私達は非常に平和な時代を生きている。
物理的にはそうである。
誰かに殺される心配も殆どないし、住む家にも食べるものにも殆ど困らない。
けれど不思議なもので、物理的な平穏が続けば続くほど、内面的には病んでいくような気がするのだ。
「いやいや殺し合いをする世の中のほうが余程こころが病んでいるだろう。」
と言いたくもなるかも知れないが、そうではなく、人の”純粋さ”を言いたいのです。
確かに戦時中や戦国時代においては、人々は平気で殺し合いをしてきた。
平気ではないにしても、確かに人を殺してきた訳で現代の我々からしたら、
とても心が平穏だったとは言えない。
しかし、他人の命を奪うかわりに自分の命も常に危険にさらしてきたのが、かの時代の人々であり、
自分の命の事しか考えない現代人に比べれば、余程こころの性質が良いではないかと、
私は思ってしまうのであります。
(自分の命を晒せば他人の命を奪って良いという事ではありません。あくまでも当時の状況を踏まえた上で)
こころが純粋というのか、真っ直ぐというのか、いさぎがよいというのか。
つまり全力で生きている感じがするのです。
時には純粋ゆえに染められて残酷にもなる事もあるが、逆に純粋ゆえ、やさしくもなる。
生きて敵の首を持って帰って来る兵隊に「ご立派」だと涙を交えて迎える家族や上司や従者。
この中にまさに”残酷さ”と”やさしさ”が同居しているのではないか。
純粋さを持ってひたむきに生きていると何かの出来事に対して感動したり、
熱いものが込み上げてきたりする。
そう言った心を”充実”と呼ぶのではないかとふと思ったりする。
平和な世の中に生まれて、便利を享受してきた私にはもはや戦国時代を生き抜く術はないが、
そういった時代に生まれていれば、どうだっただろうと最近思うようなことがある。
もっとやさしくなれたかも知れない。残酷に生きて訳も解らず死んでいったかも知れない。
今の世の中では私にとって”満足”は出来ても”充実”できることが殆どないのである。
例えば誰かの為に命を費やして尽くしてやりたいと思ってもても、当の相手が”迷惑”だという。
人々が満足した生活を送っている為にそれ以上(充実)を求めないのだろう。
戦国時代や戦時中と現代。どちらが良い人生(心に於いて)を送れるかは
両方の時代を生きていない私には解らないが、
残された手記や文献又はそれらを元にして書かれた小説や伝記ものは数多くある。
歴史を知るというこは、それらの心を知ることにも繋がる訳で、
私にとっては無くてはならないものにもなっています。
昨今の歴史ブームに於いて、武将のだれだれが格好いいとか素敵だとか言われているようです。
それも良いが、一歩進んでその人達の”こころ”にも踏み込んで見てはどうでしょうか。
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