コミュニケーション不足という言葉が昨今取り沙汰されている。
確かにそうかも知れない。
しかし、なんでもかんでもこれが原因だと言ってしまうのはどうなのだろう?
コミュニケーション不足で仕事がスムーズに運ばない。
コミュニケーション不足で議論が思うようにまとまらない。
こういった話を聞くたび、私は何かしら違和感を感じてしまう。
本当にそれらが上手くいかないのは、コミュニケーションが不足しているのが原因なんだろうか?
ある意味それは、その通りなのだと思う。
仕事にしても議論にしても、お互いの協力がなければスムーズに運ばない。
協力とは信頼関係のもとに築かれるものであるならば、確かに普段からの対話は必要だろう。
しかし、信頼関係などなくとも仕事は出来る。
仕事とは仕事であり、コミュニケーションとは別のものであるのだから。
即ちお互いが、合理的に割り切った考えを持てるのであれば、コミュニケーションなど不要なのである。
コミュニケーションというものを軽く見ている訳ではない。
コミュニケーションはコミュニケーションとしてやれば良い。
要は何故『コミュニケーションが無ければ、仕事がスムーズにいかない』となるのだろうと不思議に思うのですよ。
コミュニケーションとは必要と考えている人にとって必要となることによって、必要なのではないだろうか。
つまり、無理矢理必要なものにしてしまっているように思えてならないのである。
仕事をしながら、コミュニケーションをとるなんて芸当は私には到底出来ない。
いや、私に限らずそんな芸当は誰にも出来やしないのではないかとさえ思っている。
しかし、多くの人は必要だと言う。
その結果、仕事をほったらかしての無駄話・・・・・・・・・・・・・
まさか、あれがコミュニケーションでもあるまいて。
もしかしたら、辛い(と感じているところの)仕事を楽しくしよう(楽をしよう)として
都合よく必要なものとしてしまったのではないかと、疑ってみたくもなる。
仕事中は仕事以外の事は出来ないし、議論の最中も議論以外の事は出来ない。
この当たり前の事が当たり前でなくなっている処に『コミュニケーション不足』
という言葉に対する違和感を私は感じているのだと思う。
『コミュニケーション不足=仕事がスムーズに運ばない』
という図式は『みんな仲良くハッピーでなければ、仕事なんてやらないよ。』
という我がままなのではないだろうか。
コミュニケーションは大切なものだ。
お互いをよく知り合う為には対話がなくてはならない。
対話が無ければ誤解を生み、争いになることもある。
しかし、それと仕事とは別の話。
コミュニケーションと称して、無駄話を助長させる事のないように、
はっきりと区別をさせた方が良いのではと、私は思うのである。
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