第13回 負けられない
大会もいよいよ佳境に入り、闘技場はこれまでにない熱気に包まれていた。観客という観客は、最早人とは呼べないような声を上げて熱狂し、ヴァノン一帯にまで響いてしまいそうなほどだ。
その中、ヘイムダル、トゥール、ミリア、ロキ、そして、三銃士のエマ、シルク、ミレーユがいた。
「控室にいる銀牙、フラッド・フリークス以外は全員いるわね……? あらっ、光の身型(ボディータイプ)の和服と、雷の具型(ツールタイプ)の娘がいないわね」
ヴァルキリーの能力を使って敵の様子を探っていたミリアは顔ぶれが僅かに足りないことに気づいた。
ラルクレス・ハイードが自分達に対して何らかの策を弄することは最初からわかりきっている。いつもほぼ全員で試合を見に来ているところを、今回彼らだけいないのは作戦の一環なのだろうか?
無論、これは皐月がフラッドにやられて試合観戦に行けず、医者である月華がそれについているだけなのだが、そのことをミリアが知る由もない。
しかし、あちら側のオーバードライブが不明とはいえ、こちらの方が戦力的にはかなり上だ。何をしてこようとも勝てる自信はある。出し抜かれるなどあり得ない。
とりあえずは気にする必要はないと結論付け、ミリアは舞台に目を向けた。
決勝トーナメントの組み合わせが発表されたところだった。
「月! 邪馬・銀牙!!」
「太陽! アトラ王国・フラッド・フリークス!!」
頬を伝う汗は冷たい。どれだけ自身を奮い立たせようとしても、怖いものは怖いのだ。
決勝トーナメントはエンターテイメント性を高めるために、参加者にくじ引きをさせ、組み合わせを作り直している。
覚悟はしていた。が、まさかいきなりフラッドと当たるとは思わなかった。
舞台上でフラッドと対峙する。フラッドはいつもどおり、表情一つ変えずに冷然とこちらを見据えている。
対して自分はどうだ? 弥生を守る。そして、それを手助けしてくれる仲間もいる。だというのに、恐怖を拭い去れない。喉はカラカラで手先は小刻みに震えている。最悪だ。
……くそ、こんなんじゃあ……勝てるわけ……
「くぅ……!」
弱気になってどうする! 弥生を、好きな女の子を守るんじゃなかったのか!?
拳を固めて手の震えを、その拳で膝を叩いて何とか抑えようとするが、止まってはくれない。
「怖気づいたか? つまらぬ男よ」
そんな銀牙に呆れた様子でフラッドは言った。
「その程度の小童が俺を倒そうとは片腹痛い」
言い返したいが乾ききった喉からは声というより呻きしか出てこない。自分が情けなくなる。
「つまらん」
一歩、フラッドが前に出る。銀牙の脚は、無意識のうちに後ろに下がった。
「実につまらん」
さらに一歩、フラッドが前へ。後ろへ銀牙。距離は変わらないが、恐怖心は高まっていく。腰が抜けそうになるのを堪えるのに精一杯だ。
戦いが始まる前から既に銀牙の心は限界寸前だった。あともう一つか二つ、彼の心を痛めつける何かがあれば、確実に心が折れてしまうだろう。
だが、フラッドの放った言葉がそんな銀牙の心を大きく揺さぶった。
「――――」
今……何と言った?
