「この綺麗な夕陽を観るために、生まれてきたのかも知れない」
とある番組でとある若者がこんな事を喋っていた。
彼は、そう感じた瞬間から勉強をする意味に疑問を感じて、学校へ通わなくなったのだと言う。
若干10歳の時の出来事である。
私はテレビ番組を流し観ている所があるらしく、話の前後を正確に把握してはいない。
只、10歳の少年が到達しえた、ある種の人生論的な感覚に強い印象を受けたのは確かだ。
彼は現にそうして生きてきているのだから。
人生を悟るのに年齢は関係ない。
死ぬまで人生の意味に気付かない人々も沢山いる。
気付いたつもりで死んでいく人もいる。
彼もまた『つもり』なのかも知れないし、勉強したくない言い訳でうそぶいているのかも知れない。
だが敢えて、この言葉を彼の本心から言っているものだと解釈するならば、実に深く、そして核心を突いた言葉だと思う。
「君に出会うために僕は生まれてきたのかも知れない」などと歯の浮いた台詞を言うよりも、余程説得力がある。
夕陽の美しさというのは、自然の営みの中で表れる現象である。
宇宙の運営の中の一つの出来事とも言えるかも知れない。
夕陽は何故美しいのだろうか。
それは人間が知覚することで、はじめてそうなるのではないだろうか。
人間が知覚することが無ければ、夕陽は美しいものとして捉えられる事はないだろう。
他の動物たちが、果たしてあれを美しいと感じるであろうか?
・・・・・であるならば、夕陽の美しさとは、人間にそう感じて貰うために存在しているのかも知れない。
逆に言えば、人間はあの美しさを知覚する為に生きていると考えるのもあながち的外れでもないだろう。
誰だったか?(小林秀雄だったか?)
「美しい花はあるが、その花から美しさだけを取り出すことは出来ない」と言っていた(何かに書いてあった)のを思い出す。
上手いこと言うなと思った。
『美しい』という言葉は誰でも知っている。知っていて使っている限り、誰しもが理解している筈である。
しかしながら、「美しいとは何か?」と聞かれて、具体的に説明できる人は一人もいないだろう。
そこの所の不思議、そしてその不思議を感じ取れるところの人間。
私は人の生の意味を、そこに感じてしまうのだ。
宇宙が人間を生み出した理由。
それは、人間に宇宙を知って貰うため。
人間が宇宙を理解するため。
夕陽の美しさは、宇宙の一つの側面でしかない。
人の醜さも、一つの側面であると言えるのかも知れない。
我々には知る事が必要だ。それが我々の役割だと思う。
夕陽の美しさを知る事が、役割である人がいてもいいんじゃないだろうか。
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