哲学の巫女が死んだ。
安らかに云々だとか冥福を祈るだとか、そんな言葉は彼女には相応しくのないのかも知れない。
色即是空。あの世こそ彼女のホームグラウンドではないか。
生と死について一生考え続けた彼女は最期に死を知る事が出来たのか?
それとも、やっぱり死は”無かった”のですか?

あなたは良いかも知れないが、あなたがこの世からいなくなると私が困る。
”勇気と自信”貰ってたんですがねぇ。
「そんなものは他人から貰うものじゃありません。」って言われそうですが。

あたりまえな事をあたりまえに言う。
そんな、あたりまえな事を普通に言えたあなたはやっぱり凄いと思う。
私はこの世でそれを言う事に躊躇してしまう。怖いのです。
この世とはあたりまえな事を封印して、誤魔化して、、、、、、嘘の世界ですからね。
(現実という名のバーチャル。それでいて”バーチャル”という言葉に神経質な人々。)
だからあたりまえな事を言う人間はこの世では邪魔ものなのです。
多勢に無勢。そんな中であなたに出会い。”勇気と自信"を貰った。
けれど、「後は自分で考えろ」ですか・・・・・

ところで、あなたとの出会いは精神界での出会いでした。
文字(言葉)としてあなたに出会い言葉として死を知った。
言葉が無ければあなたを知る事はなかったし、言葉が無ければ死ぬことも無かった。
人間とは言葉であり精神である。あなたの死をもってその事は証明されていますよ。
逆に言えば、私があなたの死という言葉に触れなければ(訃報を聞かなければ)
あなたは私の中で永遠に生き続けられる。不思議なものです。
何故って、あなたの書いたものにはいつでも触れる事が出来るし、それに触れた瞬間は
紛れも無く”現在の生の言葉”なのですから。
語り手がいつ、どこで、それを語ったかなんて事は重要ではない。
受け手がその言葉を受け取った瞬間が受け手にとっての現在(いま)なのです。
あなたの言葉は今後も受け続けます。
そうする事であなたは永遠に精神界という現実の世界で生き続けていけるのでしょう。

でも、、、、、、
それでも、時間は止まってしまった。
20年後、30年後。円熟を増したあなたの言葉に触れてみたかった。
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