フラッドは言った。自分にとって、とてつもないことを言った。
「……フラッド……」
「聞こえなかったのか? ならばもう一度だけ言ってやろう」
そしてフラッドははっきりと、銀牙にとって許しがたい言葉を口にした。
「弥生を殺すぞ」
と。
心臓が跳ねた。
弥生を殺す。確かに奴はそう言った。
「てめぇ……!!」
そうだ。忘れてはいけない。
この戦いに負けるということは、弥生を殺されるということだ。今のフラッドなら、確実にやる。
守るというのはそれだけ重い。フラッドが強いからと自分に言い訳して負けるのはただの責任転嫁だ。
弥生は銀牙にとって、初めて会ったときは村の外から来た人間という、ただの珍しいだけの人間だった。
しかし、友達になり、一緒に旅をするようになってから、徐々に異性としての感情が芽生え……
好きになっていた。大切な人になっていた。
そんな存在を、フラッドは殺そうとしている。
さぁ、銀牙よ。大切な弥生を守れなかったシーンを想像してみろ。
物言わぬ屍となった弥生。胸にはフラッドの剣が墓標さながらに刺さっている。
もう彼女は自分を見てくれない。声をかけてくれない。笑ってくれない。
そうなったら自分のせいだ。
一生自分を許せず後悔して生きていくことになる。
それだけは絶対に嫌だ。
だったらどうする? 決まっている。戦うんだ。己の力、技術、得物、頭脳、知識、運……全てを動員して勝たねばならない。
気がつくと、震えは止まっていた。
いける。俺は戦える。
銀牙は鞘から剣を抜いて身構える。
「ようやくやる気になったか」
微かに笑みを浮かべ、フラッドは左手を突き出した。
途端、銀牙は息を呑んだ。
前後左右、ちょうど今いる舞台を囲むように緑色の壁が現れた。上を見ると、壁だけではなく、同色の天井まであり、銀牙とフラッドは立方体の箱に閉じ込められる形になった。
何が起きたのか銀牙が理解するのにそう時間はかからなかった。
壁で一定領域を隔離する、空型(ゾーンタイプ)のオーバードライブ。それも、色が緑であることから風属性と分かる。
だが、解せない点がある。オーバードライブは誰であろうと、一属性一系統に限られる。フラッドは皐月との戦いで闇の具型(ツールタイプ)のオーバードライブを使っていた。なのに、風の空型(ゾーンタイプ)を使っている……?
「なぜ……だ?」
口を突いて出た疑問にフラッドは「簡単なことだ」と前置きをしてとんでもないことを言った。
「俺は全属性であり、全系統。故に全てのオーバードライブを習得できる」
「なっ……!?」
「とはいえ、俺に使えるのは僅かだ。計四十種分はない」
だからといって安心できない。
オーバードライブは属性と系統さえはっきりしてしまえば、相手が能力を隠し持っていたとしても、ある程度の対策を講じようがある。が、全四十種もあれば、どれを使ってくるか読むのは不可能だ。
しかも、今わかっているものだけでも破らなければと思うが、この空間は風属性だ。風属性は全属性中、最も使い勝手の良い属性といえる。そのため、能力の予測ができない。
それなら、取るべき手段は一つ。
能力発動前に破壊してやる!
空型(ゾーンタイプ)の空間は、使い手の力量に関係なく、他者が空間そのものを破壊することはできない。が、銀牙には『銀(しろがね)』がある。
『銀(しろがね)』ならば、オーバードライブ本来の常識など通用しない。
無論、それはフラッドも知っている。『銀(しろがね)』を放とうとする前に、長剣を抜き、銀牙に斬りかかった。
横薙ぎ一閃。稽古の時とは違う真剣。手加減のない殺意を纏った必殺の斬撃。
かろうじて、銀牙は両手の刀を交差させ、その一撃を防いだ。
