こちらに戻って修正に使える時間は78時間ぽっちなんだ。
<差し迫っているのも分かるだろう?
「そうなんですか、彼女元気になるといいですね。」
<大丈夫だよ、この俺がマジで惚れた人なんだから。
<世話になったな。おまえもまだ諦めずに頑張って見ろよ。
<本屋の彼女、バツイチだが独身だそうじゃないか。
そう文字が浮かんだのを最後に、通信は一方的に切れた。
「ちょっ! なんで知ってるんですか!?」
残された僕は画面に向かって叫ぶしかなかった。
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やっと3人揃って当たり障りのない話題とお茶を片付けた後、場所を変えることなった。
「ねぇー、映画とカラオケどっちがイイ?」
先に立った夕夏が大きな声で尋ねてくる。
「ちょっと待ってよ。」声をかけて花束を抱えて立ちあがる。
「何か落ちたよ。」と、美里がかがみ込んで、拾い上げて渡してくれた。
『どうか気を落とさないで元気を出してください。』

几帳面そうな右上がりの文字が、カードいっぱいに書かれていた。
さっきのおじさんの困ったような緊張したような顔が浮かぶ。
なんだか不思議と気持ちがおさまっている。
突然の別れの理不尽な痛みはまだしっかり残っているのに、
ほんの少しだけど軽くなったような…。
理由がわからないと混乱して叫んでいるココロ。
でも恨みとか憎しみとかそういう痛いトゲは、
薔薇のトゲを取り去るように和らいだような…。
自分でも少し可笑しくて俯いて『花束の威力、オソルベシ』と呟く。
「どうしたの?」美里が理由も分からず、おろおろしている。
けど、なぜか止まらなくて、あたたかい涙が花束の上にこぼれてく。
夕夏と美里は何も言わずに待っていてくれた。
無性に照れくさくなって、さっと顔を拭く。
「ね、もっと賑やかなところに行こうよ!」
と、花束をしっかり抱えて明るい日差しの中に飛び出した。
お し ま い
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