第七回 たった一つの、だけど史上最大の想い
何も知らず、何も分からず、激情のままに喚きに喚いて・・・気がつくと、弥生はフラフラと夜の町をうろついていた。
町は昼と夜で大きく姿を変える。国を挙げての祭りに人々の心が躍り、誰も彼もがどこか陽気になれる昼に反し、一度夜になれば辺りには酒が入って正常な判断力を失った者達や、むせ返るような香水の臭いを全身に纏った派手な服装の娼婦が屯っている退廃的な世界に姿を変える。幼少の頃より各地を旅してきた弥生もギャップを感じずにいられなかった。
さながら異世界。弥生という存在の一切を無視して動いている。受け入れられないまま、ふわふわとたゆたうしかない疎外感。
とはいえ、本来の居場所に戻る気になれなかった。
変えれば銀牙に出会ってしまう。散々一方的に怒鳴り散らし飛び出してきたのだ。今更何を言えばいいのだ。もう彼と合わせられない。
それもこれも、全ての原因は自分自身の心に他ならない。どれだけ考えをめぐらせても正しい答えを見出せず、却って、混沌とした渦の中に飲み込まれていく。
本当の自分の想いとは一体何なのか・・・?ゴチャゴチャした思考を抱え、途方に暮れていた時だった。
「あら?弥生ちゃん。どうしてこんなところにいるの〜?」
予想外の声に俯いていた顔を上げる。そこには麻袋を両手に持った聖の姿があった。
「聖さん。どうしてここに?」
「あら〜私って炊事係なのよ〜だから夕御飯の材料を買いに来たの〜」
彼女の言う通り、両手の麻袋には肉や野菜がぎっしりと詰まっている。
「あら。それより弥生ちゃんはど〜してこんなところにいるの?女の子の一人歩きは危ないわよ〜」
メッと、のんびりとした顔で怒った(恐らく本人はそのつもりだろう)表情をして見せた。
しかし、それをいうなら―――
「聖さんだって危ないんじゃないですか?買い物なら浩也か熊蔵さんにでも頼めばいいじゃないですか?」
「あらあら〜心配してくれるの〜お姉ちゃん嬉しいなぁ〜でも大丈夫よ〜お姉ちゃん実は魔物をやっつけちゃえるのよ〜」
あはははと笑いながら聖はディアーナを凌ぐ大きな胸を反らして見せた。このマイペースというべきか、無防備な性格に弥生は閉口してしまう。こういうほわほわした人間はある意味、最強かもしれない。
「それで、弥生ちゃんはどうしてこんなところにいるのかな?」
聖が話を戻してきたので、弥生は返答に窮した。間違っても一人で喚き散らして飛び出してきたなんて言えない。
弥生が答えないでいると、聖はそこから何を察したのかニコニコと笑顔になっている。
「――――!」
弥生は息を呑んだ。のんびり屋の割に聖は驚くほど勘が良く、今まで彼女に隠し事ができたためしは無い。もっとも、今回の場合は銀牙と弥生が気まずい状態にあるのは周知の事実だったため、誰にでも予想できるのだが、この時の弥生はそこまで頭が回っていなかった。
「・・・・・・」
無言で弥生は頷く。自分に一方的な非があるようなものだから口に出して言うのが躊躇われる。
「あらあら。仕方ないわね〜弥生ちゃんも難しいお年頃だものね。」
うんうんと一人納得する聖。
「相談になら乗ってあげるわよ〜何せ私は弥生ちゃんのお姉ちゃん何だし〜」
聖の心遣いは正直嬉しいが、やはり素直にいえない。
そんな様子から聖は弥生の心情をいくらか察したらしく、
「弥生ちゃん。ウチに行きましょ」
と提案してきた。
「えっ?」
「ほらほら。そうと決まればそれ行くわよ〜」
弥生はまだ返事をしていない。が、そんなことはお構いなしに聖は弥生の後ろに回りこむと麻袋を持った手で押し始めた。その力は強く、弥生の身体はぐんぐん前へ押し出されていく。
「あっ、あの、聖さん!」
「気〜にしな〜い。気〜にしな〜い」
大いに気にします。と弥生は内心突っ込みたかったが、聖のマイペースに逆らえるものはいない。このキャラ性はどういうわけかこちらの抵抗力を削いでしまうような魔力がある。
とはいえ、銀牙とは気まずいままで、帰り辛いというのも事実といえば事実だ。
――なら・・・
いっそ聖達の所の方が都合が良い。彼らのところなら今の銀牙との状況をどうにかできなければそのまましばらく止めてもらうこともできる。ここは一つ聖の好意を受けておくべきだろう。
弥生は聖に付いていくことにした。
忍や聖たちが寝泊りしている場所は自分達と同じように選手やその関係者専用の宿だとばかり思っていたが、実際はそうではなかった。そして、どこに止まっているか分かった時には喫驚したものだ。