だが、その瞬間、銀牙の右腕に痛みが奔り、血が噴き出した。
「何っ!?」
フラッドの剣戟は確かに防いだ。が、右腕には剣による切り傷が二つつけられていた。
「これが俺の二つ目のオーバードライブ。風の空型(ゾーンタイプ)シルフミスチーフだ」
言いつつ、長剣を振り下ろすフラッド。銀牙は横に跳んでかわす。空を斬ったフラッドの長剣は僅かに敷石を削り、一筋の傷を作る。一瞬遅れて、同様の傷が敷石に刻まれた。
「シルフミスチーフ……この空間内で俺の放った攻撃を風が再現する。お前がいくら俺の剣を受けようと、風の刃がお前を切り裂く……この意味がわかるか?」
フラッドの言葉の意味は、分かりすぎるほど分る。
……これじゃ、近づけない……
フラッド自身の剣は何とか受け止めることができた。が、風の刃は不可視。こちらは無理だ。二撃目をかわせたのは単なる偶然に過ぎない。
この事態を打開するには、やはり空間を破壊すべきだが、先程のように邪魔をされるだろう。
そうなると、中、遠距離から攻めるしかない。
銀牙は後ろに飛び、距離をとった。
「やはりそうきたか。では、これならどうだ?」
フラッドの左腕から黒い鎖が伸びた。
闇の具型(ツールタイプ)トゥーチャーチェーン。標的に巻きつきディクシスを奪う闇の黒蛇は六本それぞれ違う角度から襲ってくる。
捕えられたら終わりだ。とはいえ、退路を塞ぐように迫る鎖をかわすのは不可能に近い。
ならば、正面から受けるしかない。
「銀・纏(しろがね・まとい)」
銀牙の両手の刀が『銀(しろがね)』の霧に包まれる。猛雄との戦いでは防御のために使ったが、今回は刀身のみに集中した攻撃用だ。
銀牙は刀を振った。二刀流の強みである手数を活かして鎖を次々と断ち切っていく。
一本、二本……『銀(しろがね)』の霧を纏った刀は無数の銀の軌跡を描き、鎖の数を減らしていく。斬られた鎖は即座に銀色の霧に変わり、ある種幻想的な光景を生み出していた。
そして、最後の一本に刀を振り下ろした瞬間、銀牙は鎖を放った左腕を突き出したままフラッドが疾駆してくるのを見た。
「なっ――――!」
思わず声が漏れる。ここにきて、銀牙は自分がフラッドの掌の上で踊らされていたことにようやく気がついた。
フラッドがシルフミスチーフを見せつければ、警戒して距離をとる。そこにトゥーチャーチェーンで攻撃すれば、自分の力量では回避できない以上、迎え撃つしかない。受けきれなければ鎖に縛られ、後はフラッドに斬られておしまい。仮に凌ぎ切ったとしても、結果は同じ。
そう今、この時がそうだ。
銀牙の斬撃はスピードが乗っていてキャンセルできない。鎖を斬り捨て、刀を振り下ろし切った際に生じた隙を、フラッドが見逃すはずがない。
フラッドは猛烈な踏み込みとともに突きを繰り出す。
目を剥く銀牙。
鮮血が散り、フラッドの顔と黒緑のマントに血の滴がついた。
「銀牙!!」
悲痛な叫びをあげ、弥生は立ち上がった。
フラッドの刺突を食らった銀牙は仰向けに倒れたまま動かない。彼の身体から流れる血の量はとても平気とは言えるレベルではない。見る見るうちに敷石を赤く染めていく。早く止血を施さなければ出血多量で危ないかもしれない。
死……そんな考えが脳裏を霞め、一瞬視界が揺らいだ。脚が弛緩し、その場に倒れそうになるのを何とか耐える。
本音を言えば逃げ出したい。
銀牙にもしものことがあるのが怖い。銀牙に守られているのが苦しい。
だが、だからこそ踏み止まらなければならない。
なぜなら、銀牙は自分のために戦っているのだ。フラッドの長剣に斬りつけられ、死の恐怖に蝕まれ続ける銀牙の方が絶対辛い。
ならば、自分はせめて彼の戦いから目を逸らしてはならない。
銀牙……!!
