商売上のもの作りに於いて事故は付き物である。
だからと言って安全性を無視して良いという訳ではない。
しかし安全性にばかり目を向けて、効率性をおろそかにしたのでは利益が上がらない。
利益が上がらない商売などは最初からやらない方がマシである。
最初に断っておくが、雪印や三菱の『アレ』は安全性、効率性と言う以前の問題だ。
単なる『手抜き』である。
まずは誤解なきように。
さて、正常な企業は社員に対して安全性を第一にと指導するだろう。
これに対しての社員の反応は大きく分けて三つのタイプに別れる。
第一に忠実に従う社員だ。
このタイプはまじめに言われた通りの仕事をこなす。
それ以上の事(つまり利益を追求)をして危険を冒すような事は決してしない。
最低限会社に不利益は与えない社員である。
企業の『安全性第一』の言葉の裏にあるものを読み取ろうとするならば、
企業にとって必ずしも良い社員とは言えないかも知れない。
第二に話を真摯に受け止めない社員。
もの作りの現場は工場である。しかし工場における労働環境は劣悪というのが現在の日本の現状である。
そんな状況の中に於いて、こういう態度を示す社員は意外に多いのではないだろうか。
『普通に』やっていれば、事故なんて起こらないだろう。とまるで他人事のように思っている輩である。
低賃金でまじめに働くなんて、馬鹿馬鹿しいと思うのは最近の若者に顕著に表れる特質である。
第三番目のタイプは安全性の重要性は理解するが、その中でもなんとか効率化を目指し、
会社の利益を重視するタイプである。
良く言えば、向上心がある社員だが悪く言えば突っ走り易く扱いにくい危険分子である。
しかし、恐らく本音を言えば企業はこのタイプの社員を求めている
にも関わらず会社が彼らに言う言葉は「会社の方針に従え」である。
雪印や三菱を見ても解るが、一度消費者から信用を失うと建て直しは極めて難しい。
だから利益を犠牲にしても、安全性を重視しようと守りに入るのだ。
その結果利益が下がり、社員の懐に影響を及ぼす。
こんな事ではやる気のある社員はやりきれないだろう。
しかしそもそも、安全性と効率性とは本当に反比例の関係にあるのか。
私はそうは思わない。
寧ろ効率化する事によってしか安全性は有り得ないとすら思っている。
とかく駄目な企業は事故が起きると、作業マニュアルを作り従来のものに加える。
これは発想が逆であると私は思う。
事故が起こると言うのは作業工程が複雑で且つやるべき事が多すぎるからなのだと思う。
そうである可能性を考えずに、さらに作業工程を増やしては混乱するだけである。
もの作りには必ずと言って良い程納期がある。
これは私の経験でもあるのだが、安全性ばかりに気を配り時間をかけると、
納期ギリギリで慌ててしまい、逆にミスを誘発する。
ミスを起こし事故が起こると、上層部の机上の会議でさらなるマニュアルが作られる。
また現場は混乱し事故に繋がる。悪循環である。
酷い場合などは、
「作業工程が増えるのは君達に意識が足りないからだ。これ以上事故を起こして作業を増やさない為に
一人一人が意識を持って仕事に当たりなさい」などと平気で言う。
実際にこのような事を言った現場の責任者を私は知っているが、
よくもまぁ、こんな台詞が言えたものだと思う。
事故が起きたのは社員の怠慢だと決め付け、きちんと仕事している社員も含め全ての社員に
負荷がかかるのを認知した上で連帯責任だと言わんばかりに言い放っている。
まるで自分達には責任がないとでも言いたげである。
あきれて物も言えない。
・・・・・・・・・とは労働者側の立場だが、この悪循環と責任の擦り付け合いを断ち切るには
どうしものか。
その答えは『作業工程を減らす』であると私は思う。
と、こんな事を言うと怒られてしまいそうだが、正確に言えば『作業工程を整理する』である。
無駄な作業を極限まで減らし、必要な作業を厳選してそこに時間を割けばよい。
発想が逆であると前述したが、まさに逆転の発想なのである。
安全性と効率性は反比例の関係にあるのではなく実は比例の関係にあると私は考える。
作業を効率化して素早く仕事を消化する事が出来れば、余った時間を検査にも避ける。
利益も上げられ、安全性も向上するのである。
私は効率化無くして安全の向上は有り得ないと固く信じている。
これは現場での経験上言える事でもあるのだが、とかくこの論理は会社には通じない。
ことごとく責任が追求されるアメリカ型の世の中になりつつあるこの日本。
誰しもが責任を逃れるべく躍起になっている。
事故さえ起きなければ、責任も取る必要がないのだから。
これが安全性重視、効率化軽視のからくりである。
この悪循環から逃れるためにも、今一度真剣に考える必要があるのではないだろうか。

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