何せ、本来邪馬の水浜にあるはずの忍と聖の家が郊外に建っているのだから。
無論、それはオーバードライブによるものだと弥生はすぐに察した。オーバードライブの使い手を、完全ではないにしろ見つけることのできる眼で忍の仲間の中に使い手がいることは最初から知っていた。恐らくは、その誰かの能力だろう。
弥生の目はオーバードライブの使い手を見分ける能力を持っている。といっても100%ではないし、ディクシスの気配を消す術を持つ者には効果が無いが、忍たちの中から使い手の殆どを見出すことができ、その数の多さに驚かされた。
だが、彼女の場合、驚かされただけで、ディアーナのように不審に思ったりはしなかった。当然、オーバードライブの使い手が大勢いることは普通でないと分かったいたが、彼女の場合、忍に対して絶対的な信頼を寄せている。まさか裏でガビィルにテロを仕掛けているなど考えてもみないのだ。
「よっ、お帰り聖。」
扉の前で黒いサングラスをかけて煙草を吹かしている大柄な男が話しかけてきた。彼の名は椿。普段単独で行動するタイプの人間なので、ほとんど話す機会はなかったが、弥生は顔も名前もしっかりと覚えていた。
「こんばんは。椿さん」
弥生は会釈した。
「おうっ、グッドイブニング。珍しいなお前がこんな時間に来るなんて。」
「ええっ・・・聖さんに捕まっちゃって。」
「ふ〜ん。そうか」
それだけいうと、椿は壁に背中を預けて顔を伏せてしまう。椿は別段悪い人間ではないようだが、こういうどこか会話を面倒臭がっている節があるため、弥生は好きになれなかった。誰に対しても同じような態度らしく、家の中に入る前に『夕飯すぐ作るからまっててね〜』と言った時も、顔を上げずに『イエッス、マ〜〜ム』と片手を上げるだけだったりする。
「聖さん・・・私、あの人ちょっと苦手です」
「あら〜でも彼結構良い人よ〜責任感強いしね〜」
「・・そうなんですか?」
「そうなんですよ〜」
聖の椿に対する評価は高いようだが、弥生には分からない。
二人は連れ立って今にはいると、そこにはこちらに背を向けて新聞を読んでいる熊蔵と、柱に身体を預けて何かの小説を読んでいる忍がいるだけで、他には誰もいなかった。
「あら?忍、他の皆は?」
「ああ、浩也と皐月と由惟は今夜は向こうに泊まる。月華も医者としての立場から銀牙を見ておきたいって言って同じくだ。晶はまだ帰ってないね。」
と、聖に状況を告げているところで、弥生と眼が合う。
「あれっ、弥生ちゃん」
「あっ、お邪魔してます。」
他人行儀な態度で頭を下げる弥生。どうも、かつての『お兄ちゃん』事件以来、つい今までよりも硬い振る舞いになってしまう。
「だっはっはっは〜な〜に、かしこまるこたぁねえだろうが〜〜」
その様子が面白かったのか、豪快に笑い出す熊蔵。
「あっはっはっは。その通り、今は我らしかおらんのだ!さぁ、かつてのように『お兄ちゃん』と甘えてくるが良い!」
「そして、私をお姉ちゃんと呼びなさ〜〜い!」
更に忍と聖が尻馬に乗る。
ここに来て、弥生は自分がもうどうしようもない袋小路に追い詰められたことを知った。
あの時、銀牙に激情をぶつけた時,既に運命は決まっていたのだ。
銀牙のいる場所にいれば、銀牙と気まずい状況になってしまう。かと言って、こちらに行けば・・・・
しかし、今更戻れるわけがない。
――あぁ・・・せめて浩也と皐月がいれば・・・
などと行ってみるが、二人は今回向こう側に泊まると言う。何というタイミングの悪さだろう。
ここ最近、何から何まで悪い方向に進んでいるような気がする。
――厄日?・・・じゃない厄月?
スケールの大きな厄がきた。そう思わずにはいられなかった。
「は〜〜〜〜」
二階のベランダの柵に身体を預け、弥生は大きな溜息をついた。この場所から見える夜景はなかなか良く、白や闘技場の闇の中でのシルエット、その上で輝く月などが眼を惹きつけるものの、今は感慨を抱くほど余裕がない。
疲れた。その一言に尽きる。
あの夕食の時間は、どうしようもなく苦行の時間だったと言えよう。忍からは『お兄ちゃん』、聖からは『お姉ちゃん』を強制され、あまつさえ、昔の自分さえ忘れていた赤裸々な思い出話を始めたのだからたまらない。何事にも無関心な椿以外の全員はその話に熱狂し、弥生はそんな連中にずっとつき合わされたのだ。疲れないはずがあろうか・・・?
