+デジ絵本24
約束の川
その頃、ボクは学校の帰り、友達と別れていつも遠回りをして川の道を通った。
川は小学校のボクにとっては広くて大きく感じられた。
川の流れはボクの歩くのと同じ速さで、ゆっくり進んでいく。
商店街からは少し外れていて、道は狭く通る車も人も少ない。
日差しが強い日もそこだけは涼しい川風が吹いていて、
ボクは古い石の柵にもたれて、水の渦や魚のかげを飽きる事もなく見ていた。その川は少し先で海に面していた。
ずっと川沿いに行くと、ゆるくカーブを描いて三つの橋を越えて港に出る。
でもボクの家に帰る道は二つ目の橋を渡って、川の流れとは反対方向に続いている。
ボクはいつも心を惹かれつつ、家路をたどるのだった。海が近いせいで川の水は潮の満ち欠けにあわせて、あきらかに水量が変わった。
上流へさかのぼって行くと、川底に石がゴロゴロして水かさも減り、
いつも見ていたから、川ってそんなものだと思っていた。
萱や葦やミゾソバなど植物に半分覆われている。
その辺りでは水もいくらかきれいだと知っているけど、
セメントで固められたこの辺りの水は、濁って暗い緑色をしている。
潮が干上がって底が見えても、汚い泥がたまっているばかりだ。
でも所在無く見つめる川面は、いつでもボラなどの稚魚で溢れていて、
それなりにキレイで時間を忘れさせてくれた。
その人は今までも何度か見かけた事があった。
同じようにぽつんと1人で川を眺めていた覚えがある。
梅雨の終わり、大雨の降った翌日で川はコーヒー牛乳の色をしていた。
水量も多く、いつもより早足でゴウゴウと音を立てて流れていく。
そんな川岸に幾人か大人が集まって、中には釣りざおを下ろしている人もいた。
この川にはボラはうんとたくさんいるのだが、普段は釣り人など滅多に見ない。
『こんな日になにか釣れるのかな?』とボクは首を傾げたが、
反対岸にも同じように集まっている人が見える。
なにがいるのか、常になく賑やかな様子だ。
「こんな日はたまにウナギがかかるんだよ。」
突然うしろで声がして、ボクはちょっとおどろいた。
少し離れたところに背の高い学生服のお兄さんが立っていた。
「おまえ、よくここにいるな。」
あの人だった。ちょっとびっくりした。
「お兄さんも、いつもいるよね。」
その人もよく川を眺めていた。
いつもこちらを振り向きもせずに、川面を見ているのだった。
「川が好きなのか?」
そう聞かれるまでそんな事考えた事も無かった。
「そうでもないけど…。」ボクは濁って走り続ける茶色い川を見た。
「でも見飽きないから。」
そう言うとその人はちょっと笑った。「それを好きって言うんじゃないか?」
なんでもない話をしながら、その人と並んで川を見ている。
なんだか不思議な気がした。
『知らない人についていくな、話しかけられたら逃げろ』と、
家でも学校でも、いつもミミタコなぐらい聞かされている。
でも今日はまわりにたくさん大人がいるし、
その人のことは、いつも見ていて良く知っているような気がして、
ボクは逃げる気になれなかった。
(ちょっとだけドキドキしていたけど…。)
夕日が反対岸のずっと向うの山に沈む時、
明るいオレンジの落日が、ポタリと落ちる線香花火みたいに見えるのだけれど、
今日は空を雲が覆っていて、まわり中が妙な黄色がかった色になっている。
夕暮れの川とその向こうの住宅街や古いビルや道を急ぐ人。
しばらく黙ったままで見ていたけれど、
「あんまり遅くなるなよ、少年。」声をかけるとその人は帰って行った。
別の日のある夕方、川ではしきりと魚が跳ねていた。
しばらく間を置いて川のあちらこちらで何度も何度も魚が跳ねる。
身を乗りだすようにして見ていると、連続して8回も跳ねた魚もいた。
もったりとした水面にパシャと飛び跳ねて、心躍るリズムを作っている。
「魚が夕暮れに跳ねるのは潮が満ちてきて嬉しいから、なんだってさ。」
いつのまにか来ていたその人が、隣に並びながらこう言った。
「潮が満ちると嬉しいの? 本当に?」
そう聞き返すと、「さあね。俺の親父が昔言っていたんだ。」
「ふうん。」そうなんだ、スッゲーと思っていると、また魚が飛び出した。
