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★世界「美の旅」は『教育新聞』に連載中★
◆オランダ〜17世紀の邸宅だった「マウリッツハイス美術館」
ヨハネス・フェルメール
『デルフトの眺望』(1661年)
デン・ハーグのマウリッツハイス美術館で、フェルメール(1632−1675)の「デルフトの眺望」を鑑賞する。風景画の傑作として名高い作品である。キャンバスの幅は1bほどの小さな作品でありながら、フェルメール独特の世界に引き込まれる。
彼の故郷の「デルフト」が、この絵を通じて人々の心に深く残っているに違いない。デン・ハーグから近いデルフトに赴き、この風景を探し求めて、運河沿いを歩き回った。景勝地を見たいわけではない。フェルメールが描いた土地を彼の目と心を通して見たいという衝動にかられた。
しかし、この風景は実在しなかった。実際に建物はあるが、それらがバランスのよい構図として風景の中におさまっているわけではない。写実的に描かれたと勝手に思い込んでいた。フェルメールは建物の位置をずらして合成する手法を使ったという。
フェルメールはオランダ絵画の黄金時代を築いた一人である。しかし、その評価を得たのは、ほんの100年前である。
2003.11.27掲載
◆ドイツ〜大作に込められた信念「アルテ・ピナコテーク」
アルブレヒト・デューラー『4人の使徒』(1526年)
アルテ・ピナコテークは、ミュンヘン中央駅を背にして左手に歩き、ケーニッヒ広場を過ぎた所にある。ドイツ絵画の名作は同美術館で堪能できる。文化の香り高いミュンヘンでは、この辺り一帯が美術館ゾーンとなっている。
デューラーは1526年に『4人の使徒』をニュルンベルク市に贈呈した。「神の御言葉に何ものをも加え、また引くことを欲し給わず。4人の偉人ペテロ、ヨハネ、パウロ、マルコより戒めを聴くべし」という文章が、作品の下方にデューラー自身の文章で記されている。
この作品を制作した5年前の1521年、マルティン・ルターは逮捕された。デューラーはオランダ旅行中だったが、ニュルンベルクに引き返した。同市は1525年にローマ教会と決別。宗教改革の嵐が吹き荒れるドイツで、デューラーは自らの信念に基づき、この作品を制作し、次の年に同市に贈った。
2bを超える大作は、2枚の板絵が1対になっている。この作品の迫力には圧倒される。
2003.9.25掲載
◆イタリア〜宮殿の中にある「ドーリア・パンフィーリ美術館」
カラヴァッジョ『エジプトへの逃避途中の休息』(1590年頃)
ローマのドーリア・パンフィーリ美術館は、15世紀に建てられた宮殿の中にある。居室数が1000にのぼるというローマの中でも広い宮殿である。現在もパンフィーリ家の人々が居住する。美術館として公開されているのは、建物のほんの一部である。
場所はヴェネチア広場からコルソ通りに入って、すぐ左手にある。16世紀から18世紀までに収集されたプライベートコレクションが、大広間や回廊にずらりと並べられている。
コレクションの中で特に注目される作品は、カラヴァッジョ(1571〜1610、本名ミケランジェロ・メリージ)の「エジプトへの逃避途中の休息」である。彼の作品は、ローマでは教会の壁面を飾る大作が多い。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の「聖パオロの改宗」「聖ピエトロの逆さ磔」は、彼がそれまでの宗教画を一新した巨匠であることを知らしめる。
後年、逃亡生活を余儀なくされたカラヴァッジョだが、この作品は聖書を題材とした色彩の明るい甘美な作品である。
2003.9.8掲載
◆スイス〜印象派絵画が充実した「バーゼル美術館」
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
『モンマルトルからの眺め』(1886年)
バーゼルはフランス、ドイツ両国に接するスイス第2の都市である。ライン河畔に広がる町並みは、中世の面影をとどめ、町全体がさながら美術館のように美しい。縦横無尽に走る路面電車に乗ると、経済と文化の中心地として栄え続けた町らしい活気が伝わってくる。
バーゼル美術館は1662年にヨーロッパ5大美術館の一つとして建てられた。しかも市民によって建てられたヨーロッパ最初の美術館である。豊富な絵画コレクションの中では、印象派の作品が充実している。
ゴッホの『モンマルトルからの眺め』は、彼の作風が確立する以前の作品として目を引く。1886年、パリにやって来た彼はフランス印象派から衝撃を受ける。この作品は、パリ特有の灰色の空が画面の上半分を覆い尽くす。煙突の白い煙が所々から立ち上り、明るい色彩とは無縁である。大胆な筆致はいかにもゴッホらしいが、独特の燃え立つ色彩はまだ生まれていない。この作品を描いた2年後、彼は南フランスに向かい、数々の傑作を残すことになる。
2003.8.28掲載
◆イギリス〜巨匠の名作が並ぶ「ナショナル・ギャラリー」
ウイリアム・ターナー『解体のため最後の停泊地に
曳かれゆく戦艦“テメレール”号』(1838年)
ナショナルギャラリーは、ロンドンのトラファルガー広場に面して建っている。この美術館入口から、広場越しに国会議事堂が見える。
