大切なものを無くして困ったという経験をされた方は沢山いると思う。
この前、会社で得意先から預かった大切な原稿が無くなり、大変な騒ぎになった。
結局、別の得意先の原稿に紛れていて、その得意先の方から連絡があり、事なきを得たのだが、
一歩間違えば、大変な事故になる所であった。

ところで我々は、そこに『無いもの』を捜していた事になる。
『あるもの』を捜すという事は、『あった時点』で捜索が終わるという事だ。
しかし、『無いもの』を捜すと言うことは、無いことを確認する為に『全て』を捜さなくてはならない。
これ程、苦痛を伴うものも無いだろう。
例えは悪いが、失踪した我が子からの連絡を待つようなものである。
もし、我が子が何処かで死んでいたなら、一生待っても連絡は『無い』のだから。
帳簿を付ける意味というものを、社員一同身にしみて解った事件であった。

話は少し替わるが、私は本を読むときに気に留めた一文に赤線を引くようにしている。
何かのきっかけで、そういえば、あの本の著者が似たような事を言っていたなと思う事がある。
そんな時、赤線を付けておけば、簡単にそのページを見つける事ができ、
今感じた自分の思いと照合してまとめられる。
もし、記憶に頼って赤線を引かないでいたなら、その本を一から読み直すか、
或いは、せっかく感じた思いを、まとめられずに諦めてしまうかも知れない。
やはり、大切なものにしるしを付ける事は重要なのだ。

「覚えていられるから大丈夫」と高を括るのではなく、
人間の記憶力の脆弱さというものを素直に認めてやる。
これもまた、『汝自身を知れ』に繋がるのではないだろうか。

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