まだ身体は震えている。膝を折ってしまいそうだ。
それでも弥生は銀牙を見つめていた。
ギリギリだったな……
フラッドの刺突が届く刹那、銀牙は後方に飛んでいた。飛んだといっても、刀を振り下ろして前屈みになった不安定な体勢から行ったため、結局は食らってしまった。が、おかげでどれも致命傷に放っていない。
意識はクリア。痛みは凄まじいが、まだ許容の範囲。出血は多いものの、『銀(しろがね)』を使えば止血は可能。
OKまだやれる。
銀牙はふらつきながらも立ち上がった。フラッドにとっては想定の範囲内であったらしく、特に驚いた様子はない。
仲間達がいる観客席はフラッドの真後ろにある。かたずをのんでこちらを見守る彼らの中には、弥生の姿も無論あった。
弥生の表情は舞台からでも辛そうなのが分った。その苦しみを何としてでも取り払ってやりたいと思う。
そのためには、負けるわけにはいかない。
本当なら、大丈夫だと一言くらい声をかけたいところだが、空型(ゾーンタイプ)のオーバードライブの空間は、音を遮断するので言葉は届かない。仮にこの空間が無くとも、熱狂した観客の絶叫同然の声援にかき消されてしまうだろう。
それなら、行動で示すまでだ。
銀牙は身構えた。
「ほぅ……」
フラッドは眉を顰めた。
立ち上がった銀牙は、右足と、右手の刀の切っ先をフラッドに向けて半身になり、左手の刀を肩に担いでいた。その奇妙な構えは歴戦の剣士であるフラッドも見たことがない。
銀牙は正面からの斬り合いで自分に勝てないことを、これまでの稽古で充分に自覚しているはずだ。それを承知で敢えて、剣で挑むということは、何かしらの考えがあってのことだろう。
面白い……フラッドは口の端を歪めた。剣士としての血が滾ってくる。
「さぁ、こい」
言いつつ、フラッドは距離を詰めるべく一歩踏み出す。
銀牙は一瞬、戸惑うような素振りを見せたが、迷いを振り切るように、大きく体を捻ると、左手の刀を投じた。フラッドの首目指して白光を走らせる。フラッドは長剣を頭上から一閃し、あっさりと襲い来る刀を叩き落とした。刀は地面に落ち、澄んだ音を響かせる。
しかし、銀牙の攻撃は終わっていない。刀を放つと同時に、その勢いを利用して身を投げていた。
左手の刀による一撃に対処する際に生じる僅かな隙を狙い、本命である右の二撃目を加える。悪くない技だと思うが、フラッドは失敗すると確信していた。
間合いを見誤ったな……
銀牙の刀の長さは把握している。そして、跳躍によって距離を稼いでも、刀が自分に届かないことに気づいていた。恐らく、切っ先はマントに触れるかどうかが限界だろう。即座にその攻撃で隙ができた銀牙を斬るまでだ。
だが、銀牙が大きく振りかぶったせいで、彼自身に隠されていた刀が振り下ろされた瞬間、今度こそフラッドのその青い瞳は、驚愕の色に染まった。
右手に握る銀牙の刀が、倍以上の長さになっていたのだ。
フラッドは剣士として達人と言える。故に、敵の間合いを正確に把握し、最低限の動きで攻撃を回避できる。
しかし、それが仇になった。普段の銀牙の間合いを正確に把握し、最低限の動きで攻撃を回避しようとしたため、長さを増した銀牙の刀から逃れることが出来なかった。
やるではないか……
刀が左肩から右腰にかけて一閃する。
鮮血が宙を舞い、フラッドの身体を濡らすが、彼は笑みを止めることができなかった。
銀牙の技は成功した。
利き手ではない左手で投擲する一撃目に、微かに気を取られたところを右の刀で必殺の二撃目を叩きこむ……銀牙はこれだけではフラッドに通用しないと確信していた。そのため、もう一工夫必要だと思っていた。
そこで考えついたのが、刀に固体化させた『銀(しろがね)』を付け足し、刀身を伸ばすことだった。無論、最初から長くしていればフラッドに気づかれるため、左の投撃の直後、跳躍して右の刀を振りかぶった時に行った。結果、稽古では一度として届かなかった刃が届いたのだ。
しかし、傷を負い、後方に退くフラッドに追撃を仕掛ける絶好のチャンスでありながら見逃してしまった。
銀牙は、今まで真剣を使って戦っていながら、人を斬ったことがなかった。大会では、初戦の猛雄以降の相手はフラッドと浩也に鍛えられた銀牙にとっては敵ではなく、数合打ち合った後に大した怪我をさせずに勝てた。
故に、人を斬った肉の感触、飛び散り、自らの頬を汚す血の温かさは全くの初体験であり、その感覚に一瞬、身体が固まってしまった。
それだけではない。否、こちらの方が大きな理由だ。
フラッドは笑っているのだ。
傷は深いはずだ。流れる血の量も多い。痛みだって相当なものだろう。
なのに、なぜ苦しむのではなく、楽しそうに、嬉しそうに笑っている? その事実は、銀牙を恐怖させた。
「くくく……嬉しいぞ、銀牙。この短期間でよく俺に太刀を浴びせることができた。お前は予想以上に俺を楽しませてくれる……くくく……ははははは――――!!」
僅かに口元を歪めていただけが、哄笑に変わり、銀牙はさらなる恐怖に捕らわれた。
「小細工はもうやめだ。次は、ただただ単純にいかせてもらう!」
長剣を両手に持ち、銀牙に向けて突き出すと、フラッドは目を閉じた。フラッドの長い白髪が、黒いマントが、陽炎のように揺らめく。
「なっ……!?」
同時に、周囲の温度が急激に上がっているのに銀牙は驚いた。真夏の正午どころではない。
そしてその熱源は、フラッドの長剣の切っ先より、少しだけ前に浮かぶ光球だ。それは見る見るうちに巨大化していく。あまりの高温に、敷石が溶け出していた。
……どうする……?