「どう見ても嬉しそうって感じじゃないよな。酸素が薄くなって苦しいんだよ。」
「それか餌の羽虫を取ってるとかさ。」その人はなぜか苦々しい顔をしている。
「そんなことないよ、きっとお父さんの言った通りだよ。」
僕はほんとにその方がずっといいと思ってた。
彼は反論せずに、眉をちょっと上げた。
「そうかもな、少年。」
ぼくの頭にぽんと手を乗せると先に行ってしまった。
「帰らなくていいのか?いつも遅くまで川にいるみたいだけど。」
ある日そう聞かれた。
「今帰っても誰もいないんだ。」
両親が離婚してボクは今お母さんと二人ぐらしだ。
父親ともたまに会えるけど、微妙に以前とは違う。
なんだか父もボクも1歩づつ下がっているような気がする事がある。
そして母に対しても同じようにしていると気がついて、
それからボクはこの川に寄る事が多くなっていた。
でもこれはあまり人に言ったことがない。
なんで知らない人にこんな事を話しているのだろう。
川に向い、並んだままで、その人は黙って聞いていた。
ボクはまるで川にむけて話しているようだった。
それでカナとぼんやり思う。
もう日が暮れるころで、川面はもう暗い。
反対に明るいガラスみたいな空に、薄いシールのような三日月が貼りついていた。
「でもあんまり遅くまで川にいると、河童が出てきて掴まるぞ。」
「えっ?」いきなり話がとんで僕がびっくりしていると、
彼は珍しくニヤニヤ笑いを浮かべている。
「って親父が言っていたんだよ、これも。信じるか?」
僕はおかしくなって吹きだしてしまった。
「もちろん信じるよ、じゃあもう帰るね。」
ボクは足元のランドセルを手に取ると、背負わずに川に背を向けた。
「早く帰って風呂掃除とか靴磨きとか何かやってろよ。
帰ってきたらお母さん驚くぞー。」
後ろから声が追いかけてくる。「若いんだから身体を動かせよー!少年。」
「お兄さんもねー。」
家までの道をボクはなんとなく駆け出してしまう。
ボクが玄関で靴を雑巾で磨いていたら、帰ってきた母が本当にビックリしていた。
小学生の頃の5、6歳の年の差はとても大きい。
高校生となんて、年に1、2回会う親戚や、ご近所の数人しか話したことがない。
でも彼といても、不思議と怖いとか緊張するとかいう感情は浮かばなかった。
川で彼と出会って何度目の事か、
その数少ない例外である『透(とおる)兄さん』が偶然自転車で通りかかった。
「文也くん?こんな所でどうしたの?」
驚いたことに、透兄さんは続けて彼にも話しかけた。
「あれ?真中だよな。知り合いなの?おたくら。」
透兄さんは引っ越す前のご近所のお兄さん。
優しくて面白くて、いつも声をかけてくれた。
その透兄さんと彼『真中 晶(アキラ)さん』は去年同じクラスだった事そうだ。
ボクらはお互いの名前を、その時はじめて知ったのだった。
アキラさんはボクをちらりと見ると、「おう、河童を見守る会の同志だ。」と嘯いた。
もちろんふざけてそう言ったのだけど、同士といわれて少し嬉しかった。
「なんだそりゃ? 河童?」
しきりと首を捻りながら、透さんは彼としばらく話し込んでいた。
透兄さんと比べると、アキラさんは少ーし近寄りがたい感じがある。
(もちろん今はそんな事は思わないけど。)
いったいどういう話になったのか、
透兄さんは『いいなそれ、俺も入れてくれよー、河童を見守る会。』
などとアキラさんに頼みこんでいる。
おまえんち、ここから遠いだろうが。アキラさんはそんなふうに笑っている。
「そういえばおまえら、なんか似てるな〜。」
帰り際に透兄さんが僕らを見てそう言った。
アキラさんは会うといろんな事を話してくれた。
ウナギに血には毒があるとか、
魚を獲りに来ている鳥の名前とか、
時折上空を通るジェット機の話とか、
川の上流にはボクぐらい大きな鯉がゴロゴロいるとか、
本当だかウソだか、わからないことまで。
ひとしきり話をして、それからゆっくり二つ目の橋までたどり着いた。
この橋からボクらはそれぞれ反対方向に別れて行く。
そこまで来た時、アキラさんは橋の手前で止まってから、
「海に1番近い橋が川と海の境になるんだ。
橋から向うは海で、橋のこちらはまだ川なんだって。」
それもまたお父さんに教わったのかな?
