
★ピアノを弾く。でも大人しくは弾かない。S本編であってように、ピアノは弾く。でも、神妙に原曲どおりに弾かず、勝手にアレンジしたりして、ときどきみちるを怒らせる。 【文例】 |
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みちるは窓辺にもたれて待った。 深い森の奥に誰にも知られずに差す乳白色の月光のような、繊細で、清澄な音が、はるかの長い指が鍵盤にそっと触れることによって、やさしく奏でられるのを。 が。 はるかの指が叩き出した最初の音が耳に届いた瞬間、みちるは目を三角にしてはるかの方を振り返っていた。 はるかの演奏した一連の和音に、間違いはなかった。確かに『月の光』の和音が、正しい順序で端正に、いささかのミスタッチもなく響いていた。 ただし。 軽快なリズムを高らかに刻んだそれらは、月の光に照らされたひっそりとした森の奥なんかよりもずっと、ぴかぴかのトランペットが響かせた輝かしいファンファーレを、鮮やかに思わせた。 みちるははるかの方を睨みながら、窓を背に仁王立ちになっていたが、グランドピアノはそんなこと、ちっともおかまいなしだった。はるかのファンファーレは軽快なアクセントをきかせながら、世界の全ての栄光を讃えるように、元気良く響いていた。 ファンファーレに続くのは、行進曲だった。それは確かに『月の光』の和音と、『月の光』のメロディーラインをなぞっていたけれど、それが描き出していたのは月の光に浮かび上がるひっそりとした風景なんかでは決してなく、整然と、きびきびと進んでいく行進の動きだった。自由に速度をうねらせながら波のように奏でられていくはずの『月の光』を、拍子とリズムの変形(だけではとうていないが)で、こんなにも快活な行進曲に変身させてしまったはるかの演奏はそれはもういっそ見事なものだったが、みちるははるかをほめてあげる気なんか、全然なかった。はるかを睨みつけるみちるの視線に気づいているのかいないのか、『月の光〈ファンファーレと行進曲〉』を弾いているはるかは、本当に気持ち良さそうだった。普段はもっと荒っぽいことに使っている指の力強さにまかせて、金管楽器何十本分もの勇壮な音色を高らかに響かせて、いかにも痛快そうだった。 (『Nocturne』掲載『二本の左手のための練習曲』) |
★音楽の聴き方も、独自路線。クラシック中心に聴く、けれど、原曲の指示とは異なる楽器の演奏が好きだったり、ほたると一緒に動物の鳴き声を探したり、と、お行儀のいい鑑賞にはほど遠い。 【文例】 |
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象が去って、フルートが歌いはじめると、ほたるとはるかはそろってふぅ、と満足そうに息をついた。どうしてここまで似るかしらこの親子は、と呆れながらみちるは、はるかに非難の声を向けた。 「はるか。ほたるに変なことを吹き込まないで」 「変なことって、何」 ちろりと顔半分だけで振り返って、はるかが言う。うるさいなあ、次の象が来ちゃうじゃないか、そういう顔だ、はるかのその顔は。 「その曲には〃交響曲第八番〈イギリス〉〃っていう、立派な名前があるのよ? 〈ぞうさん〉はあんまりじゃないかしら」 「楽譜の出版元がたまたまイギリスだったから〈イギリス〉っていうのの、どこが立派な名前なんだよ。 それだったら、象がいるから〈ぞうさん〉の方が、百万倍立派な名前じゃないか」 その論法でいったらクラシック音楽には〃ぞうさん〃というジャンルができ、交響曲や協奏曲のように作曲家ごとに番号がふられるだろう、とみちるは思った。ハチャトゥリアン作曲ぞうさん第一番〈剣の舞〉、ストラヴィンスキー作曲ぞうさん第二番〈火の鳥〉に同第四番〈春の祭典〉等々。 みちるがそんなくだらない想像にふけっていると、次の象がやってきた。はるかとほたるは目を輝かせてほんの数秒の象の雄叫びに聞き入り、それからまたふぅ、と息をついた。この象が行ってしまうと、もう象は曲の最後のクライマックスに現れるきりだ。みちるは象の訪れにせかされることなくゆったりと、そもそもいつ頃からこんなことになったのかを思い起こしていた。 はるかがみちるのCDのジャングルで動物探しをはじめたのは、はるかがほたるを膝にのっけて音楽を聴くようになってからだった。美しい絵本で動物達のお話を二人で読むのに飽きたとかそんなところなのだろうが、たとえば『動物の謝肉祭』を聴いて動物の名前を挙げる、などというまっとうなことは、はるかは最初からしやしなかった。 (『大管弦楽の雲の彼方』掲載『虹色の動物園』) |

