第九回  白日

 昨夜の五人の予想通り、銀牙、浩也、フラッド、忍の四人はあっさりと二回戦を突破した。

 銀牙はやはり、最初の猛雄との戦いが大きい。その勝利が彼に自信を与え、精神的な成長を促したからだ。嘗ての彼ならちょっとした自信からつい自惚れてしまったりしていたが、今の彼は自分の力に慢心しないだけの心の強さも身に着けていた。これはフラッドや浩也との特訓や、今までの多くの挫折を経験したおかげである。

 更に言えば、一回戦があまりにも壮絶だったため、対戦相手がすっかり萎縮してしまっていたのもまた事実だ。

 浩也の場合もそうだ。綺羅との戦いで見せた卓越した剣技、オーバードライブ無しでの強さに、相手は戦う前から逃げ腰になっていたのだ。

 フラッド、忍に至っては言わずもがなも。瞬殺、秒殺。そんな言葉でしか表現できない。

 そして、昼頃。

 以前、弥生と一緒に食事をした大衆食堂で、銀牙は浩也の口から今まで秘密にされていた多くを告げられた。

 自分達は霧幻(むげん)という組織であること。昨夜、ラルクレス達が話していたガビィルや神器、古文書の内容等を、浩也は事細かに説明した。

 本来、こういった話は全員を呼んで話すべきなのだが、浩也は銀牙に対しては自分で言いたいと言って、頑として譲らなかった。彼にしてみれば、いまや無二の親友と呼んでもいい銀牙にまで秘密にしていたのはひどく後ろめたかったのだ。

「銀牙、本当にすまなかった」

 長い話を終えると、床に額をこすりつけ、浩也は銀牙の前で土下座をした。

 困惑と羞恥を抱かずにはいられない。食堂内にいるコック、飯を食いに来た労働者など、あらゆる人間の奇異の視線が銀牙達に集まってくる。

「あぁ……分かった。分かったから、席戻ってくれ。マジ頼む」

 周囲の目を忙しなく気にしながら、銀牙。浩也の話は確かに突飛で驚きを隠せないが、今はこの注目をどうにかしたい。

 だが、当の浩也は、

「俺達がこのことを黙っていたことを怒ってくれても構わない。だが、分かってくれ。師匠はお前達を巻き込みたくなかったが故なんだ。そして、その点は俺も同じ……」

 と、延々と喋り続けており、こちらの話などまるで聞いていないときている。

「……」

 こうなってしまってはどうしようもない。浩也はこういう男なのだ。何か一つのことを考えると、ほかに一切目がいかなくなる。 

 仕方ないと諦め、銀牙は懺悔が終わるのをひたすらに待った。その間、周りの視線は容赦なく銀牙と浩也に浴びせられ、銀牙は逃げ出したいという衝動を何とか抑えた。

〜三十分後…… 

 ようやく話すネタが尽きたのか、浩也は席に着いた。やっと話が進むと、銀牙は安堵する。

「落ち着いたか?」

「あぁ」

 答えて、浩也は茶を喉に流し込んだ。時間がたったせいですっかり温くなっている。

「とりあえず、話は分かった。俺の知らないところでとんでもないことになってるんだな」

「待て銀牙。とんでもないことになってるんだな……って、お前は事態を正確に把握しているのか?」 

 じろりと、咎めるような眼で睨みつけてくる浩也。銀牙の感想があまりにもあっさりとしているのが不謹慎に感じられたのだろう。

「……今一つ実感が湧かないのはそりゃ事実だ。いきなりお前らが霧幻(むげん)とかいう、組織だとか、超古代の人魚族の国や空から来た謎の物体の話をされてもすぐに理解なんて無理だろ?」

