「余裕かましてんじゃねぇよっ!!」
という言葉が喧嘩の常套句になる位なのだから、『余裕』という奴は、いけ好かない態度の事なのであろう。
尤もこれは相手が気に入らない人間である場合の話だ。
自分が尊敬する人。或いは仲間である場合は、一転好意的な言葉となる。
「○○先生は流石に落ち着いていて、余裕があるなぁ」
「●●さん家のご主人は、大人の余裕を持ち合わせていて、素敵ねぇ」
しかして、その実態はというと、極めて差別的な語という事になろうか?
私が問題にしているのは、『余裕』という言葉の使い方ではない。
『余裕』とは何かという事である。
『余裕』とは差別的だと言ったが、それ故人は『余裕』を見せたがる。
上流階級(と呼ばれる)人達が持つ『余裕』とは多くの場合、経済的な『余裕』であって、
精神的な『余裕』ではない。
寧ろ、精神的には経済水準を維持しようと『必死』なのではないだろうか。
邪推である。
しかし、実際『余裕』を見せようと『必死』になっている人は、皮肉ながら多いのではないかと思う。
それは・・・・・・・・・・・

『余裕』=クールで格好良い。冷静で切れ者。お金を持ってそう。
『必死』=暑苦しく格好悪い。落ち着きが無くバカ。貧乏そう。

というようなイメージによる所なのだと思う。
「余裕かましてんじゃねぇよっ!!」
は、言い替えれば
「お前の態度の裏側はバレバレなんだよっ!!」となる。
邪推である。

話を戻そう。
『余裕』とは、私は知識量の事なのだと思う。
知識という言葉は余り好きではないので、『考えて、得たもの』と言いたい所だが、
解りづらいので、ここでは知識としておく。
その知識の量が多い程、『余裕』があると言えるのではないか。
『余裕が無い』とはつまり、『必死である』と言う事だ。
『必死である』と言う事は、つまり全身全霊を傾けなければ、対処できないと言う事である。
全身全霊を傾けなければ、対処できないと言う事であるから、
つまり知識の絶対数が限界に来て、どうしようも無くなっているのである。
まぁ、そこまで極端には言わないまでも、知識が豊富であれば、7割、8割の力でも事足りる。
余力を残すことが出来るから『余裕』が生まれるのだ。

『余裕』とは人を見下すために『かます』ためのものではないし、
『かまされた』としても、ムキになっては『余裕』のない証拠になるだけだ。
『余裕』のある人間になるためには、『考えて、得る』という事をする以外ないのではないかと思う。
私は差別的な意味ではなく、真の意味での『余裕』のある人間になりたいと思っている。
その為に『必死』である・・・・・・・・・・・・・・・・・


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