
汝自身を知れとは、ギリシャのアポロン神殿に刻まれている七賢者の一人ターレスの格言で、 無知であるから考える。 まずは、そこからはじめたいと思います。
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勧善懲悪ハッピーエンド的なハリウッド映画や悪を倒して倒した敵を仲間にしていくといった 日本の少年漫画のようなものが余り好きではない。 余りにも現実が見えていない(私も見えてませんが)。取り分け人類が血と欲望によって築いてきた歴史を軽視している。 いや、歴史の残酷さ不条理さを見てきたから反面教師的に理想の正義をフィクションの世界に投影しているのかも知れない。 太陽のような明るさを持った熱血漢の英雄が世の中を動かしてきたという歴史は驚くほど少ない。 日本でいえば坂本龍馬くらいであろうか? 龍馬にしても多分に脚色された人物像であろう事は想像に難くないが。 そもそもそれが何故かといえば、理想の正義と現実の正義との間に大きなギャップがあるからだろう。 地球を守るだとか人類を守るだとかいうキャッチフレーズは非常に解りやすく、友情、助け合い、思いやり といったコピーも心地よいものなのだろう事は解る。 ところがこれらのコピーをよくよく探ってみると結局は自分を守ってほしい、傷つけないでほしい、といった 自己防衛的な発想からきているのではないかと疑ってしまう? 尤も自己防衛的な考えは悪いことではないけれど、それと正義とをすり替えていないだろうか?ということである。 勿論、所謂正義の味方のような英雄になりたいといった正義感から、 自分を犠牲にしてでも人々を守りたいとおもっている人も居ると思うが、 それとてメディアが作り上げた正義の範型(=イデオロギー)に晒された人たちが勝手に思っている正義である。 さて現実の正義とはどうであったか? 歴史は(現実は)こういった理想の正義とはかけ離れた処で動いてきた。 関ヶ原を戦った石田三成と徳川家康。はて?正義はどちらにあったか? 豊臣政権の簒奪を謀る家康に対して【正義】をもって立ち向かったのが三成ではなかったか? しかし三成に心から呼応するものは少なく、歴史は家康を選び、皮肉な事にそれによって後の江戸幕府260年の平和な時代が訪れた。 平和な時代が永く続くと幕府は温水の中で腐敗してゆき、幕末の動乱期を迎える。 欲望丸出しの欧米列強から弱体化した日本を救うため、【攘夷】の掛け声とともに志士達が立ち上がり、 ついには幕府を倒し日本を救うが、倒した途端に【攘夷】思想をあっさり捨ててしまった。 これらの何処に正義があったろう。 それでも日本はそれによって近代化を推し進める事ができ、ついには欧米列強に肩を並べるに至り、日清、日露戦争の勝利を経て、 あの悲惨な太平洋戦争に突入するのである。 だからこそ勧善懲悪ハッピーエンドを求めるのだ。 と人はいうかも知れない。 ところが事はそう単純ではないのです。 ハッピーエンドを求めるが故に逆に悲劇が起こることもあるのです。 第一次世界大戦の悲惨な体験を経た欧州では、各地で反戦デモ、平和への訴えを世に謳いあげた。 後の英首相のチャーチルのように、ナチスの脅威を事前に察知し懸念を抱いていた人も居たのだけれど、 平和主義者の台頭(平和主義者の正義)がそれらの声を打ち消し、ナチスを放置し、 結果ナチスのポーランド侵攻により、あの悲惨な戦争(第二次世界大戦)は開戦したのです。 歴史に【もし】はないが、もし【あの時】事前にナチスを叩いていたらどうなっただろう。 そのヒントが日本の歴史の中にもある。 関ヶ原に勝利し実権を握った徳川家康はその14年後大阪の陣で豊臣一族を根絶やしにする事になる。 もし一人でも生かしておけばそれが反乱の種となり、後の政権を揺るがしかねないと思ったからだ。 繰り返しになるが皮肉なことに、この一般に言われる正義とはかけ離れたこの行為が後の江戸幕府260年の平和を築いたのである。 誤解しないで欲しいのだけど、だからこそ危険分子は全て殺せと言っているのではありません。 あくまで歴史的事実を言っているだけです。 さて【あの時】に戻ります。 【あの時】ナチスを叩いていたらどうなったか? おそらく世界中(取り分け欧州の平和主義者)の人たちから非難を受けて、 叩いたもの(連合国?)が【悪】にされていたのではないかと思います。 その時、より悲惨な未来(第二次世界大戦)が暗雲の向こうに控えていたかも知れないとは多くの人は考えないのです。 私はこの稿を書くことによって、何らかの答えを導き出そうとしているのではありません。 尤も導き出せればそれにこした事はないのですが、今はとても無理そうです。 何を言いたいかというと、戦争や平和に対する考えや正義に対する範型(イデオロギー)を 国家やメディアが押しつけるのは危険であるということです。 つまり、勧善懲悪ハッピーエンド的な映画やアニメを見せられ続けると正義に対する固定観念のようなものが 出来てしまい返って危険では無かろうかと警鐘を鳴らしたいのです。 何故って、イスラム世界とキリスト世界の戦争はまさに正義と正義の戦いじゃないですか。 キリスト世界の過激派はイスラム世界を悪だという。 イスラム世界の過激派はキリスト世界こそ悪だという。 お互いが正義であり、悪であるところにこの問題の難しさがあるのです。 一方の世界の正義を押しつけて、さぁ、みんなで世界の平和を目指そうなどと言うのは絵空事に過ぎない。 大袈裟ですか? いやいや、意外と側に沢山いますよ。 「みんな仲良くおててを繋げば、みんな幸せハッピーライフ」と思っている人たちや、 「みんなが平和を願えば、世界は平和になる」と尤もらしいことを言う人たちが。 みんなが願う【平和】ってなんですか? それに従わない輩が出現したら勧善懲悪もののヒーローのようにぶっ倒すんですか? でも、それって戦争ですよね? つまり平和を獲得するためには戦争が必要って事ですか? そもそも平和って言葉は戦争が無ければ存在できない言葉ですよね? 何故って戦争が無ければ、平和が普通のことなのだから、それって単なる日常じゃないですか? 趣旨がズレてきたのでこの辺で終わりにします。 |
管理人:露談