おこがましくも!ユーミンセレクション

 我らがユーミンこと松任谷由美さん。この1999年の世でもまだまだ現役です。
 この息の長さは奇跡と言ってもいいでしょうし、時代を追い越していまだにリードし続けていることは、恐ろしいまでのカリスマ性です。

 だから、今セレクトしても、今後さらにこれらを追い越す作品が出てくる可能性を秘めているということです。誠に謎めいた無尽蔵の才能の宝庫という他ありません。これは、ほぼ同時期にデビューした他の歌手にも共通することではありますが。

 彼女の場合、荒井由美時代と松任谷由美時代を厳密には区別するべきなのでしょうが、ここでは一緒くたにしてしまいます。御了承のほどを。それに名曲が多いですからこれも数回に分けることになりそうです。

 何はともあれ、始めることと致しましょう。


埠頭を渡る風
 16ビートの刻みの上で、弦が息の長いメロディがまさに埠頭の風のように奏でられ、それにブラスの鋭い響きがかぶさってくる、もうこのイントロからしてよく出来ています。

 詞もよく出来ています。「青いとばりが道の果てに続いている」なんてそれだけでポエムです。それでこの歌で特に気づくことですが、ユーミンの歌はとても歌いやすく、耳にも心地よい。これは半濁音が少ないこと(この歌には一つも出てきません)や、特に低音には有声音を配置して聞こえやすくしていることを私は感じているのですが、これが果たして意識的なものなのか無意識にそうなっているのか・・・。

 最初のフレーズが一段落して「埠頭を渡る風をみたのは・・・」と始まるところは、かなり低音なのですが、ほとんどが有声音である上に、特に「みたのは」の「は」がはっきり歌えるようになっている。こういうことは実は歌にはとても大切な要素であるような気がします。歌いやすく聞いて美しい言葉。何か堅苦しくなってしまいましたね。反省。(流線形'80 収録)

スラバヤ通りの妹へ
 これも弦楽のアンサンブルのイントロがいい。水の中から紡ぎだされてくるメロディがやがて収束されて簡素なサウンドで歌いだされます。

 この曲の内容は、実は深い意味合いをもっていると思う。表向きはOLが旅行先でみつけた現地の娘さんとコミュニケーションをとろうとしながらもうまく出来ない、それが切なくて思わず旅を楽しもうとするだけの自分との距離感を感じてしまうということですが、その中に「私と日本に目を背ける」人々という戦争の傷を忘れていない歴史的でクールな視点が入っているのです。

 それでも少しでも距離感を縮めていきたいという前向きな歌詞が、この重くなりそうな素材を助けているという、微妙でアジアのしっとりした空気が感じられる曲。かなり私は好きなんです。(水の中のアジアへ 収録)

卒業写真
 これはハイファイセットのバージョンもいいですが、私はユーミンのオリジナルが好きです。ハイファイセットって洗練され過ぎて、なにやらこの曲の「甘えんぼ」的な魅力が薄れているような気がするのです。

 まあ、自分は季節に流されて変わっていくけれど、(多分初恋の相手だったであろう)彼にはいつまでも変わらないでいて欲しいという、調子のいい歌です。簡単に言ってしまえば。
 しかしそれが叶わないこと、すなわち彼も同じように変わっていくんだ、ということも当然わかっているわけです。そういう意味合いの中で「写真」の存在意義が出てくる。

 今は何でもかんでもビデオで撮ってしまいますが、写真のようにほんの一瞬を紙に焼きつけてしまうことの方が遥かに想い出を語っているように思います。

 と、偉そうなことを書きながら、夕方に電車でドアにもたれて外を眺めて聴くと、ちょっと目に汗が出てくるんですよね。恥ずかしいけど。

紙ひこうき
 この曲は、やはりユーミンの原点であるような気がします。曲調的には、なんてことないようなあっけらかんとしたものですが、この中に後のユーミンを預言する種が内包されていると。

