「お客様は神様です」と言った人が昔いたっけ。
他方「客なら何をしても許されるのか」と愚痴る店員もいる。
先日とある牛丼チェーン店で、「おちゃくれ」と言った客の言葉を「おひやくれ」と聞き間違えた店員が、
お水を持ってきた事に激怒している客を見た。
その店員は「お冷ですね?」と聞き返しもしていたのだが、当の客は完全無視。
結果出された『水』に対して、「お茶だっつってんだろ!!」である。
たかだか、4、500円の支払い程度で、殿様気分とは如何か?
資本主義的競争社会では、どうしても店側は受身にならざるを得ない。
それは、この社会では悪いことではないかも知れない。
しかし、健全な関係とは言い難いと思う。
飲食店を例にすれば、客は自分で料理するのが面倒。
或いは忙しくて料理している暇がないから、それらの場所に頼っているのである。
もし、競争社会でなく、そういった飲食店も数える程しか近所にないのであれば、
客は頭を下げてでも、食べさせて貰う事になるかも知れない。
そうなれば、お金とはその対価として当然であり、そこに暗黙の上下関係のようなものも成立しない筈だ。
だが、現実我々は競争社会の一員だし、そうであるかして、ライバル店も多数存在する。
その中では客を『神様』として扱わなければ、勝ち抜いて行けないという実情もあるのだろう。
社会的弱者という意味では、この牛丼店の店員もそれに当たるのかも知れない。
邪推ではあるが、これらの人たちの中には、日頃の鬱憤を晴らすため、
自分が客になった時、『やり返している』人もいるかも知れない。
しかし、その時標的にされている人たちも又、社会的弱者なのである。
そう考えると、社会的な力とは『金を持っているかどうか』という事になるのではないか。
金を持っていれば、良質な客になれる。
店側とすれば、競争社会を生き抜くために、重要なお得意様となるし、
客とすれば、自分がお前らを食わしてやっているのだと考えるかも知れない。
こうした関係性はこの社会システムの中では、仕方のない事なのだろう。
社会システム?
これ。これなのです。
我々が常に恐れているもの。
「社会システムとはどれですか?」
「いやいや、これですよ」
「だから、どれですか?」
我々は、目に見えない『これ』にいつも苦しめられているではないか。
仕事とは仕事であり、差別の対象になり得るものでは決してない。
客は「お前らを食わしてやっている」というかも知れないが、
仕事をしている人にとっては、自ら働いて飯を食っているのである。
そこの所、重要ですよ。
「でも、頭を下げなければ、客が来ない。
客が来なければ店が潰れる。
店が潰れれば、職を失うじゃないですか。」
と言うあなた。
「店が潰れても、あなたは潰れませんよ」
あなたが潰れなければ、まだ働ける。
『自分を潰して賃金を得るか』『プライドを持って仕事をして賃金を得るか』
あなたなら、どちらを選びますか?
『頭を下げることも仕事のうちだ』
と思っている人。
立派な考えです。客に満足を与える事によって賃金を得て下さい。(嫌味ではなく)
理不尽な思いまでして、頭を下げなくない人。
プライドを持って、自分の仕事を推し進めれば良いでしょう。
あなたが本当に素晴らしい仕事をするならば、客の方から頭を下げて来る時がきっと来ます。
如何なる理由があろうと、頭を下げたくない人。
大変ですよ。如何なるミスも許されないのだから。
自分のミスも許されず、他人からも許されない。その覚悟があるなら、どうぞご自由に。
ソクラテスは「食うために生きるのではない。生きるために食うのだ。」と言った。
我々は、『(客に)食わして貰うために働くのではない。(自分が)食うために働くのだ。』
そんな、プライドを持って、誰しもが働けば、無礼な客がはびこるなんて事は無くなるだろう。
本来仕事とは持ちつ持たれつ。
自分に足りない所を誰かがカバーする。
他人に足りない所を自分がカバーする。
そういったものが、社会の健全な姿ではあるまいか。
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