ローマ法王が他界された。
葬儀には200万人が参列したという。
イタリアではサッカーの試合が自粛され、イギリスではチャールズ皇太子の結婚式が延期された。
改めてキリスト教が世界に及ぼす影響力を感じさせる。
私は無宗教者であり、神も霊も信じていない。
神を信じていないと言っても、『宗教上の神』を信じていないという事だ。
人知の及ばない存在というものなら信じている。
というより『或る』のである。
宇宙の誕生には『原因』がある。我々が何気なくしている行動にも『原因』がある。
我々の行動の全てはその原因に対しての『結果』である。
つまりその『結果』も次の原因となるのだ。
その『結果』と『原因』を遡っていけば、宇宙の誕生に行き着くだろう。
これが自然の摂理である。
さて、その宇宙の誕生にも『原因』があり、その『原因』をずっと遡っていくと、
何の原因にも帰属しない絶対的な始まりに突き当たる筈である。
何故なら、永久に『結果』と『原因』を遡る事は出来ないからだ。
私はそれを神と呼ぶことにしたい。
アリストテレス風に言うと『不動の動者』である。
イエスは「信じる者は救われる」と言った。
私は前に『自分以外のものを信じるのは不可能』だと言った。
その私の立場から敢えて言わせて貰えれば、イエスは『インチキ』と言うことになる。
キリスト教信者を煽っている訳ではない。
自分の考えから論理的に導きされた答えなだけである。
しかし、宗教そのものを否定する気はさらさらない。
実際に『心』が救われている信者も沢山いる事だろう。
何かを信じてそれに従って生きていくという生き方は、自分だけを信じて思索に明け暮れる生き方よりも楽だろう。
疲れた心を楽にしてやるのが、宗教の役割なのだと私は理解している。
ただしかし、「信じる者は救われる」という物言いにはやはり違和感を感じざるを得ない。
では、イエスは何と言えばよかったのか。
「感じる者は救われる」「神を感じなさい」
如何だろうか?

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