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「悲しい気持ち」 |
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1999年12月 午前二時をちょうどまわったところだった。われわれを置き去りにしたまま暗闇に 小さく消えゆくSバーンの赤いテールランプをぼんやりと眺めながら、夜風が鋭く吹 き抜ける駅のホームで妙な胸騒ぎを覚えた。土曜日の夜、シェーネベルクに住む日本人の友人宅からの帰り道のことである。い つものように夕食に呼ばれ、久方ぶりに口にする寄せ鍋とあまりの居心地のよさにつ いつい長居をしてしまった。気がつくとすでに日付けが変っている。慌てて暇を告げ ると最寄りの駅からSバーンに飛び乗り家路を急いだ。ところが、本来ならば乗り換 えなしに一本で戻れるところを、些細なことで途中下車する羽目になってしまった。 フランクフルター・アレー。強引に訳してしまえば《フランクフルト(人)の並木
道》とでもなるだろうか。フリードリヒスハイン、リヒテンベルク両地区の境界にあ
たる駅である。このホームに降り立ったのははじめてではなかった。地下鉄の五番線
との接続駅だから日中はわりと人の往来も多く、駅の横にできた真新しいショッピン
グセンターなどはよく賑っている。プレンツラウアーベルクの自宅からSバーンで三
駅とそれほど離れてもいるわけでもない。ただ、付近には一人をのぞくと親しい友人
もおらず、とりたてて足を運ぶ機会もないため普段はほとんど縁がない。それどころ
か、この界隈には正直なところできるだけ近寄りたくない理由がある。 時刻表を見ると次の電車まで三十分もある。仕方なくいっしょにいたドイツ人の女 の子とホームの端にあるベンチに腰を下ろして待つことにした。夜風がますます強く なってきた。ついさっきまで程よく酔って火照っていたはずの頬が、みるみるうちに 冷めていくのがわかる。五分とたたぬうちに会話もと切れがちになってくる。あちこ ちの窓を音もなく照らし出すクリスマス用の装飾ライトを二人してぼんやり眺めてい ると、ホームの反対側から騒がしい声が聞こえてきた。次第に大きくなる音のほうに 何気なく目をむけると、みな頭を見事に剃りあげた、四、五人の大柄なドイツ人の男 たちが缶ビールを片手にこちらに向かって歩いてくる。アーミー・ルックや簡素な革 のジャンパーに薄い色のジーンズ。俗に「スキンへッズ」と呼ばれる連中に間違いな い。あたりかまわず下品な笑い声を響かせては互いに小突きあっている。これはまず いことになった。 いやな噂は何度も耳にしていた。ベトナム人の少年が走行中のSバーンから突き落 とされた。黒人の男性が集団でひどい暴行を受けた。もちろんそれらは、「極右」も しくは「ネオナチ」と称する集団による被害に関するものである。かつてよりメディ アを賑わしてきたこれらの事件は、最近でもそれほど珍しいことではない。自分でも こういった人種を目にしたことは数限くある。ただし、それはいつも白昼の、それも 行き交う無数の人込みの中であった。 恐れていたように、かれらは徐々に私のほうに目をむけ始めた。離れたところにも いくつかの人影が見えるが、そちらにはすこしも関心を示していない。どうやらこの 限られた空間において、外国人は私一人であるようだ。 《ベトナムのタバコ密売人》 アジアを卑下する言葉がいくつも聞こえてくる。考えられるだけの単語を並べたて
て、強引にこちらの気を引こうとしている。はじめは聞こえない振りをして真正面の
家並みを眺めていたのだが、一向にやまないあからさまな悪態にたまらずちらりと目
をやると、先頭に立って一番大きな声を出していた男が仁王立ちになって私のほうを
凝視している。目が合った。彼はニヤニヤ笑いながら、《乾杯》と言って持っていた
ビールの缶をかざす。私も仕方なく、先ほど自販機で買ったコーラの缶を軽く挙げて
答えた。すると、こちらの反応をみてまた他の連中とふざけあっている。なおも聞く
に耐えない嘲笑は続く。彼らの狙いはわかっていた。私が突っかかってくるのを待っ
ている。不思議と恐怖感はなかったが、横にいた友達が下手に巻き込まれることだけ
は避けたかった。 《おい、どこから来たんだ。ベトナム人か?》 他の連中が卑らしい声を出して笑っている。平静を装いつつも、これまで耳にして いたあまりにも典型的なシチュエーションに、自分自身がいま置かれていることに少 なからず驚いていた。これが嘘偽りのない「外国人嫌悪」というものなのか。質問に できるだけ淡々と答えながら、難なく時が過ぎ去ってくれることだけを祈った。ひと とおり訊ね終わると、男はおどけた調子でさきほどの悪態を詫びるようなことを言い 出した。悪かったとは一言もいわず、ただ許してくれるかと訊いてくる。そんな態度 なら許せるわけがないだろうと思いながらも、適当に《気にしていない》というよう な答えかたをした。すると不意にフラッシュが焚かれた。犬を連れていた女が、この 応答を写真に収めている。あとで何かに悪用でもするのだろうか。嫌な気分がする。 やがて彼らはいっしょにいた友人にもからみ始めるのたが、幸運なことにそこで待ち わびたSバーンが到着し、急いで離れた車両に飛び乗ってそれ以上の難を逃れること ができた。 まよわず電車の席に腰を下ろす。緊迫した空気から解放されて、一度に疲れがでた
ようだ。暖房のきいた車内はいつもよりずっと暖かく感じる。はじめて経験した本物
のスキンへッズとの遭遇。それが怪我もなく、この程度ですんだことを喜ぶべきなの
だろうが、気分は途方もなく暗いままだった。わたしたちの向いに坐っていた女が嘔
吐するのを横目でながめなていると、無性に悲しい気持にとらわれた。同じドイツ人
として恥かしい、と友人はしきりに彼らのことで謝ってくれたが、それもほんの気休
めにしかならなかった。あの連中に対する直接的な怒りがなかったことがせめてもの
救いだが、例えようのない後味の悪さはなかなか消えなかった。多種多様な人種が蠢
くベルリンに住みはじめたのは昨日今日のことではない。このワイルドな街での生活
で少しはタフになったつもりだったのに……。 社会に潜む病理、そして現代ドイツの暗部を肌で知ることになった夜であった。 |
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