気持ちが落ちつかなくなると思いきや、グッと気持ちが高ぶることもある、シンプルすぎて何か物足りないと思いきや、興奮してしまってたまらなくなることもある。こちらをだますかのようにシンプルな装いをした、ブル−ナイルのレコ−ドを聴くとそんな感じで少し落ち着かなくなってしまう。普段はロックは聴き飽きたといった態度を貫く音楽雑誌もスコットランドのグラスゴ−出身の彼らの作品には、もう絶賛にちかい様子だ。でも、ポ−ル・ブキャナン(ボ−カル・作)にどうしてこんな凄いものを作ったのかは聞かないほうがいい。「それは全くわからないなあ」と、咽を震わせフワ−とした印象を与えるスコッティッシュなまりでブキャナンは言う。「この間も言ったのだけど、僕達はうまくいっているわけじゃないっていう感じを表せる言葉を本当の意味で見つけてないんだよね。それを表せるほど広かったり、深かったりする言葉がないんだよ。時々、論評家だけが本当にレコ−ド聴いているんじゃないかって思うよ。つまりね、ぼくたちはレコ−ド作りには成功してきたけど、まだちゃんと聴いてもらってないんだよね。」
ブキャナンが言うようにブル−ナイルは比較的その存在をしられていない。ブル−ナイルは今の業界の常識からするとすこし作品を出すのがすくなすぎるのだ。しられていないのはそのせいとも言える。
Peace At Last(ワ−ナ−)が13年でたった3枚目のアルバムとなる。この13年で、ブル−ナイルはレ−ベルの方針と合わなかったり、法的ないざこざに巻き込まれたりなどなど、クリエイティブではない面でかなり悩まされてきた。しかし、彼らがなかなか作品を出さないのは、ブキャナンとメンバ−のロバ−ト・ベルとポ−ル・ジョゼフに共通した、そのしつこいまでの自己不信である。「まったくスコットランドっぽい性格なんだよね。自分に与えられたものを少しも価値がないと思ってしまうんだ。それが僕たちの特徴だね。」とブキャナンは言う。「いつも、待ち続けているんだ。そして、いいだろうって思い込めるようになれば、誰かが近づいてきて肩をたたいて、君はもういいよっていうんだ。」このように精神的な不安定であること、そして彼らがもつロマンティックな傾向、さらにカトリック的な罪の意識に対する病的なまでのこだわりが結びついたものが味付けされて、ブル−ナイルの音楽はすばらしいものになっている。
Peace At Lastでは性的なものと聖的なものの境界がぼかされ、真実の愛、崇高なものへのあこがれ、そして家族を愛することから生まれる祝福が語られる。このアルバムはいつも聴いているポップな類いなものではない、そうではなくこのアルバムにはブル−ナイルは自分達にとってまさにピッタリの場所にいて、それをたのしんでいる理由がそこにあるんだろう、いやあるに違いない。「僕達はまさに僕達なんだ。」めずらしくエゴをちらっとみせて、ブキャナンは言う。「大変なレコ−ド作りが一度終わってしまうと、レコ−ドはただのレコ−ドになる。それほど生き続けるものではないし。「僕はのうなしのクズだ」っていってもいいんだよ、レコ−ドのなかでは、「妻を無くした」「仕事がないよ」とかね。・・・・でも、僕のレコ−ドにはそんなくだらなくはないけどね。」
訳 アルファベット・ストリート
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