ロンドンのダウンタウンで生まれ育ったターナーの作品は、この美術館では2箇所に分けて展示してある。海と空と船をモチーフにした一連の作品は、東ウイング大展示室にある。戦艦“テメレール”号の解体を描いたこの作品は、その中でもひときわ目を引く。1805年のトラファルガー海戦で、イギリス艦隊はフランス・スペイン連合艦隊を撃破した。この勝利は、ナポレオンにイギリス本土上陸作戦をあきらめさせた。
その記念すべき戦艦の解体寸前の姿をターナーは描いた。船は物哀しくも美しい。静謐な海が、すべての終わりを告げているかのようだ。
淡いオレンジ色の空に、夕陽がさす。ターナーの作品には荒れ狂う海を舞台にした名作が多い。大風景画家は大自然の表現で圧倒しつつ、人間のドラマを展開する。ロマン派の手法が、幾重にも鑑賞者の心をとらえ、この作品の前からは容易に立ち去れない。
2003.8.7掲載
◆フランス〜印象派絵画の「オルセー美術館」
エドゥアール・マネ『草上の昼食』(1863年)
パリのオルセー美術館は、丸屋根の駅舎を改装した建物を使っている。地上階の吹き抜けになった中央スペースには彫刻が展示してあり、両サイドの部分が地上3階から成るギャラリーになっている。印象派絵画の珠玉の名品が並んでいるのは、2階のセーヌ河側である。
印象派の父といわれるマネ。彼の代表作「草上の昼食」は、ひときわ目立つ展示となっていた。裸体の女性は何を意味するのだろうか。この作品の前に立ち、散在したパン、果物、カゴ、帽子を眺めているうちに、色彩と構図のもつ美しさに呑み尽くされてしまった。
印象派絵画が開花した当時のパリ。ゴッホもモネも独自のスタイルへと変遷を遂げる。その過程を作品で追うことができる。まさしく印象派画家の供宴である。
数年前、東京でオルセー美術館展が開かれ、ゴッホの「星降る夜」が人気を博した。里帰りした同作品は、オルセー美術館で自然に生息する生き物のように、静かに光を放っていた。 2003.7.21掲載
◆スペイン〜ゴヤが大画面で迫る「プラド美術館」
『1808年5月3日:プリンシペ・ピオの丘での銃殺』(1814年)
フランス軍は1814年に、スペインから撤退した。ゴヤは摂政のボルボン枢機卿に、この絵の制作を申し出た。「ヨーロッパの暴君に対する我々の輝かしい勝利の中から、最も英雄的で重要な行動や場面を、絵筆を使って永久不滅のものにしたい」。
銃口を向けられた白いシャツの村人、彼のそばにいる1人の聖職者。画面のどこに目を向けても、銃殺の瞬間の痛ましさが伝わってくる。その当時、絵画の主人公として数多く登場したのは、歴史的な英雄たちだった。ゴヤは村人を主役にした。彼らはタイトル通り、1808年5月3日にマドリードでフランス軍に捕らえられた。
この作品の左隣に「1808年5月2日:エジプト人親衛隊との戦闘」が展示されている。こちらは乱闘シーンである。白馬から転げ落ちるエジプト人が中央に配され、戦争の惨禍を物語る。ゴヤが描くと、単なる教訓の域を超える。ゴヤの視線は、それほど鋭く激しい。
2003.7.3掲載
◆アイルランド〜ダブリンの「アイルランド国立美術館」
ジャック・バトラー・イェーツ『For the road』(1951年)
文芸水準の高さを感じさせるダブリンの町。その中でも最高の立地にあるのが、アイルランド国立美術館である。由緒あるトリニティー・カレッジに隣接するこの一帯は、文化の香り高さを今に伝える。美術館の建物は、作家バーナード・ショーの屋敷の一部だった。彼はアイルランドが誇るノーベル文学賞受賞作家の一人だ。この美術館内には、もう一人のノーベル文学賞受賞作家ウイリアム・イェーツの一族の作品が展示されている。
ジャック・イェーツの「For the road」は、その中でも電光に打たれたような衝撃を与える作品である。左正面の白馬が、木立の中の道を駆け抜ける。青を基調にした馬の胴体は、激しく勢いのある筆致で表現され、すべての既成概念を振り落とすかのように未来に向かって突進する。同美術館にはヨーロッパの名画が数多く展示されているが、どの展示室からイェーツ展示室に入っても、先に見た名画を過去の遺物のような印象に変えてしまう。それほどアイルランドの20世紀の絵画は、躍動感に満ちていた。豊かな自然を背景に、アイルランド魂の健全さをアピールしているようだった。
2003.6.23掲載
◆スペイン〜絵画の宝庫「プラド美術館」
フランシスコ・デ・ゴヤ『着衣のマハ』(1797年頃)
マドリードのプラド美術館は、世界最大の絵画コレクションを誇る。特にスペイン出身の画家「ゴヤ」の作品が堪能できる。タピストリーの下絵画家時代から宮廷画家時代を経て、黒の絵の時代に至るまでの作品が網羅されている。ゴヤは81歳まで、あらゆるテーマで描き続けた。人間のもつ狂おしさ、幸福感、富と貧困、老いと病、現実と幻想など、作品の背後にあるテーマは、作品から端的に読み取ることができる。作中の人物が時代を超え、真実を語りかけてくるからだ。
その中でも圧倒される二作品がある。裸体の美しさに息を呑む「裸のマハ」、大胆なポーズときらびやかな衣装に身を包み、美の極致を感じさせる「着衣のマハ」。プラド美術館では、この二作品だけで一つの壁面を構成する展示室がある。並列展示の効果で、「裸のマハ」の官能美、「着衣のマハ」の怪しい雰囲気に、鑑賞者は足を止めずにはいられない。実物大に近い大画面から、マハが鑑賞者をジッと見つめている。その眼差しを覗き込み、鑑賞者はマハとの対話を試みる。ゴヤが51歳ころの作品である。マハの裸婦像は、十八世紀末、宗教裁判沙汰となってしまった。
2003.6.9掲載