あなたは霊を信じますか?
良くテレビなどで聞くフレーズである。
そもそも信じるとは何であるか。
「君を信じるよ」などと言うのはテレビドラマなどで使い古された文句だが、
『信じる』とは間違いないと認めることである。
であるならば当然根拠が無ければいけない。
と同時に論理的に説明出来なければならないのではないだろうか。
他人の事を『信じる』と言う時、その根拠は何処にあるのだろう。
その人の普段の行動や言動によるものなのか。
もし、そうであるとしても恐らくそこには客観性はない。
(これについては、また別の項で説明するが)
主観的に見て、信用云々が言えるのだろう。
つまり、『相手を信用する』ではなく『自分が信用している』なのである。
良く考えて貰いたい。他人の心の中を読めるだろうか。 これは絶対に不可能である。
ならば、その人は一見良心的な人間に見えても、腹の中は反対かも知れない。
相手の本意が解らない以上、実は『信用する』というのは不可能なのである。
にも関わらず『他人を信用する』というのは妄想に過ぎないと言わざるを得ないだろう。
『信じる』とはつまり他人の為ではなく、自分の為の言葉だと言う事がお解かり頂けたかと思うが、
では、我々が普段使っている『信じる』に代わる言葉はないだろうか。
恐らくそれは『感じる』である。
『信じる』とは先程も言った通り、根拠があり且つ論理的に説明出来なければならない。
そういう意味に於いて、理性的であると言える。
『感じる』はというと、ズバリそのまま感性の部類である。
「あなたの言ってる事は正しいと感じるわ」
などと言う言い回しの方が、「君を信じるよ」と言うよりも
しっくり来るような気がするが、どうだろう?
話を最初の主題に戻すが、『霊を信じる』と言う事を考えて見たい。
前述の法則に当てはめて、これを言い直してみると、
「あなたは霊を感じますか?」となる。
どうだろう。これならこの手の質問に不快感を感じてた人も、前向きに答えられるのではないだろうか。
感じる事は自由である。というより『感じる』のだから仕方ない。
霊を『信じる』方々。あなた方を疑うわけではないが、説得や説法によって、
『霊を感じてない人』を信じさせる事は出来ないと言う事、『信じて』下さいな。

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