 ユーミンの持ち味は何かということですが、それは曲想の自由闊達さと、それに見事に合った彼女自身の抜けるような声であると思います。なんと彼女には「のどちんこ」がないということですが、それもあの特徴のある声を生み出しているのでありましょう。

 まさに「紙ひこうき」を窓から飛ばすように彼女のメロディが自由に飛翔していった時、もはやユーミンの成功は確定されたのです。また、それを「ひこうき雲」のような哲学的な方向ではなく、恋愛という人類共通な方向にベクトルを揃えることにより、いわゆるユーミンブランドを確立することになるのです。

 しかしきっとユーミンは、この世界に戻ってくると思います。確実に。

ノーサイド
 私は、ラグビーという競技にはほとんど興味は持っていません。正月にラグビーの放送があってもほとんど見ることはありません。わずかにラグビーと関わったのは、高校時代でしょうか。体育の授業で数時間ラグビーを教わったことがありました。必ず後ろにパスしなければいけないことなど、納得できないルールも多々ありましたが、ボールを受け取ってから全力で敵をかいくぐってタッチダウンする爽快感は今でも覚えています。
 この「ノーサイド」。ラグビーの終了はこの「敵味方なし」というなんともイギリス生まれらしい紳士的な宣言によるのです。

 ユーミンは観客席にいながら、競技場のプレーヤを応援しています。彼が若さを犠牲にして何を求め何を得ていくのかをじっくりと追いかけます。そして競技が終了してもなお、プレーヤの影を追ってその想いを感じようとするわけです。

 このイントロは、私もキーボードでときおり奏でるのですが、奥深い味わいがあります。第二音をうまく使って調性を浮動させるユーミンの卓越した作曲技法が冴え渡っていますね。 

破れた恋の繕し方教えます
 この曲は「No Side」の中でも、かなり魔術的要素を持った曲です。既に離れそうになった恋人の心をつなぎ止めようとする女の執念を現しているこの曲。小生はかなり好きなのですが、大部分の男にとっては恐ろしい曲かもしれません。

 しかもこの魔術が効かないときには、「永遠に恋は出来なくなるけど」という恐ろしさがまたたまりません。いつの世にも恋の悩みと恋の終わりを永らえようとする想いはあったことでしょう。それを魔術で解決しようとする人間の弱さと、それをなんとかしようとする人間の執念と。それが相まったなんともいえぬ葛藤がこの歌にはあります。これだけの呪いをかけられる恋をしてみたいとも思いますし、こういう恋よりも気楽な恋もまた楽しという想いもあります。人間というものは誠に勝手なものです。

ベルベット・イースター
 ピアノの物憂い付点リズムに導かれて紡ぎだされるこの歌は、私が一番好むところのものです。

 曇り空の下で、迎えるイースター。雲の続く様がベルベットに見えるというのもなかなか趣があるではありませんか。こういう素朴な楽器編成の歌も最近は減ってきたように思います。たった一本のギターやたった一つのキーボードでも十分な思いを伝える術がある。それだけでなんと豊かな気持ちになることか。電子音に包み込まれているような現代でもきっとこのサウンドを認めている人がいるはず、そういう人たちに音楽は守られているのでしょう。


 一時期は、ユーミンのアルバム発売は年末の定番だったのですが、最近はちょっと不定期になっています。ベストアルバムを初めて発売するなど、彼女も一度自分の足跡を整理してみたいのかもしれません。それは我々ファンにも同じ意味を持つかも。彼女が何を追いかけ何を目標にしているのかを確認したいものです。

 それにしても何と膨大で質の高い名曲の数々でしょうか。
 あらためて眺めてもその量にため息をついてしまうそう。このセレクションも結局はほぼ全曲を取り上げざるを得ないのではないか? 果たして意味があるのか? などと自問してしまうほどです。

 それでは次回をお楽しみに。