「うむ……確かにその通りだな……」

 浩也も例の古文書の話は些か現実感を欠くものであったため、素直に同意した。

「それにな……」

「うむ」

「俺にとって、大切なのは……その、一つだけだ。だからお前達が実は何とかだというのは俺にとってそんな問題じゃないんだ」

「ひたすら我が道を行くわけか……なるほど、相変わらず、一つことしか眼の行かない奴だな」

 彼にしては珍しく意地悪な物言いだが、顔は満足そうだ。

「さすが俺の親友だ。お前のそういうところを俺は尊敬している」

 「ふんっ」と鼻を鳴らして銀牙は顔を背けた。浩也という男は、どうしてこう、やたらと尊敬したがるのだ。

 だが、こうやって純粋に、何の裏もなくそんなことを言ってくれるからこそ、信じられるのだと思うのかもしれない。

 付き合いは短いが、密度は濃いと自負している。何より、この一ヶ月、剣で語り合ってきたのだ。剣をぶつけ合うことは、ある意味、言葉以上の会話になる。

「ところで、浩也。幾つか聞いてもいいか?」

「無論だ。俺に答えられる範囲ならどんなことにも答えよう」

 浩也を、霧幻(むげん)を信じると決めた。しかし、銀牙にとって、どうしても確かめておきたい点が幾つかあった。

「お前はどうして霧幻(むげん)に入ったんだ?」

「強くなりたいからだ。それに、師匠には何かと恩がある」

 なるほど、と銀牙は納得した。いかにも浩也らしい、分かりやすい理由だ。

「じゃあ、由惟が霧幻(むげん)にいるのは何故だ?」

 無意識にではあるが、語調が荒くなっていた。 

由惟はまだ十歳の子供だ。幾らなんでもそんな子が危険な場所に身をおいているのは理不尽に思える。

この問いは、浩也も痛いところを突かれた一撃だったらしく、顔が苦しげに歪んでいた。彼自身、何度も悩んでいたのだろう。

「……俺も……いや、霧幻(むげん)全員が由惟を戦わせたくないと思っている。由惟も、もともと争いは好きじゃないし、誰かが傷つくのを嫌がっている」

 だが、と浩也は言葉を継いだ。

「由惟の持つ力は霧幻(むげん)の中でも上位にある。今、由惟に抜けられるのは大きな戦力ダウンになる……それに、由惟は霧幻(むげん)以外で居場所を見出せない。だからどんな思いをしてもここにいるしかないんだ」

 浩也の唇が震えている。由惟の現状をどうにかしてやれない自分に憤っているのだ。彼のようなタイプは例え、自分が無理だと分かっていても、仕方がないと受け入れられずに苦しんでしまう。

「……他に、聞くことは無いか?」

「ああ、最後に一つ?」

「何だ?」

「霧幻(むげん)、いや、忍さんの目的だ。霧幻(むげん)はガビィルと戦うためって言ったよな? 一体何でそんな戦いをしてるんだ?」

 黙る浩也。銀牙は彼が話し出すのを待った。

「……」

「……」

 微かな間が空き、ようやく浩也は口を開いた。

「……正直なところな……俺は師匠の目的を知らん」

「えっ? お前、目的も知らずに従ってんのか?」

 組織では間々あることだが、上司の考えが分からない場合がある。浩也は単純な男だ。強くなりたいだの、恩があるだのの理由があれば忍に従うのだろうが、それは危険だ。

「ああ……だが、一つだけいえることがある」

 これ以上無いというくらい、真剣な顔。一瞬気圧される銀牙。

「師匠は、何か大切なもののために戦っている……それだけは間違いない」

 そうして、一旦言葉を切ると、自分の決意を新たにするように、

「だから、俺は師匠を信じている」

 真っ直ぐに、そう言った。

「どういうつもり?」

 ソファーに優雅に腰掛けたヘイムダルを見下ろすミリアは、微かだが苛立っていた。

 ここはガビィルから追っ手としてやってきた、ヘイムダル、ミリア、トゥール、ロキ、そして、エマ、シルク、ミレーユの三銃士が、ドーヴァでの活動の拠点に使っているホテルだ。大会参加者と、その関係者のみが宿泊を許可されている国営ホテルに比べれば、多少の見劣りはあるが、一般階級の人間では一泊と出来ないほどの高級ホテルである。

「どういうつもりとは?」

「とぼけないでもらいたいわね」

 ミリアの眼が鋭くなる。まるで睨みだけでヘイムダルを射殺さんばかりに。

「くくく……随分と苛々しているようですねぇ……」

 面白い……と、口の中で付け足す。

 以前の彼女は、どんな時でも感情を殆ど表さなかった。表情も人形のように硬く、言葉は常に平板。付き合いの長いヘイムダルも、ミリアが何を考えているのか分からないのが常であった。

