巷を騒がせている耐震偽装問題。
『この国も来る所まで来たか』というのが私の感想である。
資本主義崩壊プロセスの一つであると言ったら、言い過ぎだろうか?
つまり、マルクスの言うように、資本家と労働者の関係、現代風に言えば『勝ち組』と『負け組』の論理である。
経済が疲弊すれば、『勝ち組』は利益を守る為にコスト削減を考える。結果安い賃金で、『負け組』を使役する。
『負け組』は収入が少ない訳だから、購買力が落ちる。
ものが売れないのであるから、必然的に値段が安くなる。デフレである。
『勝ち組』は当然さらなるコストの削減を考える。
ここからが、問題なのであるが、マルクスはさらに労働者の賃金を安くすることによって、この悪循環がさらに進み
資本主義は崩壊するだろうと予測していた。
ところが現代日本では、これ以上の賃金カットは『負け組』の反発を考えれば、やりたくない。
そこで考え出されたのが、安全の切り崩しである。
安全のコストダウンと言っても良いだろう。
今回の件で言えば、鉄筋の量を著しく減らす事だ。
記憶に新しい先の列車事故と同じではないだろうか。
安全システム構築のコストを抑え、日勤教育と称するプレッシャーを与えつつも無責任に安全を運転手に委任する。
今や景気回復の気運高まる我々の知らない所で、実は安全という最後の砦を切り崩しながら、
逆説的に我々の豊かさが守られていようとは誰も考えなかった。
しかし事実である。
私はJRの事故のあと、
『会社というものは、事故が表面化して大きなニュースとなり、マスコミにでも叩かれなければ解らないのであろうか。
恐らく日本中の会社の多くは、こんなものなのだろう。
まだまだ、JRのような悲惨な出来事は後を絶たない。
そんな気がしてならない。』
このように書き記した。
今回は事故に至る前に、問題が発覚した為、大惨事には至らなかったが、
不幸にもあの時の予感が的中してしまったと言わざるを得ない。
付け加えて言うならば、まだまだこの手の事件事故は起こるだろうと思っている。
もしくは『発覚するだろう』。
JRの時もそうであったが、マスコミや国民はこの手の事件事故が起こると、怒りを爆発させるだけ爆発させ、
問題の表層部分だけ論じて、その挙句に忘れ去ってしまう。
しかし、その裏には社会システムの崩壊が間近に迫っているという事実を認識しなければ問題は解決しない。
安全の切り崩しによって、今の我々の豊かさが守られているという事実は末期的な症状であるといっても
言い過ぎではないのである。
私は資本主義的な社会での人間の営みを否定するわけでも、資本主義自体を悪だと言っているのでもない。
事実現在の我々の生活の豊かさは、そうして作られ、与えられたものも多分にある。
だが、現在この国の裏で起こっている真実を正しく捉え、これ以上の経済の2極化や無謀な競争社会を抑えるような方策を
考えなければ、安全はどんどん切り崩され、それこそ完全に崩壊してしまう。
贅沢は敵だとは言わないが、ある種良い意味での社会主義的というか、『調整』というものは必要だと思う。
何故って、2極化した社会で一度でも『勝ち組』を経験したならば、『負け組』には落ちたくない。
『勝ち組』に属していたいという欲求が、無謀な競争による不正を生むのだから。
しかして実態は『勝ち組』も『負け組』も表裏一体、一蓮托生なのである。
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