「うつ」について思うこと。
いわゆる脳に障害がある精神異常者と「うつ」に代表されるような精神疾患者とは根本的に違う。
脳に障害があれば、それは病気と呼べるだろう。
脳に障害がないならば、、、、、、、
近年の精神科、心理学の世界では、それでも病気と診断する場合があるようです。
「うつ」に対する世間の見方は最近では「理解」が深まりつつあるとも聞きます。
他方でいまだに「わがまま病」なのではなかろうかと勘ぐる方も多いでしょう。
あえて私の意見を言わせて頂ければ、『わがままを内包した、精神的落ち込み』
ではないかと考えています。
これに病名をつけて、「はい、お薬出しましょう」的な医療には甚だ無責任さを感じるのである。
病名をつけられた側は、もしかしたらそれによって救われる思いになるかも知れない。
「病気なんだから仕方がない。」「俺が悪い訳ではない、世間の冷たさが悪かったんだ」
でも、それでは根本的な解決にはならないのではないかと私は思っています。
私の会社にも鬱病の方がおられまして、休みがちといいますか、殆どまともに仕事が出来ておりません。
ところがこの方、多趣味な方でして、パチンコやらマンガやらお笑いやらが大好きな方で、
仕事中もそれらのお話となると、陽気に一日中喋っておられます。
遅刻した日の朝も、休んだ日の翌日も閉店までパチンコを打っておられたとか話しておられる次第で・・・・
つまり、嫌な作業をする時だけ、都合よく「うつ」になってしまうんですね。
もう一つは人間関係でしょうか。
自分が常に中心でなければ嫌なようで、人とよく対立する。
対立する場合意見を交換しあえば、お互いを理解しあえる事もあるでしょう。
それでも反りが合わないなら仕方ない、徹底的に対立すれば宜しい。
ところがこの方、社長のお気に入りでして、社長に讒言することで
嫌いな人間を追い出してしまったという過去があるのです。
こういうところ、周りの人間よく見ております。
次第に彼の周りから人が離れていきました。
それが原因かどうかは解りませんが、自律神経失調症ということで休みがちとなってしまったという訳です。
こういった例を出したのは彼が憎いからという訳ではありません。
まぁ、好ましく思っていないのは事実ですが。
何を言いたいかといいますと、自分の側にも問題があるにも関わらず、そこを直さずして「うつ」の克服など
まったくもってムシが良すぎる。
医者も医者で病名をつけて薬を出せばいいってもんじゃないでしょう。
ここで必要なのは心理学やら精神科やら高尚なものじゃなく、どこに問題があるのか、
またそれを認めさせ改善させるようなカウンセリング療法ではないんですか?
(カウンセリングも心理学が生み出したものではありますが)
脳に障害がないのであれば、自我だってある筈だ。
(目覚めていなければ啓発してやれば良い)
自我があれば自分で自分の事について深く考えることもできる。
マンガばかり読んでいないで、まともな本だっていくらでも読める。
そうして自分の問題点に気付ければ「うつ」だって克服できるのではないか。
医者の診断に甘え「病気なんだから頑張らなくてもいい」などと考えているのだとしたら、
いつまでたっても螺旋の輪の中でもがき続けるだけではないか。
心の領域はある意味、神の領域でもあると私は思っている。
形もなく空間に場所を占めている訳でもないのだから。
そんな領域に薬でなんとか出来ると思っているのなら、それは医者や学者のエゴだろう。
少々厳しいことを言ったかも知れない。
私だって落ち込む時はあるし、辛くて我慢できないこともある。泣きもするし、怒りもするし、、、、
だから、全く門前払い理解などしてたまるものか、、、、と思っている訳ではない。
「長い間迷惑かけてすまなかったね。これからは俺も頑張るから宜しく」
そう言ってくれたなら、サポートしてあげようと思えるかもしれない。
その一言が欲しかったのです。
ある番組で精神科医が「心理学の世界は今急速に進歩しております。」と言っていました。
私のような意見もでましたが、「あなたは遅れている」と一蹴しておられた。
では一体あなたは何が進んでおられるのですか?
形もなく目にも見えない『それ』を病気と診断して、薬(物)で治せると本気で思っているのでしょうか?
勿論思っていないでしょう。薬は一時凌ぎで根本的な治療(カウンセリング)は少なからずやっているのでしょう。
でもね、「頑張らなくて良い」という特効薬的なカウンセリングではやっぱり一時凌ぎに過ぎないと私は思います。
心の問題はやはり心で治すしかない。それは「悩むのではなく頑張って考えること」ではないでしょうか?
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