 だが、ここ最近、彼女は頻繁に眉を吊り上げ、言葉を荒げるようになった。今までの彼女にはありえなかったことだ。

―――よほど、あの弥生という娘の一件が、大きかったようですね……

 彼女の変化の原因は、間違いなく弥生にある。

 ガビィルでの弥生との父親の論争はミリアにとって大きかった。

 幼少のころ、実の父親に裏切られた心の傷から、ミリアは男という生き物に対して異常なまでの憎しみを抱いている。が、それに対して、自分をおいて消えた父親がおり、見知らぬ女の色香にあっさりと屈した銀牙がいながらも、彼らを信じていた。

 人は主義や信条といった、自分の領域を侵すものを排除しようとする。ミリアは弥生の抱く信頼を打ち砕いてやろうと必死になった。

 しかし、弥生の心は揺らぐどころか、逆にミリア自身の思考を真っ向から否定された。

 以来、ミリアは弥生に激しい憎悪の炎を燃やしている。恐らく、自分を否定する人間を許せないのだろう。結果、今までのように感情を隠しておけなくなったらしい。

「ヘイムダル。はぐらかさないでくれる?」

「はい、はい……わかりましたよ」

 愉快そうに笑って、ヘイムダルは眼鏡のずれを直した。

「ですが、どういうつもりとは? もう少し具体的な説明を要求します」

「この一ヶ月間の、あなたの行動全てに対してよ」

「はい?」

 すっとぼけるような口調は、ミリアをますます不快にさせる。

「私達はここに来て、数日後に、ラルクレス・ハイードの一行と、霧幻(むげん)という、テロ組織の居場所を突き止めたわ。なのに、あなたは『様子を視る必要がある』といって、ずっと私たちを引き止めていた。それはなぜ? 彼等の能力は未だ未知のものは多いけど、ディクシスの力はハッキリしている。この七人なら失敗はないわ」

「いえいえ……ですが、今迂闊に動けば世間の注目を浴びて宜しくないかと……」

「くだらねえな」

 バイオリンの弦を張りなおしていたロキが、ヘイムダルの言葉を遮った。ヘイムダル、ミリアの眼が彼に向く。

「様子を見るだの、世間の注目だのって、ヘイムダル、お前は馬鹿か? また何か考えてるだけだろうが?」

「嫌ですね〜〜〜〜 私ってそんなに信用ありませんか?」

「ないわね」

「ないな」

 まるで打ち合わせをしていたかのような見事なユニゾン。ヘイムダルは苦笑する。

「全く、あなたたちは、随分と私を酷い眼で見ているようですね。私は単に大会の観戦をしたいだけですよ。ラルクレス・ハイードがいつも試合観戦に来ているから、監視も兼ねてね」

