+デジ絵本23 飛ぶ男

ある風の強い日の事。
海辺の道をとぼとぼと、独り帰る男の姿がありました。
人々の軋轢や疲労で足取りは重く、肩は丸まり、
背中にはいくつもの影が不安、不満、不信の姿をして座っていました。

この先をずっと行けば家だとわかっているのに、
一足ごとに道のりは遠く感じられるのでした。
帰りたくない心と裏腹に、
風は男の背後から容赦なく吹きつけます。

左手側には不揃いな木や、小屋のような建物がポツポツと並び、
その向こうは荒れた海です。
右手は草地が広がり、やがて家々がずっと街まで続いています。
男はただ足元を見つめ、風に押されるままに歩いていました。
ツバメ

下を向いて急ぐ彼を、追い討ちをかけるように風が巻き上げようとしました。
帽子を押さえて首をすくめ、倒されまいと踏ん張ります。
風の塊はゴウゴウと容赦なく後ろから押してきます。

突然さっと光る影が男を追いぬいて、男は顔を上げました。
またひとつ礫のような黒いツバメが、さっと地面を掠めて空へと走って行きます。

男がつられて空を見ると、
藤色や菫色や薔薇色やに染められた雲を、
強い風が楽しげに撒き散らしています。
先ほどの2羽のツバメは、あっという間に空のかなたに消えていきました。

いつのまにか背を押す風は小気味良いほど強く、
男は道をそれこそ飛ぶように進んで行きます。
自分で歩くよりも速く、楽に前へと運ばれているようでした。

背をそらし顔をまっすぐに上げると、まるっきり空を飛んでいるようで、
男はすっかり愉快になりました。
夕日に顔を輝かせ、男はいつしか笑っていました。

『もっと吹け、もっと吹け、
屋根の風見鶏も、酒屋の台車も、
船の天辺にひらめく旗も、
残らずみんな吹き飛ばせ!』
びゅうぅ〜、びゅうぅ〜、
りうりう、ざざざ。
風が男の耳のすぐ後ろで鳴ってました。

空の上からはごちゃごちゃとした街も、
のたうつ河も、すっかり囲まれている港もすべて見渡せました。
灯り

『このまま飛んで行こう、
山も海も越えて、ずっと飛んで行こう。』
男のほかにも一人、また一人と風にのる人影が見えました。
男はくっと身体を傾け、角度を変えて長い飛行に備えようとしました。

その時空に星が現れるように、地上にもぽっちりと小さな灯が灯りました。
男にはそれが自分の家の灯りだと、当たり前のようにわかりました。

男は紺瑠璃色に変わった美しい空と、鉛色に見える街の景色の間に浮かび、
かわるがわるそれを見つめました。


カーン、カーーン、七つ目の鐘の遠い残響が消えた時、
男は独りぼんやりと、もとの場所に立っていました。
空は遠く深く底無しで、浮かんでいた影ももう見えませんでした。

やがて足を踏み出すと、
遊んであそんでさっぱりして、ちょっと疲れた少年の顔で、
男は家族の待つ家のドアをあけたのでした。
家

                                  おしまい


2005-06-05

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