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南イタリア

◆ソレント(2001.5.13)

 ナポリから南へ60キロ下ったリゾート地「ソレント」に滞在して、5日が過ぎた。ナポリ湾は急カーブを描き、ちょうどコの字型になっている。コの字の先端がナポリであり、もう一方の先端部分がソレントで、ちょうど半島になっている。ソレントから見ると、海を隔てて右前方がナポリ、左前方がカプリ島である。ソレント全体が小高い丘の上にあるので、どちらもきれいに視界に入る。
 この好立地を利用して、カプリ島まで行ってみた。高速ジェット船でわずか20分。カプリ島に近づくと、四方から船が港に吸い寄せられるように入ってきた。海上のラッシュである。大型フェリーやモーターボートなど、朝10時台は入航ラッシュであり、観光客、遠足の子どもたちなどで港はごった返した。
 早速「青の洞窟」行きの船乗り場へ。カプリの町は、岩山の上にある。港は足場に過ぎず、町の中心へはバスでくねくねと登っていくか、ケーブルカーを利用することになる。バスでも洞窟まで行けるが、島に来たからには船で島を巡りたい。港から青の洞窟まで、海岸線づたいに3キロしか離れていないのだ。15人乗りくらいのモーターボートに乗りこんで、島巡りは始まった。切り立った海岸線には、波打ち際の風化作用で小さな穴が幾つもできていた。数分もすると、青の洞窟入口へ。ここから小舟に乗り換える。3、4人ずつモーターボートから小舟へと移るのだ。どちらも波で揺れている。「エイッ」とタイミングを見計らって、飛び移るしかない。波の穏やかな日でよかった。それでも船頭さんに、座る位置を一人ずつ指定される。
 「船底に座って、頭を低くする。いいか?」
 洞窟の入口は、小舟がやっと通れるくらいのスペースしかない。入口の上部に鎖が渡してあって、船頭さんはそれを手繰り寄せるようにして、舟を洞窟内へと進めた。一瞬で洞窟の中へ。
 「みんな、無事だったか?」「スィ(はい)」
 声は聞こえるが、真っ暗で何も見えない。先に進んで行った舟の姿さえ見えない。少し目が慣れてきた時、船頭さんが「帰れソレントへ」のカンツォーネを歌い出した。舟が左旋回している。すると、その時青い海面が見え始めたのだ。洞窟入口から差し込むわずかな光を受けて、海面が幻想的な青色に変わった。天然のライトアップである。外光に向かって、もう一度頭を船底に近づける。そして、一瞬にして洞窟の外へ。
 小さな洞窟は、不思議な体験をさせてくれた。しかし、これはカプリのほんの一部にすぎなかった。ケーブルカーで町の中心に向かい、港と反対側の海岸を眺めると、ここにはカプリ島の代表的な風景が展開する。岩島郡が青い海に、美しく点在しているのだ。カプリ島は外から眺めても、丘の上から眺めても絶景なのだ。
 しかし、日暮れとともに、この島を離れることにした。カプリは高級別荘地である。港で船を待っていると、ここに長期滞在するらしい4人家族が、トランク20個くらいをもって船から降りてきた。もちろん荷物はポーターに運ばせていた。
 かれこれ2000年も遡る昔、ローマ皇帝アウグストゥスがカプリ島を所有していたという。現在世界中から人々が集まるが、庶民感覚には欠ける。これが、この島の魅力の一つなのかもしれない。

◆カラブリア州サンタンドレア

 ローマで気温35℃を超える日々が続く8月中旬、南下を開始した。目指す方角は、ローマから南東に600`のカラブリア州である。
 「レッジョ・カラブリア行き」のユーロスターに乗り込んだ。「ラメツィア・テルメ」まで、5時間ちょっと。そこから、カラブリア鉄道に乗り換え、州都の「カタンツァーロ」に向けて山越えする。イオニア海に達したところで、海沿いに「サンタンドレア・イオニア」まで40分ほど南下する。
 イタリアの地形をブーツに例えて説明すると、スネの部分から足の甲まで下り、親指の根元あたりから靴底に突き抜け、つま先に向けて少しだけ移動した形だ。
 2両編成の列車が、駅員のいない「サンタンドレア・ヨニオ」駅に到着したのは、ローマを発って8時間後だった。長旅にしては、疲れをさほど感じさせない。美しい海、きれいな空気、静けさが、疲れを吹き飛ばしてくれたかのようだ。
 サンタンドレアの旧村は、切り立った丘の上にある。人口わずか800人。背後が山のため、新興住宅街は海岸沿いに広がり、そこに2000人が住んでいる。
 私が宿泊したのは、村の中心に近いラニエリ家。私がローマで住んでいるアパートのオーナーの母方の実家である。普段は空き家。ヴァカンツァの時だけ利用される。3階にオーナー一家、2階は私に自由に使わせてくれた。居間、キッチン、バスルーム、寝室。手入れの行き届いた、広々とした別荘である。
 この家から海が見える。屋上テラスに上がると、雄大なイオニア海が臨めるのだ。前方180度、そのほとんどが「海」だ。朝日は、前方の海面のど真ん中から昇る。早朝5時半に起きれば、海を赤く染め、ゆっくりと昇る朝日が眺められる。残念ながら、その瞬間をついに見ることができなかったが、6時過ぎには朝日が、鏡のように静まり返った海面の少し上に浮かんでいた。
 その贅沢ともいえる光景は、丘から眺めているだけではもったいない。すぐさま海に入って、泳ぎたいという衝動にかられる。
 朝6時半過ぎ、神秘的なまでに穏やかな海に入る。水が温かい。沖に向かって泳ぐと、海は急に深くなり、水の色はエメラルドグリーンから濃いブルーに、一泳ぎするごとに変わって行く。
 カラブリアは海岸線がなだらかで、果てしなく長い。つまり、海岸に立つと、視界を遮るものが何もない。砂浜、海、水平線、空、それだけだ。
 この村に里帰りする人は多いが、観光客は少ない。長い海岸線に、ビーチパラソルが立てられ始めるのは、10時過ぎ。大自然の懐深くに抱かれている、と実感する。疲れると、別荘で昼寝。夕方は村の広場を散歩したり、隣村の「ソヴェラート」まで足を伸ばす。夜は満天の星空の下で、風を受けながら海岸に並行するプロムナードを歩く。
 サンタンドレアは小さな村なので、親族の交流も活発だ。到着して2日目に、泊り客の私まで、親族の1軒から昼食の招待を受けた。地元のおじいちゃん宅に、親族全員が集合である。世代別にテーブルに分かれて座り、食事会は始まった。南イタリアには「大家族主義」が今も生きている。

