「平和主義が争いを生む」
と言ったら多くの人は信じないだろう。
ところがこれは本当の事だ。
第二次世界大戦の惨劇はまさに、先の大戦の反省?による平和主義者の増殖がナチスの台頭を許したというのは有名な話である。
為政者の方も平和を訴えなければ民衆から支持を受けないので、平和を謳ってナチスを放置したのだ。
戦争というのはある意味正義と正義の戦いな訳で、第三者(平和主義者)がそこに介入して中間をとって妥協させたとして、
一度火が点いた正義、過激な勢力のパワーは見えない処で蓄積されているのである。
結局の処、(悲しいことだが)どちらの正義が正しいかは戦争(若しくは当事者間の話し合い)によって決着させるしかない。
それが、被害を最小限に防ぐ最も有効的な手段であることは歴史が物語っているのではないだろうか。
(但し、戦争終結にあたっては第三者(国)の仲介が必要な事もあるだろう)

余談だが平和とは戦争に対する語であるので、戦争が無ければ、平和もありえない。
戦争が全くなければ、平和を平和とは認識できないだろう。(つまり単なる日常である)
このことについては、少し哲学的な話になってしまうので今回は割愛するが・・・・・

平和主義者に話を戻す。
これは国際的な問題だけでなく、ごく身近な出来事についても言えることであるが、
人から好感をもたれるタイプというのは二通りあると私は思っている。
一つ目のタイプは自分の意見をはっきりと言える人間である。
勿論はっきり言えるだけでは好感されない。はっきり言えて且つ説得力があり実績をあげているような人間がそうだ。
こういった人間になるのは大変な事であり、並の人間では無理である。今風に言えばカリスマ的であり尊敬もされる。
もう一つのタイプは今回の主題でもある『平和主義者』である。
平和を愛するとはつまり争いを好まないという事だから、この手のタイプの人は人の話を良く聞き、
またそれに同意して相槌を打つのが常である。
全く別の人の正反対の意見にも同じような態度を取る。
そんな人を良くみかけるだろう。
そんな人尊敬できますか?
ところが好感はされるのである。
逆の立場で考えれば、よく解るのだが、自分の話を聞いてくれて、同意までしてくれれば誰だって嬉しい。
自分を気持ちよくさせてくれる人はどうしたって好きになってしまうものである。
しかしながら、平和主義的態度は一時的な平和を演出するに過ぎないと私は思っている。
いつまでも、対立する勢力(または意見)の体裁を繕って誤魔化していてもいつかはばれる。
その時の人間の恨みとは恐ろしいものだ。
今まで蓄積されていた不満や怒りが一気に爆発する。
そんな時、あいだを取り繕っていた当人はそそくさと逃げ出し知らん顔を決め込むか
必死に弁明して火に油を注ぐのがオチである。
そして対立する人たちはもはや改善の余地がないくらいまで、人間関係を悪化させるだろう。

平和主義的な温厚な心の持ちようが全て悪いとは言わないが、上っ面の誤魔化しが如何に非建設的であるかを知って欲しい。
被害(争い)を最小限に抑えるためには、出来るだけ早いうちにぶつかりあうことが必要だと私は思うがどうだろう。
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