 邪馬、セジルを始めとして、数々の悪行を重ねておきながら、いけしゃあしゃあとしたものである。無論、この台詞が嘘であることも二人は分かっている。

「まっ、というわけですから、大会終了まで後数日。もう少しだけ我慢してください……おっと、もう明日の予定が発表されている時間ですね……では、行ってきます」

 ソファーから立ち上がると、ひらひらと手を振って、ヘイムダルは出て行った。

 部屋にはミリアとロキの二人だけになる。

「ミリア、アイツ、やっぱ何かヤバイこと考えてるな」

「考えなかったことがあって?」 

「ないな」

 心底うんざりした顔をして、ロキは再びバイオリンの手入れに取り掛かる。

「まっ……どうでも良いがな……」

 ポツリ、とロキは呟く。

 ヘイムダルがどんな姦計を巡らせていようと、ロキには関係ない。

 やりたければやれば良い。彼にとってはその程度の、瑣末なもの。

―――どうせ、お前らの未来は死だけだからな……

 酷薄な笑みを浮かべ、ロキはクックックと、喉を鳴らした。

 夜。

 場所はいつもどおりの酒場。密談は常にここで行われている。

 今回は、メンバーと呼べるほどの人数はいない。

 ラルクレス・ハイード、フラッド・フリークス。この二名だけだ。店の端のテーブルに向かい合って座っている。

「何かな……今日の試合はやけにあっさりだったな」

 摘みのチーズを口に放り込みながら、行儀悪くラルクレスは言った。

「当然だ。今回の相手は全員、格下だったからな」

 答えるフラッドは角瓶に入ったバーボン、それも、特別アルコールの高いものを飲んでいる。にも拘らず、一度として、酔ったところを見せたことはない。

「けどよ。銀牙の相手って、去年準決勝まで行った奴じゃねえか。銀牙も、お前のおかげでえらく強くなったな」

「俺よりも、むしろ一番の要因は浩也だ。互いをライバル視することで伸びあっている」

 謙遜ではなく、単に事実を口にしているだけのようだ。

「確かに……浩也がいるってことは銀牙にとってでけえな」

 二人が出会ってから一ヶ月。銀牙と浩也の成長振りは眼を見張るものがあった。それというのも、二人の互いに対するライバル心にある。そして、ライバルとは、どこかを必ず認め合っているものだ。

 銀牙は、浩也の実力を認めて追いかけ、浩也は銀牙の意思を知り尊敬している。自分が相手を目指すことで相手も刺激され、これが更に自分を動かすための原動力となる。この繰り返しが二人を高めているのだ。

「……だが、まだ足りん」

 それでも、まだフラッドは不満があるらしい。『足りねえのかよ……』と心の中でラルクレスは突っ込んだ。

「銀牙は俺を師事した。弟子となった以上、師である俺を超える必要がある」

「おめえを超えるのかよ……おいおい……」

 苦笑するラルクレス。

 フラッドを超えるなど、そう簡単に出来るはずがない。銀牙との特訓と大会しか見ていないが、彼の実力が尋常でないくらい、彼にもわかる。

 彼の強さを培ってきた彼の年季と、くぐった修羅場の数は、同じころ、ひたすら机にかじりついて勉学に励んでいたラルクレスの理解の範囲外といえる。

「無茶苦茶だな……」

「無茶でも出来んようでは弥生を守るなど幻想だ」

「ふ〜〜ん、お前さ……」

「何だ?」

「何でそんなに銀牙を強くしたがるんだ?」

 フラッドと銀牙は、邪馬で一度出会っただけの、言わば、他人以下の関係のはずだ。その割に、フラッドは銀牙にそうは思えないほど熱心に稽古をつけている。今まで特に気にしなかったが、不意に興味が湧き、尋ねてみた。

「それか……?」

 フラッドは空になったグラスにバーボンを注ぎ込むと、一気に飲み干した。そして、空になったグラスをテーブルに置き、一息つくと、

「アイツは昔の俺にそっくりの眼をしているからな」

 と、言った。

「そうなのか?」

「ああ。だから俺と同じ過ちを犯してもらうわけにはいかん」

 冬の湖を思わせる瞳の蒼は、静かだが熱い青い炎に変わっている。

「それってさ、アトラのことか?」

「何故、そう思う?」

「いや、深い意味はねえな。可能性の一つとしてだ」

 アトラ王国とは、ガビィル帝国に隣接するように存在している大国である。ガビィルに比肩する強大な軍事力を持ち、五十年以上前から冷戦状態となっていた国だ。当時の近隣諸国は、いつ両国が戦争を始め、自分達が巻き込まれるのではないかと、戦々恐々としたものだ。

 だが、五年前、突如として冷戦に終止符が打たれた。

 アトラ王国はガビィル帝国に併合され、属国と化したのだ。

 そこに至った経緯は、『アトラ王国は、首都アトラがテロにより、甚大な被害を受け、国全体の統制が乱れたところをガビィルが攻撃を加え、なし崩し的に占領した』という、ガビィルにとってはまさに棚から牡丹餅式にことがなったと公式では発表されている。

 しかし、そんなものを信じるものはいなかった。何しろ、世界トップクラスの国力を持つ、大国アトラがテロごときで揺らぐとは思えない。加えて、その直後にガビィルが兵を挙げたのも、タイミングが良すぎる。

