兵庫の尼崎市でJR史上最悪の列車事故が起きた。
運転士が二つ前の駅でホームをオーバーランしたという。
その事による時間の遅れを取り戻す為に、スピードを上げ過ぎた事が原因の一つのようだ。
日本人は時間を尊重する。それは良いことだ。それだけに根が深い問題である。

今回の事故の背景には、『1分半の遅れ』があった。
たかが、1分半であるが乗客は500人以上いた。単純に計算しても750分以上に相当する。
他の路線との乗り継ぎ等を考えると影響は計り知れない。
乗客の中には重要な会議を控えている会社員もいるだろうし、
遅刻すれば問答無用に教室から締め出される学生もいるかも知れない。
あせる運転士の気持ちも解る。
勿論、オーバーランというミスをした運転士の未熟さに問題があるのは事実だが、
全てを彼一人の責任にするのは余りにも気の毒に思う。
遺族の気持ちを察すれば、全面的に庇う訳にもいかないが、自分が運転士だったらと思うとやりきれない。
問題は運転士にこれほどのプレッシャーを与えて良いのだろうかという事だと思う。
例えば停車駅では、自動的にブレーキが発動するようなシステムは今の技術ならば可能ではないだろうか。
コスト面などで難しいとしても、せめてラッシュ時には副運転士を付けるといった事は可能だろう。
それも無理なら、社会全体が時間に寛容になる以外ない。
しかし、それを許してしまったら信用のない社会になってしまう危険性がある。
日本人は時間や品質の信頼の高さで富を築いてきた国民である。
時には外国の人達には理解出来ない程の几帳面さもある。
だが、そこの部分を否定してしまえば、我々のアイデンティティは失われてしまいかねない。
勿論、行き過ぎた部分は直さなければいけないが、気持ちとしてそういう部分はある。
だから、同じ国民として、運転士一人を責めるのは居た堪れないのだ。

恐らく死者が100人以上となるであろう今回の大惨事から、一体我々は何を学ぶのだろうか。
運転士一人を悪にして叩くのは簡単で解り易い。遺族の心を静める為には叩くべき悪が必要である。
しかし、そんな単純な結末だけにはして欲しくないと願うばかりだ。

最後に亡くなられた方々へ、心より冥福をお祈り致します。

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