◆メッシーナ

 レッジョ・カラブリアは、イタリア半島のほぼ南端に位置する町である。この町へ、同じカラブリア州のサンタンドレアから、2時間50分かけて列車で移動してきた。海を眺めながら、海岸線に沿ってひたすら走った。各駅停車らしいのんびりした旅だ。
 レッジョ・カラブリアから、さらにフェリーが発着する「ヴィラ・サンジョヴァンニ」に向けて1駅北上。ここの港から、シチリアの「メッシーナ」まで、最短距離でフェリーが運行している。
 「さあ急いで、船が出るよ」
 「フェリーのチケットはどこで、買うのですか?」
 「チケットは後でいいから、早く乗りなさい」
 大型フェリーの乗務員にせかされて、すでに船上に積み込まれていた乗用車の間を縫いながら、デッキに駆け上がった。「メッシーナ号」はすぐに出発。
 イタリア半島を離れる瞬間は、ちょっとした感慨があった。未知の島に向かう期待感が高まる。同時に、この半島を陸伝いに南下して来て、ついに半島の南端から地中海に蹴り出されるような、妙な気分になった。船という乗り物が、ノスタルジーを誘う。シチリアに対する幻想が、思いっきりふくらんでいく。
 海の色は濃い藍色。トビウオがフェリーに伴走している。トビウオは、鳥のように長距離飛行ができるのだ。見事に広げた胸びれが、昼下がりの太陽光線を受けて輝いて見える。
 ところで、先ほどから進行方向右側に見えている陸は、どこだろう。遠ざかることなく、むしろ近づいてくる。実はこれがシチリア本島だった。工場や住宅の背後に、ゴツゴツした岩山が見え、草木があまり茂っていない。
 イタリア半島とシチリア本島は、目と鼻の先ほど近かった。乗船時間は、たったの25分。船というより大型バスの感覚で、地元の人たちはフェリーを利用しているようだ。もたもたしていた私は、チケットを買う時間的余裕さえ与えてもらえなかった。

◆タオルミーナ

 「メッシーナ」から列車に乗り換え、最初に向かったのは、シチリア最大の観光地タオルミーナである。海岸沿いに真南へ、移動が続く。窓から臨む美しい海岸に、憩う人はまばらである。周囲を海で囲まれたイタリアでは、ヴァカンツァといえどもシチリアまで出向く人は少ないのかもしれない。列車の乗客がぐんと減ってきた。世界各国の若者よりも、イタリア人の若い旅行者が目に付く。
 タオルミーナ駅に降り立つと、駅前にあるホテルに直行した。観光名所の宿探しは難航すると決まっているからだ。
 「最後の1室ですよ。部屋があって、良かったですね」
 日本のパスポートを差し出し、チェックインする私に、宿の主人は声をかけた。このホテルの泊り客は、ロビーでもレストランでも全員がイタリア語を話していた。夜中の12時を過ぎに、「ビールをいっしょに飲みに行きませんか?」と、隣室の20歳くらいの男の子2人が誘いに来た。寝入ろうとしていた時である。
 「眠いから、ダメ」と断ると、今度は隣室の窓から顔を出し、「チャオ!」と何回も言ってうるさい。そう言えば、「シチリアの男性はしつこいから、気をつけろ」と、カラブリアを発つ時に地元の人に注意されたばかりだった。
 翌朝、バスで駅前からタオルミーナの市街へ。絶景を誇る町は、高い丘の上にある場合が多い。ただでさえ美しい海岸を、丘の上に立って眺める。高低差と複雑な地形が、例えようもなく美しい。透明な海は、底まではっきり見え、海底の岩の形まで肉眼でとらえることができる。
 旧市街の中心には広場と教会があり、広場を背にして立つと、左右どちらにも贅沢な海浜風景が広がっていた。風景そのものが、美の競演をしているという感じである。町の外れには、紀元前3世紀に建てられた「ギリシャ劇場」がある。ここの円形劇場のステージに、オーディオセットが設置されつつあった。二千数百年という時を超え、現在も演奏会場として使われているのだ。
 イタリアの遺跡は、改修工事を加えながら、現在も人々の生活の場として使われていた。

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