 アトラを傘下におさめたガビィルは、実質的な世界最強国家だ。それゆえに、口にこそ出せないが、誰もが全てはガビィルの仕業だと確信していた。

 大会参加登録の際、ラルクレスはフラッドの登録所に眼を通している。

 彼は、白い髪と、青い眼という、明らかに異なる外見を持っていたが、アトラの出身だったのだ。

 根拠はその程度だが、ラルクレスはフラッドの言う、『過ち』はアトラの併合に関係していると考えていた。

「強いて言えばよ、勘だよ。勘」

「学者らしからぬ言動だな」

 フラッドの口元が微かに緩む。

「論理だけで全てが理解できるたぁ思ってねえよ。時には根拠のない直感が答えに行き着くときもある」

「なるほど……お前の言うとおり。確かに正解だ」

 バーボンを新たに注ぐ。グラスの半分に達したところで、瓶が空になった。

「……俺はあの時、誰も守ることが出来なかった」

 普段の抑揚のない口調だったが、そこに含まれる、怒り、悲しみ、自責を、ラルクレスは確かに感じ取った。

 すべては五年前、フラッド・フリークスが、一六歳のときに起こった。

 フラッドは、軍学校を好成績で卒業し、首都アトラの外壁警備部隊に配属された。本来,彼のような新人は、地方に送られるのが常のため、最初から首都の就くことが出来たのは、彼がいかに優秀であったのかを物語っている。

 無論、そこに至るまで、フラッドは、剣技、兵法、学問……。と、多くの鍛錬、研鑽を積んできたことは言うまでも無い。その姿は、誰もが認めるものだった。

 アトラの兵士になるのは、フラッドの幼い頃からの夢であった。そして、その夢の根元には、『大切な人を守りたい』という、強い想いがあった。

 大切な人を守りたい……人に言えば、どれほど臭い台詞に聞えるだろう。だが、フラッドはそれを支えに、ひたすらに己を磨き、とうとう夢を叶えたのだ。

 しかし、夢が掴んだ喜びは、一週間も続かなかった。

 彼の全てを狂わせた、あの事件が起きてしまった。

 この日、フラッドは丁度非番で、自分以外は誰もいない兵舎の自室で暇をもてあましていた。

 天気は雲ひとつ無い快晴で、普段なら少し肌寒く感じる風も心地よい。ガビィルとの冷戦状態にあることも、つい忘れてしまいそうな平和な時間。

 そう、平和だった。平和すぎて、その平和が、本当は、薄氷のように弱々しいものの上で成り立っているという事実を忘れてしまうほど。

 そして、その薄氷は、何かの拍子で容易に砕け、今まで上にあったものは崩れ落ちてしまう。

 異変は、あまりの退屈さに、ウトウトと眠気を覚え始めた時だった。

 突然の警鐘。そのすぐ後に、人の悲鳴や、建物の崩壊する音が響き、フラッドは驚愕した。冷戦状態にありながらも、平和な日々が続き、やや平和ボケしていた彼にとって、この事態は強力な不意打ちと言えた。

 慌ててフラッドは、手に武器を取り、兵舎を飛び出した。

 そこで眼にしたのは、とても現実とは思えない、異常な惨状。

 町中、いたるところで火の手が上がり、熱気で周囲は耐え難いほど暑い。もうもうと立ち上る黒い煙が、青空を汚している。

 地面には、たくさんの人間の死体が転がっていた。兵士、商人、女、子供……どれも無残に殺されている。数は……数えようとしてやめた。数え切れる数ではないし、第一に辛すぎる。