「は〜〜〜〜」
もう一度、溜息が零れる。
「や〜よ〜いちゃ〜〜ん」
振り返ると、先程の苦行の一端を担った聖の姿があった。両手には紅茶か何かが入ったカップを持っており、微かに湯気が上がっている。
「聖さん」
つい先刻の騒乱を思い、口調が固くなる。だが、当の聖は、
「弥生ちゃ〜〜ん。アールグレイとダージリン、どっちにする〜〜?」
全く気づいていないようだった。
「・・・」
とりあえずアールグレイを受け取る。が、猫舌のためすぐには飲まない。何回も吹いて冷めたのを見計らってから一口飲む。
「美味しい?」
「はい」
「そう?良かった〜〜」
そのまま柵にもたれかかり、弥生の隣に陣取ってしまう聖。弥生としては拒否する理由も無いので視線を外し、カップに唇をつける。
「ね〜〜〜え、弥生ちゃん。」
「何ですか?」
「怒ってる?」
再び聖の方を向くと、酷く申し訳なさそうな顔をしていた。聖がこんな顔を見たのは初めてだったので弥生は些か混乱してしまう。
「起こってる?何がですか?」
「さっきのこと。私たち、ちょっとしつこかったから・・・」
驚いた。まさかのんびり屋の癖に傍若無人なこのお姉さまからそのような言葉が出てこようとは。
「いえ・・・私は別に・・・怒ってませんよ」
その言葉に嘘は無い。忍と聖のことが好きなのだから照れくさいとかそういった感情はあっても怒りは沸かない。
「そう・・・よかった。でもね、忍と二人だけの時は、『お兄ちゃん』って呼んでくれないかしら?」
「えっ?」
「だから〜忍と二人っきりの時は『お兄ちゃん』って呼んで欲しいの。」
分からない。一体何を言い出すのだ?
勿論、言っている意味はよく分かるし。簡潔だし、別に異国の言葉を使っているわけではない。分からないのは彼女の意図だ。どうしてそんなことを、何時になく真剣な顔で頼んでくるのだろう。
「どうしてですか?」
「忍はね、私と同じで家族をなくしているわ。だからあなたとは家族でいあちと思ってるのよ」
「・・・」
家族でいたい・・・忍がそう思っているのを、弥生が知らないはずがない。
話では、忍は自分が生まれる前に邪馬(やま)の内乱で孤児になったという。その後、弥生の父である如月に引き取られ、弥生とは家族同然に育ってきた。血の繋がりはなくとも、忍にとって弥生は第二の家族だ。弥生に『お兄ちゃん』と言われることに、一種の『繋がり』を感じるのだろう。
しかし、もう十六歳の少女と大人の中間点に来ていて照れはあるし、子ども扱いされたくないという思いもある。また、あのように呼べなどと言われれば反発心も沸くというものだ。
――そりゃ・・・忍さんの気持ちも分かるけど・・・
などと、思案し始めたところで、弥生は聖の言からおかしな点に気がついた。
『忍はね、私と同じで・・・』
「聖さん!」
「あら、な〜にぃ〜?」
「さっき、『私と同じ』って言いましたよね?それって・・・」
「あら?聞えちゃってた?」
おどけて見せているようで、その顔からは確かな狼狽があった。
――やっぱり・・・
前からもしやと思っていたが、ここに来て決定的になものとなった。
聖は常におっとりとして柔らかな微笑を絶やさない。その笑顔はまるで太陽のようで見る者の心を穏やかにする。
だが、弥生は見てしまうのだ。笑みを浮かべる聖に時折、暗い影が差すのを。それと同じものを忍からも見たことがあった。
だから分かる。聖もきっと、忍のように大切な人を失った悲しみを抱えているのだ。彼女の笑顔は、そんな過去を乗り越えて手に入れた、強くも悲しいものだった。
「あっら〜〜〜弥生ちゃんって、本当に鋭いわね〜〜お姉ちゃんびっくりよ。運。私も忍と同じで邪馬の内乱で一人になっちゃったのよ〜それで何だかんだで色々あって今じゃ忍の奥様なのよ〜」
明らかに無理に作っている。いくら何でもないように振舞って見せても、一度心の奥から覗いた感情はそう易々と消せはしない。
もし、しのぶなら、ここで聖を抱き寄せて思う存分彼女に涙を流させてやるだろう。が、それができるのは、そして、して良いのは忍だけだ。自分は聖の過去を理解できない。そんな人間にできることなど数えるほどしかない。
――お兄ちゃん・・・お姉ちゃん・・・
今の自分にできることは唯一つ。
忍、聖の妹であるだけだ。
グチャグチャな頭の中、空回りする思考回路。
分からないことが多い。多すぎる。
ガビィルでの一件のように、もう弥生を泣かせたくなかった。自分自身あんなことを二度と起こしたくなかったから、だから強くなろうと、強くなって弥生を守ろうと心に誓ったはずだった。
――それが、今はどうなんだ?
