人生の先輩方がよく仰られる経験。
「若い奴とは経験の差がある」とか「経験的に知っている」とか。
経験として知っているって一体何を知った事になるのだろう。

経験とは科学に似ている。
科学とは仮定のもとに実験や検証を繰り返し。データとして事実を追求する。
そうして導き出された事実をもとに人類は近代文明を作り上げてきた。
経験も同じで、いろいろな成功や失敗を繰り返し試行錯誤を積み重ねて、
こういうケースはこうした方が良いとか、こんな時はこうしては駄目だとか学んで行くのだ。
であるからして、先輩方のいう経験的に知っているという言い分は事実としてそれなりに信憑性が高いといえる。
だが、そもそもの事実とは何かを知らなければ、実は何も知ったことにはならない。
このあたりまえな事。先輩方くれぐれもお忘れなきよう。

事実とは事実であり、真実ではない。
経験とは経験であり、真実ではない。
真実とは”1+1=2である”というような絶対的な定理である。
よって、事実が真実より正しい或いは経験が真実より正しいという事は絶対的に有り得ない。
プトレマイオスの天動説がコペルニクスの地動説に”事実”として塗り替えられたように
科学的事実や経験的事実は常に塗り替えられる宿命にある。
新たに塗り替えられた”事実”はさらに新たな”事実”により塗り替えられる。
”事実”は事実であるが故に永久に真実へは辿りつけないのである。
だからこそ、謙虚でなければならないし、探究心を忘れてはならない。
驕りをもって「若造になにが解るか!!」「俺の経験を信じろ!!」などとはもっての他である。

とは言うものの、経験は成長への糧となるのもまた”事実”。
目くじら立てず、若者に自分で考えさせ、(失敗も含めて)経験させるのも良いのではないですか?

因みに”真実”とて”真理”の前では真実に過ぎないのですが、、、、
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