自然界に於いて、この世の全ての生命には存在意味がある。
何故なら全ての生命は自然になんらかの影響を与えるからだ。
例えば食物連鎖で考えて見よう。『食うもの』『食われるもの』のバランスの上に全ての動植物が存在する。
それに影響を与えない生命は、自然にとって何の意味もない。
意味のないものは、影響を与える事ができないし、影響を与えられないということは存在していないも同然である。
この事は、存在している時点で『意味がある』という証拠になるのだ。
こんなことを言うと「でも人間は食物連鎖に影響を与えていないじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。
確かに現代の人間は死んでも自然に還元されない。
それ処か、自然を破壊すらする。
存在しているだけで、『悪影響』しか与えないのであれば『意味がない』方がましである。
しかし、失いかけた人間の存在意味を見いだす事は出来る。
それは『考える』という能力があることだ。
生活を豊かにしようと『考えて』きた人間は、次に環境を守ることを『考え』始めている。
まだ、世界の人々の足並みは揃っていないかも知れないが、何事にも過渡期というものがある。
人間が『考える』ということを辞めない限り、環境問題も解決すると私は思う。
でなければ、人間は自然界から追放されるだろう。
悪影響しか及ぼさないものの存在を許すという事は自然そのものの『存在』にとって意味がないのだから。
自然とは宇宙であり、『神』である。
そんな風に考えられないだろうか。人は自然の中から生まれた。宇宙から生まれたと言ってもいい。
『神』を人間を作ったもの、もしくは自然界を作ったものと定義するなら、
まさしく『自然は神』であると言える。
我々人間の存在意味をもう一度考えてみよう。
『たった一度の人生なんだから楽しく生きなければ』
などという人もいるが、楽しく生きる為に人は生まれてきた訳ではない。
楽しむ事は人生を豊かにする一つのスパイスである事は認める。
しかし、「人生を楽しまなくては、生まれてきた意味がないじゃないか」とう意見は
あまりにも身勝手で享楽的だ。
「それもまた、人生」と開き直ることも出来るが、それこそ『意味の無い人生』ではないだろうか。
では、人間の存在意味とは何なのか?
それは『考える』ことである。
人間は生態系のピラミッドの頂点に君臨しつづけ、尚且つ食物連鎖に影響を与えずにいるにも関わらず、
自然の中に生き続けている。
意味の無いものは『存在しない』とは先ほど述べた。
自然界で唯一『考える』ことが出来る人間が生き続けているのは、それが意味のあるものだからに他ならない。
従って、人間の『存在の意味』『人生の意味』とは『考える』ことであると言えるのではないだろうか。
何を『考える』のか?そもそも自然とは何なのか?
まずはそこから『考えて』みてはどうだろう。
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