ボクがそう思っていると、思いがけない誘いがあった。
「土曜日かその辺の帰りに、透も誘って海を見に行くか?」
「絶対行く!!」ボクは思わず二つ返事で答えた。
そしてなんとなく曖昧なままの約束をかわしてボクらは別れた。
僕はドキドキしながら帰りの道を走って戻った。
行こうと思えば海はすぐそこにあるのに、そんな約束が思いがけなく嬉しかった。
透兄さんとアキラさんと海に行く。
「やた!海だ!」どうしようもなく浮かれて、帽子を高く放り上げた。
最近少し早めに帰ることが多くなっていたせいもあってか、
特に時間を決めている訳ではないボクらは、それからずっと会えなかった。
次の土曜日は…、近づいて来た大型台風の影響で暴風雨になってしまった。
小学校は休みになり嬉しいはずなのに、ボクは朝からがっかりしてしまった。
まずい事に母もお休みだった。
それでもお昼前にそっと抜け出そうとしたが、母にとんでもないと怒られてしまった。
『こんな日に川に近寄っちゃいけません。
お友達も学校が休みで家にいるはず。
電話で断って、日を改めなさい。』
―いちいちもっともだと思いながら、
相手は高校生なんだよね、アキラさんは携帯持ってるかな?
電話番号なんか知らないよーと、ボクはそんな事を考えていた。
それにはっきりと日にちを決めたわけでもないし。
次の日、日曜日だけど気になって、取り合えず川を見に行った。
濁って渦を巻く川は、いつもののんびりした姿とは大違いだった。
川沿いにはいつもより大人がいて、増水した川を見守っていた。
「こんな日に河童はどうしているんだろう。」思わず呟いた。
「河童?河童がどうしたの?」
母がついて来た事をすっかり忘れていた。
言葉に詰まっているボクを気にする様子もなく、
母はいつになく楽しそうに川を眺めている。
「この川も汚くなったね、おばあちゃんなんかまだ泳いだりしたそうだけど。」
「おばあちゃんが泳いでたの?この川で? 」
ボクはビックリして茶色い川を見下ろす。
河童もいたかもね、と母はまたびっくりするような事を言う。
河童って本当にいるの?
ほんとに子供を捕まえたりするの?
ボクの問いに母は、河童はそんな事はしないのよ、
水から上がれないから、水の底からじっと外を見ているだけなの。
子供が泳いでると、珍しくて嬉しくてそおっと触れていったりするだけなの。
なんてちょっと怖い事を言う。
母とボクは川岸で柵に並んでしばらく話をした。
こんな風に話すのは久しぶりだなと思った。
次の日もしばらく川で待っていたけど、彼には会えなかった。
家の兄貴は今試験中だよ。 とクラスの子が教えてくれた。
それからすぐに川沿いで工事が始まった。
川岸のセメントを1部はがして、石を置いたりするそうだ。上流のように?
それなら最初からそのままにしておけばいいのに…とちょっと思う。
川沿いの道を整備して車道も広くし、遊歩道も作るらしい。
工事中も川の端を通る事は出来たけど、ゆっくり川を眺める事は出来なくなった。
でも工事が終われば、またこの川でアキラさんに会えると思う。
アキラさんはまた前にように、
ぼんやり途方にくれているボクに声を掛けてくれるだろうか。
もちろん今度はボクがアキラさんに声をかけてもいいんだ。
川岸が姿を変えても、川は流れ続けるだろう。
河童も住みやすくなるかもしれないし。
それにそれまで待たなくて良いんだと気がついた。
透兄さんならきっとアキラさんに連絡してくれるだろう。
だってあの日約束したんだから。
『いつか海を見に行こう!』
おしまい
2005-08-04