フラッドはあの高熱の光球をぶつけるつもりだろう。が、放たれる前に攻撃しようという選択肢は銀牙にはなかった。真っすぐに突っ込むのは問題外。『銀(しろがね)』なら光球を消すことも恐らくは可能だが、全て消してしまう前にこちらのエネルギーが尽きてしまう。
そうなると、残された方法は、光球を何とかしてかわすことだが、その何とかしてというのはどうすればいいのか?
「準備完了だ」
フラッドの眼が開かれていた。光球は直径五メートルを超え、更に熱さを増している。あれを食らえば、間違いなく骨も残さず焼き尽くされる。
熱によるものとは違う汗が頬を伝っていくが、それでも刀を両手に握って、正眼に構えた。先程投撃に用いた刀はフラッドの足元に転がっている。これだけで戦うしかない。
「いくぞ……」
長剣を両手で大上段に構え、フラッドは言った。振り下ろすのを合図に、光球が放たれるのだろう。
「来いよ!!」
言った瞬間、銀牙は、手の中でくるりと一回転させ、下になった切っ先を敷石に突き刺した。刀は、『銀(しろがね)』を付け足したままのため、本来の倍以上の長さのままだ。当然、真っすぐに刺さるわけがなく、斜めにだ。
しかし、それで良い。
「火弾・コアブレイズ!!」
光球が迫る。
射線上のあらゆるものを焼き尽くす、圧倒的な暴力の塊が迫る。
敷石に突き立てられた刀は、峰を上に、柄はフラッドに向いている。
銀牙は、その上を走りだした。
肩の上を走る。いくら峰の上とはいえ、道と呼ぶにはあまりにも細い。普通ならそんな曲芸じみた真似をやってみようとは思わない。
それでも、銀牙はやるしかなかった。
フラッドの光球――コアブレイズの大きさは直径約五メートル。銀牙の脚力で飛び越えるのは無論不可能で、左右に逃げる手段は最初から考えなかった。フラッドが想定していないわけがない。『銀(しろがね)』で敷石を破壊し、地下に潜ることも考えたが、これは猛雄との戦いで一度やっている。同じ手を使うのは危険と判断した。
だから予想できないこと。仮にできたとしても、まさかそんなことはしないだろうという策が必要だったのだ。それが、きわめて困難であろうと、そして、母から譲り受けた大切な刀を犠牲にすることになろうとも。
奇跡ともいえるバランスで峰の上を走り抜け、柄にまで達した瞬間、身を投げた。空中高く舞い上がった銀牙のすぐ下を、光球が通り過ぎていく。
おそらく、自分の後ろで愛刀は一瞬のうちに焼き尽くされているだろう。だが、考えるのは後でもいい。
銀牙は、何も持たない両手を大上段に掲げた。手の中で『銀(しろがね)』が生じ、一振りの刀を形作る。
フラッドは、大技であろう光球を放った直後で硬直して次の動作に移れないでいる。今がチャンス!