 何が起きているのか? 誰の仕業なのか? そもそも、なぜこれだけのことが起きていながら、自分は気づかなかったのか。フラッドは完全に浮き足立った。

 状況が状況であったが、何より、フラッドは配属されて間もない新人であった。幾ら優秀であっても、現場に慣れていないという事実は否定できない。

 この場合、本来なら指揮系統が健在な場所に行き、そこで上司の指示を仰ぐのが定石というものだろう。無論、フラッドもそれを承知している。

 しかし、この時のフラッドは、私情に流されるという、兵士として、あってはならない行動をとってしまった。

 彼は、家族のいる自分の家に向かってしまったのだ。

 許されないことだと、微かに残った彼の冷静な部分が告げていた。それでも、フラッドは兵士としての責務に徹することが出来なかった。

 フラッド・フリークスの夢は、大切な人を守ることだ。ならば、一番大切なものを守りたいと思うのは当然ではないか。

 だから、彼は走った。

 首都、アトラは、もはや完全に火の海と化していた。家屋も、店舗も、木々も燃え、遠くの方では、王城さえも火にまかれている。

 生存者は全く見当たらない。あるのは、屍だけで、見つけるたびに、もう手遅れなのではないかと、不安に駆られた。

 そんな不の感情を押さえ込むようにして、更に足を速めた。

 そして、ようやく彼はたどり着いた。

 ここまで来るのに、フラッドは、炎の熱で何度も倒れそうになった。酸欠も起こしかけた。体中の筋肉は悲鳴を上げ、どうしようもなく痛い。

 だが、現実は冷たい。

 彼の家族は、

彼の大切なものたちは……

もうどこにもいなかった。

半壊した我が家に飛び込んだフラッドは、全てが手遅れだったと知った。

辺りには、ゴミのように転がった四つの死体。

 父と、母と、兄、そして、兄と三日前に結婚したばかりの義姉。

誰もが、鋭利な刃物で一刀のもとに切り捨てられたらしい。上半身と下半身は見事に切断され、鮮やかな切り口が覗いている。

「……!」

 彼の家族から流れた血の川の中に、一人の女が佇んでいた。

 美しい女だった。

 長い髪は黄金のように輝き、波打っていた。

 黒一色で統一されたレザースーツは、女性特有の艶かしさを強調し、元々均整の取れた肢体を更に引き立てていた。

 だが、何より美しいのは瞳だ。

 あまりにも感情を見せず、あまりにも無機質。およそ人とは程遠く、人形に限りなく近い。

 だからこそ、美しかった。

 その美しさに魅入られ、フラッドは動けなかった。

 凍りついたフラッドに、女は眼を向けると、

「生き残りがいたのね」

 何の感慨も無く、手にした斧槍を振った。

「そこから先の記憶は無い。気がつけば、俺はゴミくずのように瓦礫の上に転がっていた」

 意識を取り戻した時、もう首都アトラに、嘗ての姿は無かった。

 強固な外壁も、人々が住まう家々も、栄華を誇った王城も既に無く、あるのは、嘗てそれらだったものだけ。     

 当然、自分以外に生きている者はいない。

 フラッドは、全てを失ってしまった。

 家族も、友も、居場所も、夢も失い、心は空虚。悲しみも怒りも湧いてこない。

 フラッドは確かに生きていた。が、それはあくまで肉体的にそう言えるだけで、がらんどうになった彼の心は、命を宿していなかった。

 フラッド・フリークスは、この時、既に死んでいたのだ。

「そんな時だ。『神様』が現れたのはな」

「神様? そら、ユニコーンのことか?」

 この世界で最も信仰されている宗教は、ユニコーンを神として崇めるスルト教だ。それ故に、神といえば、ユニコーンというイメージが一般化している。

「その通りだ。俺は、ユニコーンを見ることが出来る数少ない人間らしい」

 ラルクレスは、フラッドはスルト教の教祖になれそうだな……と思ったが、話の腰を折るまいと、口には出さなかった。

 フラッドは、教会や書物などで、幾度となくその存在を知らされていたが、まさか出会うことになろうとは思わなかった。

 神。空っぽのはずの彼の心にもそんな思いを抱かせるほど、ユニコーンは神々しかった。

 瞳は澄み切った冬の湖を思わせ、たてがみは初雪のように純白。その美しさはあらゆる生物を遥かに上回り、人の創造できる美術など、到底及ばない。まさに神の領域。

 しばらくの間、フラッドは呼吸も忘れ、神なるものを見つめていた。

「少年よ」

「!」

 ユニコーンの呼びかけに、フラッドはようやく我に返った。

