ものを考えるとは、どういう事か?
我々はものを考える時、自問自答する。
これは本当に正しい事なのだろうか?上手くやるには、どうしたら良いだろう?
自分に問いを立てる。
しかし、それに答える自分はそれに答えるという事実から答えを知っている事になる。
答えを知らない自分が、答えを知っている自分に問いを立てるというのは、なんだか可笑しい。
知っているなら聞く必要はないのだ。
自問自答している時、我々は一体誰と会話しているのだろう?
自問自答というのだから当然、自分が自分にではあるのだけれど、前述の通りそれは不可能と思われる。
蓄積された知識や記憶(データ)を引き出して、検証し解析していると考えるのも確かに説得力はある。
過去の範例を元に、こういったケースではこうした方が最適であると判断する。
いわばコンピューターのようなものである。
この考え方を間違いとは言わないが、恐らくこれをやっているのは『脳』なのだと私は思う。
脳とはそういった意味でコンピューターに似た役割を担っている機関なのだろう。
では一体その脳(コンピューター)を動かしているのは誰なのだろうか?
それが『私』であるのだと私は思っている。
そう考えれば『自問自答』とは『私』が『脳』に聞いている。
つまり『私』と『脳』の会話という事になろうか?
しかし、ここで一つの疑問が生まれる。
脳によって導き出された答えを最終的に正しいかどうか判定するのは誰なのだろう?
そもそも、脳(コンピューター)に蓄積されたデータが全て正しいとは限らない。
それらのデータを判別し選定する機関がなくては、本当に正しい答えは見つけられない。
その『本当に正しい答え』を求める事を私は(本当の意味での)『考える』と呼びたい。
一方で『脳』が弾き出した答えを鵜呑みにして行動する事を『判断』と呼ぶ。
多くの人の『自問自答』とは専らこちらで、それを正確に行うには膨大なデータが必要であり、
であるからして『情報』が尤も重要であることになる。
そうして出来上がったのが情報化社会なのである。
科学者が「自分とは『脳』の事である」と考えるのは、そういった『判断』の基準が脳に由来することから来ているのだろう。
しかし、前述の通り脳を動かしているのは『私』なのだから、『脳=自分』ではない。
科学がどう言おうとそうなのだから仕方ない。
では『私』とは一体『どれ』なのだろうか?
科学者はそれを『脳』という。或いは胸に手を当てて『私』という人もいる。
しかし、『脳』とは前述した通りのものだと私は考えているし、まさか『胸』である訳でもあるまい。
はてさて、『私とはどれなのか?』と私は自問するのである。
そしてその時、それに答えるのは一体誰なのか?
もしかしたら、それが『神』なのかも知れない。
プラトンなら『イデア』だと言うかも知れない。
『自問自答』とは『私』と『神』の会話。
そんな風に考えて見るのも面白い。
全知全能の存在である神だからこそ、私に正しい答えを提供してくれる。
自分が自分に質問するなんて、摩訶不思議な行いは、
知らず知らずの内に、自分の中に神を見ているのではないかと思えなくもない。
手始めに『私』とはどれなのか?神様教えて下さいませんか?
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