なにかを読んで、その著者の考えを理解するには、それを自分の言葉に置き換え著者が挙げた例とは
違う例えが出来なければ、本当の意味で理解したとは言えない。
とは或る本の著者が言っていた言葉だが、全くその通りだとは思う。
そういった意味では私は理解力に乏しく、大抵の場合自分の言葉で答えられないと言う点に於いて、
本当の意味で理解できてはいないのかも知れない。
しかし、この本の著者も言っているのだが、言葉(文字)とは記号である。
記号で理解するとはどういう事なのだろうか。
記号とは抽象的でありイメージに過ぎない。
そう考えると理性的というより、寧ろ感覚的なものに近いような気がする。
私はとかく感覚で理解しようという性分なのだが、理性より感覚の方が時として正しいのでは
ないかとも思う。
論理的に考えれば考える程、矛盾に陥るとは哲学の常識であるが、そんな時は一度頭を
空っぽにして、感覚に頼ってみる。(哲学ではこれをエポケーと言うらしい)
う〜ん、理解出来たような出来ないような・・・・・・・・・・
思考の鎖から逃げるつもりはないのだが、やはり感覚で理解出来ると言う事はあると思う。
プラトンではないが、実相(イデア)とは人知の及ばない所にあり、物事を理性的に
完全に理解するなどと言う事は実は不可能なのかも知れない。
他人の言葉を理解すると言う時、それは『感覚がイデアに触れた』と言ってみても
よいのではないだろうか。
そこに自分の言葉を持って来られる人は恐らく『言葉のセンス』がある人なのだろう。

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