「汝に告げる……」

 自然と緊張した。これから神の口から発せられる言葉が、どれほど重大なものか、本能が感じ取っていた。

 神であるはずのユニコーンさえも、表情が少なからず強張っているのが分かる。

 そして、ユニコーンは言った。

 それは、フラッド・フリークスの世界を変えるに足る神託。

 彼は勿論、どのような知恵者でも想像できなかっただろう。

 大き過ぎる、重すぎる使命。

「世界の災厄を倒せ」

 『世界の災厄』

 ユニコーンは、彼等のことをそう呼んだ。

 太古の昔、空から忽然と姿を現し、世界を滅亡寸前にまで追い込んだ異形。

 何が目的なのか、なぜ突然姿を消したのか、全ては謎に包まれたまま分からない。

 だが、彼らは未だ存在し、今度こそ世界を終焉に導こうとしていると言う。

 

「ちょっと待ちやがれ!」

 思わず席を立つラルクレス。勢いで椅子が引っくり返った。

「何なんだ!? その話の飛躍は!? つまりあれか!? その『世界の災厄』ってやつは、数千年以上も前から生きてて、お前の国を滅ぼしたって言うのか!? 挙句の果てににゃあ、神様まで出てくる始末じゃねえか!」

 このように焦りを顔に出し、喚きたてるのは、彼にしては珍しい。

 それだけ、フラッドの話は信じがたいものなのだ。

 強大な軍事国家であるアトラ王国の首都アトラを壊滅させた原因。それが、数千年前、旧文明を滅ぼしたという、『世界の災厄』と呼ばれる者達。『世界の災厄』達がどれだけ自分の常識を超えているかまでは分からないが、その点を差し引いても、数千年たった今も、生きているかのような話は荒唐無稽も良いところだ。ソコに神様が出てくるのならなおさらである。

「信じる信じないはお前の自由だ。だが、奴らはガビィルにいる」

 その点は、ラルクレスも予想していた。

『世界の災厄』が、偶然、アトラを襲撃し、その後、棚からぼた餅式にアトラを併合できたのはあまりにも話が出来すぎている。

そう考えると、ガビィルは『世界の災厄』と蜜月関係にあることになる。

ならば、現在、ガビィルの上位に君臨している、ヘイムダル、ミリア、バルドル、トゥールといった面々が、『世界の災厄』と言えないだろうか。

一応の根拠もある。ガビィルにいた頃に、首都ガビィルクルスを襲った謎の魔物。世界最強の軍事国家の首都にあれだけの被害を与えた魔物が返り討ちにされたのだ。人間業ではない。

「お前は、そんな奴に喧嘩を売るつもりなのか?」

 その問いは、自分にも向けたものだった。

 ラルクレスにせよ、フラッドにせよ、勝ち目の無い戦いだ。

「俺はあの日、全てを失った。俺には復讐しか残されていない」

 全てを失ったがために、フラッドは空っぽになった。

 自分でも驚くほどあっさりと、ユニコーンの言葉を受け入れた。

 彼は、これから生きていくための歯車が欲しかったのかもしれない。

「銀牙を見ていると、昔の俺を見ているような気がしてな。それで俺のようになって欲しくなかった……単なる、感傷だがな……」

 自虐的にフラッドは口元を歪めた。

 重苦しい沈黙が流れる。

「ところで、フラッド」

「何だ?」

「お前みたいに、ユニコーンに使命を与えられたっつう奴ぁ、他にいないのか?」

 倒れた椅子を直し、座りなおしたところで、ラルクレスは尋ねた。

 とてつもなく大きな使命なのだ。ユニコーンとて、フラッド一人に押し付けたりはしないだろう。

「いないな」

 が、予想に反して、返ってきたのは、あまりにも無茶苦茶な否定の言葉だった。

「ユニコーンは自分を見ることの出来る人間にしか使命を与えられん。昔はそういう奴も多かったらしいが、今では、俺の他は一人しかいなかった。その一人も死んだのでな。実質俺一人だけだ。加えて、ユニコーン自体も後に死んだ。追加も無い」

 つまり、フラッドの戦いは、どうしようもなく絶望的だということだ。

 フラッド自身も、分からないはずがない。

 それでも、この男にとっては、復讐だけが歯車である以上、戦いをやめない。

「フラッド、どうしてもやらなきゃなんねえのか?」

「ああ」

 即答。この男は迷いが全くない。

「そうか……」

 フラッドを止めることはできない。否、もとより、ラルクレスはフラッドではない。彼ではない人間が、彼を止める権利など、どこにもないのだ。

 だが……

「フラッド……」

「何だ?」

「一つだけ約束しろ。絶対に生きて帰れ」

 死んで欲しくはない!