躊躇いはある。相手はフラッド。自分に戦いを教えてくれた恩人であることは間違いない。
が、ここで迷ったら負ける。それは、即ち死。
「フラッド――――!!」
全身全霊を込め、銀牙は『銀(しろがね)』で作った刀を振り下ろした。
「えっ……!?」
力の入れ具合、タイミング、あらゆる面で銀牙にとって自己最高の斬撃だった。寸分違わず、フラッドの脳天に叩きこんでいたはずだった。
だというのに、刀が触れた瞬間、フラッドの姿は煙のように消え去った。『銀(しろがね)』の刀は銀色の軌跡を描きながら空しく空を切る。
「惜しかったな。銀牙」
フラッドの声がした。思わず振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
「あんな方法でコアブレイズをかわすとはな……」
「正直、度肝を抜かれた」
今度は左右同時だ。銀牙は凍りつく。
フラッドが二人になっていたのだ。
「俺もとっておきを使ってしまった……」
「誉めてやろう。銀牙」
前、後ろにもフラッドが現れ、銀牙は四方を囲まれた。その全員が、長剣を青眼に構える。
「音の身型(ボディータイプ)……」
「オーバーダンス……」
「その能力は……」
「移動速度を爆発的に高め、音速に達することだ!」
もはや知覚できないほどの速さをもつ剣撃を、銀牙にかわせるはずがない。
さらに、ここは未だにシルフミスチーフの空間の中。故に、風がフラッドの攻撃を再現する。
胸、腕、脚……斬りつけられる度に、銀牙は血飛沫を上げ、下手なダンスを披露する。
「あぅ……ぐぅ……」
銀牙が前のめりに倒れたのは、凄まじい剣風が止み、四人いたフラッドが一人に戻った時だった。
銀牙は全身に傷を負っていた。そのどれもが激痛を訴え、どこを斬られたか分からない。失血から体温が急速に奪われ、恐ろしく寒い。目の前にいるフラッドの姿が霞んで見え、意識も徐々に薄れていく。
体はほとんど動かない。そういう状態であるせいか、『銀(しろがね)』も出せない。武器もない。万策尽きた。
……もう、ダメなのか……?
そして、最後の砦である心まで、今まさに折れようとしていた。その時、視界の端に映るものがあった。
あれは……
地面に転がったそれは、熱によって溶け、原形を留めず、ただの鉄くずと化していたが、間違えようがない。コアブレイズを回避するときに犠牲にした自分の刀だ。母、ゆきのから譲り受けて以来、一緒に戦ってくれた武器だ。
そのかつては刀だったものが、一瞬光る。眼に映る世界はぼやけていたが、銀牙には、はっきりと見えた。
と同時に、旅を始める前、ゆきのが言っていた言葉が頭をよぎる。
『銀牙。強くなるってのは、自分だけじゃなく、自分の大切な人を守れるようになるってことよ』
稽古をつける時、ゆきのはいつも言っていた。
『お前は俺の親友だ。親友の守りたいものは俺にとっても守りたいもの。お前の力が及ばぬところは俺が全力でサポートする!!』
次に響いたのは、無二の親友の熱い声。
ゆきのの刀を持っているから、浩也が親友でいてくれるから、守るために強くなりたいと願い続けることができた。無論、二人だけではない。ラルクレス、ディアーナ、ハヤト、忍、聖……皆が支えてくれた。
……まだだ……!!
手足は言うことをきかない。だから銀牙は顎で這った。芋虫のような緩慢で格好の悪い動きだが、気になどしていられなかった。
手が使えなくても、脚が動かなくても、『銀(しろがね)』が放てなくても、銀牙は闘志を捨てなかった。例えどれほど無様な姿を晒しても、弥生を守ることを諦めたくなかった。
歩けば数歩の距離も、今の銀牙には遠い。疲労と失血に弱った体に鞭打って、ようやくフラッドの足元に辿り着いた時には、息が上がり、喉が痛むほどだった。
だが、これで終わりではない。銀牙は残された最後の力を振り絞り、顔を上げると……
「がっ……!」
渾身の力を込めてフラッドのブーツに噛みついた。武器も、『銀(しろがね)』も失った銀牙にとって、正真正銘最後の攻撃。
銀牙の形振り構わない一撃を、フラッドは冷然と見降ろしていた。次の瞬間にも、その手に握る長剣で銀牙の首を刎ねることができるだろう。
しかし、フラッドは首を斬りおとすどころか、手にした長剣をその場に放り出した。意図が読めず、それでも口を離さないまま、フラッドを睨みつけていると、信じられないことを口走った。
「剣士が剣を捨てることは、敗北を認めたときだ」
一瞬何を言っているのか理解できなくなっていた銀牙に、フラッドは再び口を開いた。
「銀牙、お前の勝ちだ」