独りは寂しい・・・・・
若者の多くは何の疑いもなくそう思うらしい。
友達の数が重要で、趣味やファッションが最先端を走っている事に美徳を感じているようだ。
そう言う若者達が徒党を組んで、孤独を決め込んでいる奴に嘲笑的にこう言うのだ。
「独りで楽しいの?」
そして、そいつの周りの仲間たちがニヤニヤと趣味の悪い笑みを浮かべている。
と、こんな「典型的」な場面に遭遇した事はないのだが、
実際「独りで寂しくないいの?」と思っている人は沢山いるだろう。
独りで寂しいとはどう言う事なのだろうか。
前述した通り友達の数が重要だと思っている人は沢山いると思う。
独りで遊ぶよりはみんなでワイワイやった方が楽しいに決まっている。
しかしそれがイコール『独りはさみしい』という発想になるのは短絡的である。
独りで寂しいと思う人間は独りでは何も出来ない。何も考えられない。
自分からは楽しみを見出せないという事だ。
つまり「独りで楽しいの?」と聞く人間は自ら私は空っぽですと言っているようなものである。
では、『独りで楽しい』とはどう言う事なのだろう。
無論、ものを考える事である。本を読む事でその著者と対話も出来る。
いろいろな事も教えてくれるし、時には相談にものってくれるだろう。
こんな事を言うと、危ない奴と思われるかも知れないが、努力次第で可能なのである。
独りの時間と言うのは本当に大切で、独りでじっくり考える事でいろいろな発見がある。
仲間達といる方が楽しいと思うのも勿論解るのだが、集団の中にいると自分を見失い易い。
誰にでも経験があると思うが、集団行動を重視していると集団からあぶれる事、
つまり仲間外れにされる事を怖れる。
仲間はずれにされない為にはどうすれば良いかと言うと、集団の意識に同意するしかない。
同じ趣味を持ち、同じ価値観を持ち、仲間の誰かが集団の外にいる奴が気に入らないと
言い出したら、それにも同意しなければならない。
『いじめ』の典型的なパターンだ。
勿論、そんな集団ばかりでないのは承知している。
優れた友人関係を結んでいるものもいるだろう。
自分が自分である事をしっかり自覚でき、また友人も一人の自分であると理解してやる。
お互いがそういう気持ちを持っていれば、素晴らしい友人と言えるだろう。
しかし私の経験から言わせれば、それはごく僅かである。
多くの(特に若者に多いのだが)人は集団の中に自分の価値を求める。
他人から認められる事が価値なのだ。
だから、多くの人が共通して持つであろう価値を、自分の価値にしたがる。
それは本当に自分の価値なのだろうか。良く考えて欲しい。
独りでいる事が素晴らしいと言っている訳ではない。
しかし、独りでじっくり考える事は必要だし、一度集団の外から集団を見てみると良い。
それが、本当に自分が望む集団であり、親友と呼べるに相応しい素晴らしい仲間達なのか。
『独りで考える』とはそういう事である。
友人と言うものは厳選して選ぶものであり、数が問題ではない。
数より質が問題なのだ。妥協をしては行けない。
付き合いと友情とは全く別物である。
厳選した結果親友と呼べる人に出会う事が出来なくても嘆いてはいけない。
いつか本当に親友と成りえる人物に出会えた時、集団心理に飲み込まれていては逃げられてしまう。
この世に出回っている沢山の本の中には、あなたを理解してくれる本(人)も沢山いる。
今はしばしの孤独、耐えてじっくり自分を磨く事に専念されたし。
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