「……」     

 フラッド・フリークスも、人間であるため、表情がある。一般的に見れば少ないほうだが、喜怒哀楽は持ち合わせている。

 とは言え、今の表情を浮かべたことは、彼の二十一年の人生で初めてといってもいい。

 それだけ、彼の顔は、彼にとっても、ラルクレスにとっても珍しいものだった。

 酷く、間の抜けた顔をしているのだ。

 平素の彼は表情の変化に乏しく、冷たい仮面を着けた印象がある。が、そんな彼が眼を大きく見開き、口を半開きにして呆けている様は、こっけいを通り越して、驚愕に値する。

 事実、ラルクレスは吃驚して、二の句を告げなくなっていた。

「なぜだ?」

 しばしの間の後、フラッドはようやくそれだけ口にした。

「なぜって?」

「なぜ、お前はそんなことを言ったのだ?」

 五年前に全てを失ったあの日から、『世界の災厄』を滅ぼし、復讐を遂げることだけを生きがいとしてきた。その結果死のうと、彼は構わない。どうせ、一度死んだ身なのだからと思っていた。 

 なのに、眼の前の口の悪い学者男は、生きろと言っているのだ。

 復讐が終われば、生きる必要のない自分に。

「おめえ、ひょっとして自覚がねえのか?」

 ラルクレスの言っていることの意味が分からず、フラッドは怪訝な顔をした。

「何が言いたい?」

「つまりだ。お前に死んでほしくねえと思ってる奴らがたっくさんいる。だからお前は死んじゃならねえ」

「何……だと?」

 フラッドにとって、ラルクレスの言葉はよほど予想外だったようだ。口調が僅かに上擦っていた。ラルクレスは、呆れたと言いたげに大げさに溜息をつくと、話を続ける。

「お前はさっき、全てを失ったといったな? ってこたぁ、仲間もねえってことだろ?」

「ああ」

「それが間違えなんだよ」

 半眼で、フラッドを睨みつける。

「銀牙は、お前を師事している。そして、お前もアイツを弟子と認めている。その結果、お前は俺たちと共にいて、俺たちとの間に繋がりを持っちまったんだよ。それがどういうことか分かってんのか?」

「いや……」

「銀牙はもとより、弥生やハヤト、ディアに忍……当然俺も、お前を仲間だと思ってんだ。お前が望む望まないに関わらずだ。そう思わせたのは他ならぬお前だ。勝手に死ぬなんつぅ、無責任は許されねえ」

 言って、フラッドの胸倉を掴んだ。

「拾った命なんだろ!? だったらもっと大事にしろ!? 居場所ならあんだ! 守りてぇもんが欲しけりゃ弟子ぃ守るなり、女見つけるなりしやがれ! 復讐がすんだら死んでもいいなんざぁ、俺は認めねぇ!!」

 言うだけ言うと、カウンターに代金を叩きつけ、ラルクレスは出て行った。

「マスター、バーボン」

 一人残されたフラッドは、新たに受け取ったバーボンをグラスに注ぐと、一息に飲み干した。

 ――妙なことを言う……

 復讐のために生きている。

 他は、何もない。だから、目的を果たせば死んでしまっても構わない。

 彼自身は、それで納得したつもりだった……はずだ。

 しかし、ラルクレスは言った。『死ぬな』と。

 居場所があるから、仲間がいるから死ぬなと。

 訳が分からない。

 そんなものはとっくの昔に失ったと思っていたのに、アイツはあると言った。

 ……居場所……仲間……守りたいもの……

 ――今なお、欲しているのか?

 復讐者となった身でありながら。

 『死ぬな』

 ――生きていて、良いと言うのか? 

 復讐者となった身でありながら……



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