ゲーム、アニメ、映画、インターネット、携帯電話。
世間には娯楽や情報ツールが満ち溢れている。
一方で、これらが原因とされる少年犯罪も増えているらしい。
ワイドショーなどを見ると、犯罪心理学者と称する人達がこれらの危険性を指摘している。
確かに、明らかにそれらが原因であると思われる犯罪も多々あるのだろう。
俗にルーレット族と呼ばれる輩の首都高速での暴走行為などは、それ系のアニメやゲームの影響を受けての行為であろうし、
少年犯罪が起こる度に少年の自室からはゲーム機やらアニメのビデオやらが沢山見つかった等と報道されれば、
納得してしまうのも無理はないのかも知れない。
しかし、それらはあくまでも原因に過ぎない。
それらを全て『悪』であるかのような報道の仕方をするのは、少し可笑しいのではないだろうか。
ゲーム機で言うなら、今の時代(子供が居る家庭なら)殆どの家にあるだろう。
しかし、殆どの子供は犯罪には無縁である。
これらの子供にとって、それらの物は原因にはならない。
原因にならない事によって、当然だが悪にはならない。
悪いのはあくまでも、犯罪を犯した子供なのである。
「いやいや、子供は無知で無垢なのだから、大人達がそういった物や情報から守ってやらなければならない。
だから、そういった物や情報を与える事が悪なのだ。」
こう反論する人もいるでしょう。
だが、この時『悪』となるのは、そういった物や情報を与えた大人である事になる。
やっぱり、物や情報自体には『悪』は見出せないのである。
そもそも我々は、資本主義社会、自由主義社会に生きている。
このことは同時に自由な市場での競争社会でもある。
現に、先の衆議院総選挙で国民は民間での競争(郵政民営化)や規制緩和を支持している。
国民のお墨付きを得た社会システムであるのは、言うまでもない事実だ。
であるならば、そういった物や情報が氾濫するのは承知の上でなければ可笑しい。
物や情報の流通を大人達が統制したいのであれば、国を共産化するより他ない。
大きな政府を否定して、小さな政府を支持したのは、他ならぬ国民自身である事を決して忘れてはならないのである。

そうして支持された資本主義、自由主義の社会の中でいかに子供達を守っていくか。
そこを考える事なしに、物や情報を『悪』に祭り上げた処で、何の解決にもなりはしない。
はっきり言って、あれらの知識人の無責任さには、吐き気がする。
あれならばまだ、共産主義を唱えたほうが、余程説得力がある。

結局の所私は、豊かさや社会的地位の高さを『善』とするこの社会の中で、
これらの犯罪を抑制する事は不可能に近いと考えている。
物や情報が溢れるのは、決して悪いこととは言わないが、受け手である我々がいかに活用するか、
いかに考えるか、そこの所を真剣に論じ合わなければいけないと思う。
楽しいことばかりを追求する社会では、それを満たす物や情報しか溢れない。
楽しいことと善いこととは違うと前にも書いた。
『善いこと』を追求する社会であれば、資本主義だろうが、自由主義だろうが、善い物や善い情報で溢れるはずである。
『善い』とは何か?
お金を沢山持っている事か?社会的地位が高い事なのか?
本当にそう思うのならば、恐らくこの国はもう駄目でしょうね。
阿呆なバラエティ番組で、若手芸人を騙して、陥れて笑いものにしているようなタレントが国民の支持を得ているようではね。
尤も、陥れられている当のタレントも美味しい思いをしているのだから、笑えませんが・・・・・・・
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