パソコンのハードディスクが壊れて、今まで蓄積してきたデータが全て消失してしまった。
バックアップは絶対必要だとつくづく思った。
ところで、蓄積してきたデータ(記憶)が一瞬にして無に還るとは人間の死を思わせる。
人の記憶も死と共に一瞬にして消えてしまうのだろうか?
実は人間の記憶もバックアップが可能なのではないだろうかと考えてみた。
例えば単純に本を書き残す。日記でも構わないし、ちょっとしたメモでもよい。
そうして書き残された思想(記憶)は誰かに読み継がれその人の心に残っていくのではないか。
それはつまり、バックアップを取ったデータを新しいハードディスクに書き込むように。
DNAには人間の記憶も記録されていると聞いた事がある。
そんな事を信じている訳ではないが、もしそれが本当ならば、本など書き残さずとも
自分の子供、孫、曾孫と思想なり意思なりがDNAによって受け継がれていくかも知れない。
しかしそう考えると、子供を残さない人の意思はそこで途絶えてしまうと言う事になる。
それでは、寂しいのでもう少し深い所で考えてみたい。
人は母親から生まれた。これは事実である。
しかし人は宇宙から生まれた。これも事実である。
『宇宙の意思』とは良く聞く言葉だが、人の意思も宇宙に由来するとは言えないだろうか。
人は宇宙から生まれたのだから、その素材の全ては宇宙に由来する。
人の意思とは人が生み出したものであるのだから、意思(精神)も宇宙にあったもので あると考えられる。
もちろん素材であるから『そのもの』ではないが、
『それ』を構成するものは確かに宇宙にあった筈である。
人が死んだ時『それ』は一体何処へ行ってしまうのだろうか。
そもそも『心』とは何処にあるのだろう。
自分が自分であり、その自分が何かを考えている時、確かにそれは何処かにある。
それが死と共に消えてしまうと言うのはむしろ不自然ではないか。
なくなるとは『無』になると言う事であり、ある(あった)ものが無になる事はない。
人は死んでも肉体は残る。残った肉体は死体であり『自分』ではない。
では自分は何処へ行ったのか。
自分とは精神の事であり、『魂』と呼んでもいい。
何故なら死体を見れば解るが肉体は只の『肉の塊』に過ぎないのだから。
では自分である所の『魂』とは何か。
それは『脳』であると言う人もいる。
しかし、脳も『肉の塊』に過ぎないのは死体を見れば解る。
(実際は頭を切って開けてみなければ確認出来ないが)
ならば『魂』は何処かに残っていなければならない。
つまり人の『魂』はこの宇宙の何処かに残っている筈なのである。
その宇宙に彷徨っている『魂』が、新たに生まれてくる人の素材になるとしたら、
人の意思は受け継がれるのかも知れない。
もっとも素材であるのだから、『そのもの』ではないのだけれど。
或るものが或る素材から作られる時。作られたものは、それを作った素材を内包している。
これを包括(統括)と言う事にする。
包括された精神がまた素材になって、それがまた包括されまた素材になる。
弁証法的にこれを繰り返し、いつしかヘーゲルの言う絶対精神へ導かれるのだろうか。
何時か誰かが絶対精神を手にいれる時の為に、もう少し考えてみたいと思う。

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