最初の頃とは違い、明らかに別の想いが心を占めているのが分かる。その想いの正体を何としてでも知りたい。知れば、弥生との現状も少しはマシになるかも知れず、何より、自分自身の気持ちの整理が付く。
そういうわけで、月華の治療を終え、銀牙は部屋に戻ってからずっと、ベッドに胡坐を掻いて一人考え事に没頭していた。
この部屋は、一回戦を勝ち抜いた選手とその関係者のみが宿泊を許される部屋だ。まだ一回戦を勝ち抜いただけなので六人部屋だが、勝ち進むにつれて待遇は良くなっていく。
相部屋である、ハヤト、ラルクレス、そして、今晩はこの部屋に泊まる浩也と月華の姿は無い。因みにフラッドはまだ一回戦に出場さえしていないため、今まで使っていた安宿に泊まっている。
「銀牙、入るぞ。」
トントンと扉をノックする音がし、程なく浩也と皐月が入ってきた。
「弥生は今夜は師匠の家に泊まるそうだ。」
「そうか・・・」
浩也の報告に、銀牙の口から溜息が漏れる。
辛いのと、どこかホッとしたような、矛盾した気分。弥生が帰ってこないのは自分を避けているから・・・そう思えば辛いが、帰ってこられても疑問は解けないままなので、状況は改善されるわけではない。
「ん〜〜〜〜弥生ちゃんも難しいね〜」
駄目だこりゃといった調子で肩を竦める皐月。
「同感だ。ここ最近弥生の様子はおかしい・・・何かストレスが溜まっているようだが・・・」
頷き浩也。彼の勘は、戦闘時には敵の動きを先読みするくらい鋭い割りに、こういった人間感情、とりわけ異性に対しては恐ろしく鈍くなる。現在、彼の脳内では銀牙と弥生は『何故か気まずい』というところまでしか考えられておらず、それ以降は全く進んでいない。
「う〜〜〜ん。銀牙君は何か分からないの?」
「わかんねえよ」
ぶっきら棒に皐月の問いを一蹴すると、銀牙はベッドに寝転がった。
弥生が分からない以上、せめて自分だけは答えを出さねばなるまい。
――どうして守りたいんだ?
もう何度目になるか分からない自問自答を繰り返す。
ガビィルのこと。これがきっかけだったことは間違いない。
だが、何時しかよく分からない他の感情も混ざっていた。それを知りたくて、何度も何度も考えている。
どうしても、このあたりで止まってしまう。そこから深い霧に包まれているようで先が見えない。
『どうして私を助けたのよ!?』
不意に、弥生の言葉が頭を過ぎった。
『そんなに私を守りたいわけ!?』
当然だ。だから強くなりたいんだ。気がつくと、聞えてくる弥生の声に言い返した。まるであの時言えなかったことを言うように。
『それってそこまでしてやりたいことなの!?』
――ああそうだ・・・
『何でそこまでできるのよ!?』
――それが分からないんだ!
『男だから!?』
――違う。男が女を守るべきって考えが無いわけじゃないが、これは違うだろう。
『それとも騎士道!?』
――論外だ。そもそも俺は騎士じゃない。
『主義!?信条!?』
――全部違う!
『なんなのよ!?何考えてるのよ!?どうかしてるわよ!?どうしてなのよ!?』
――何考えてる?どうかしてる?
そうだ。その通りだ。
――どうかしてる?そうだ。とっくの昔に俺はどうかしていたんだ。
銀牙という人間は、気づかないうちにどうかしていたんだ。本当に、どうしようもないくらい。
だから、あんなに無茶苦茶をしたんだ。どんなにボロボロになっても、守りたいと思うのだ。
――なんだ・・・簡単なことだった。
何も複雑なことはなかった。ただ、ほんの少しだけ自分の心に素直になればよかった。
答えは最初から分かっていた。だが、それを直視しなかっただけ。
――要するに俺は・・・
守りたい理由は至極ありきたりで、だけど、極上に強い想い。
「俺は弥生が好きなんだ。」
それが、たった一つの絶対普遍の理由。