東京で13年ぶりに、震度5を超える地震があった。
交通機関はマヒし、都市機能の脆弱さを思い知らされた。
しかし、それよりも都市に住む人間達の精神力の脆弱さというか、
自分勝手な振る舞いというものが浮き彫りにされたように思えるのは私だけだろうか?
JRは車両の検査と線路の点検のため、一時運行を見合わせていた。
安全性を考えれば、当然の処置である。
構内では、理解を求めるための説明と謝罪が繰り返されていた。
にも関わらず、客達はそんな放送も耳に入っていないのか、我先にと構内に雪崩れ込み、案の定待ちぼうけを喰わされていた。
痺れを切らせた乗客の一部は、JR職員に当り散らしはじめる。
一部の人間が騒ぎ出すと、群集心理によって、呼応するもの達が出てくるのは、もはや常道である。
放送を無視して、勝手に切符を買い構内に雪崩れ込んだ客達は、一転払い戻しを求める長蛇の列にとって代わった。
ある種の混乱状態がそこにはあったのである。
もし、こうした混乱を避けるため、車両や線路の点検を簡潔に済ませ、それが原因で事故でも起こっていたら、
恐らく乗客たちは、JRに対して罵声を浴びせるだろう。(無論それだけでは済まない)
先の福知山線の大事故の教訓は何もJRだけが、感じるものではない。
乗客のすべても、あれを教訓にして有事の際は寛容にならなければ、あの事故の被害者達も浮かばれないであろうと思う。
だが、悲しいかな、それでも誰しも自分の身だけが可愛いのである。
だから、JR職員にでも当たらなければ、収まりがつかなかったのだろう。
新潟の震災時にも、同じような振る舞いが見て取れた。
(テレビで見たのだが)ある被災者は配給されたおにぎりを一人2個までと決められているにも関わらず、
沢山抱え込んで、走り去ろうとしていた。
側にいた人に注意をされて、素直に従い返してはいたが、自分と自分の家族の身可愛さの行動なのだろう。
確かに配給が追いつかず、満足いくだけの食料は確保出来ないのかもしれない。
だが、だからこそ、少ない食料をみんなで分かち合う心が必要な筈である。
貧しい時代の日本人はそうしていたのでは無かったか?
モノの豊かさと反比例するかのように、人の心は貧しくなっていく・・・・・・・
今回の地震では大きな被害は起きていないらしい。
しかし、近い将来起こるであろう東京都心直下型の大地震に見舞われたとき、助け合うという心は芽生えるのか?
少し、悲観的に私は見てしまうのである。
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