「うそ……です……」
ありえない名前を耳にし、翡翠が震えた声を出した。
「槇久様が生きているなんてこと、ありえません……お葬式の祭に、ご遺体をこの眼で……」
「そうですね。私も見ています」
久我峰が相槌を打った。
「じゃあ……」
「嬢ちゃん。不思議に思わんのか? やつは遠野の血筋なんじゃぞ?」
「時南先生……それって、どういうことだよ?」
翡翠同様、訳が分からない志貴が口を挟んだ。
「分からんか? 遠野の人間は死ねば灰になる。だが、奴は死体のままだった」
「あ――!」
「志貴様!」
志貴と翡翠は顔を見合わせた。
確かに時南の言うとおりだ。あまり思い出したくはないが、秋葉と四季は死んだ後、灰になった。しかし、槇久はそうならなかったと言う。これはなぜだろうか?
「待ってください」
話が本題に入ってからずっと黙っていたシエルが、口を開いた。
「時南先生でしたよね? それは単に、遠野槇久が、異端としての血が薄かっただけではないのでしょうか?」
「うむ。確かに、遠野の中にはごく稀に、そういう者もおったが、奴はそうではない」
「では、一体……?」
「シエル。遠野槇久は、ヴェドゴーニャなんだ」
シエルの問いに答えたのはフィルだった。
「え!? そんなことがあるんですか!?」
驚きのあまり、シエルはダンッ! とテーブルに勢いよく手を付いて身を乗り出した。その拍子にティーカップが派手に揺れ、中身が零れる。
「シエル。気持ちは分かるけど、落ち着いて」
「あっ……はい。すみません」
フィルに窘められ、ソファーに座り直すシエル。
一方、志貴と翡翠は、聞きなれない単語が登場して首を傾げていた。
「ヴェドゴーニャっていうのは、言うならば、吸血鬼予備軍さ」
志貴と翡翠の疑問を察し、フィルが説明を始めた。
「元々は東欧に伝わる赤い羊膜に包まれて生まれた吸血鬼の天敵、ヴァンペルディージャの一種と呼ばれている。だけど、こいつらは死後、強力な吸血鬼になる危険な特性を持っているんだ」
「それが、遠野槇久ってことか?」
「そうです」
志貴の言葉に頷く久我峰。
「私達は四季様の一件の後、非常に神経質になっておりまして、もしかしたら、他にも吸血鬼になっている者がいるかもしれないと、色々調べていました。そんな中で、槇久様が土葬だったことを思い出し、念のためにと、墓を暴いてみたのです」
久我峰は、そこで一旦、話を止め、自分の分の紅茶を飲み干した。普通なら、ここですぐに翡翠が御代わりを窺うところだが、先ほどからの常軌を逸した話に動揺するあまり、すっかり忘れていた。
「そしたら、無いんですよ。槇久様のご遺体は、影も形もありませんでした。あったのは、壊された木棺だけ。これもよくよく調べてみると、棺の内側に爪で引掻いた跡が無数にありました。槇久様が吸血鬼として蘇ったと悟った私達は、ちょうどこの町にやって来たフィル君と協力体制をとることにしたのです」
「けど、分からないな。何で遠野槇久は、俺の命を狙っているんだ」
「それに関しましては、憶測の域を出ていませんが、槇久様は、七夜である志貴君が生きているのが許されないのだと思います」
「久我峰様、それはどういうことでしょうか?」
尋ねる翡翠の声は硬い。感情を押さえ込んでいるようだが、彼女が怒りに震えていることだけは、誰の眼にも分かった。
「槇久様は、ご家族だけは、過剰な保護欲を持った方でした。当然、秋葉様や四季様に対する執着も並々ならぬものでしたので……恐らくは、土葬を希望されたのも、ご自分の力を自覚しておられたから、吸血鬼となって、お二人を守ろうという意思があったのだと思います。だというのに、いざ蘇ってみれば、秋葉様も、四季様も……その、おられず、七夜である志貴君だけが生きていた。槇久様にしてみれば、目的を失ったことになります」
「で、その腹いせに俺の命を狙っているわけか……」
吐き捨てるように志貴は言った。
腐ってる……
俺が生きているのが許せないだと?
そういうお前は、どれだけ許せないことをしてきたか、分かっているのか?
お前は琥珀さんを陵辱した。それも、年端も行かない頃からだ。
お前は、そうやって琥珀さんを壊した。そして、復讐を歯車に生きる人形に変えてしまった。
その結果、秋葉と四季、琥珀さんは死んだ。
お前が殺したんだ。
お前は、秋葉と四季を守りたかったらしいが、殺したのはお前だ。
悪いのはお前だ。
許せないのはお前だ。
殺してやる。
あっさり、死ねると思うな。生皮を一枚ずつ剥いで、指を節ごとに切り取って……
いやいや……先に感覚器官を潰そうか。
まずは眼。人間の知覚能力は約七割を視覚に依存していると聞く。定番だが、そこを潰してやれば、さぞかし恐怖だろう。
続いては耳か、お次は鼻だな。次は……
「志貴様!!」
突然の呼び声に、志貴は我に返った。
心配そうな翡翠の顔がすぐ近くにある。
「翡翠……?」
どうして翡翠は、そんな顔をしているのだろう。
「志貴様……その……志貴様のご様子が少し変わったように思えまして、それで、お名前を呼んでも返事をなさらなかったので、その……」
翡翠は慎重に言葉を選んでいる。その様子に、志貴に対する恐怖を感じていた。
あぁ……なるほど。志貴も先程の自分がいかにおかしいことに気がついた。遠野槇久に憎悪を抱くだけでは飽き足らず、殺意が、そう、抑えようがない殺意が、急速に心を黒く侵食していっていたのだ。
翡翠の瞳には、その時の自分はどう映っていたのだろう……あのまま、彼女の呼び声がなければ、どうなっていたのか……想像するだけで恐ろしい。
「志貴様、大丈夫ですか?」
「あぁ……心配かけてごめん。もう大丈夫だから」
と、努めて笑顔を浮かべてみたが、翡翠は却って不安を感じたらしく、表情の影が濃くなっている。
「……ですが……」
「大丈夫だって、言ってるだろう!!」
翡翠の視線に耐え切れず、志貴は口調を荒げた。翡翠は躊躇ったが、やがて、『失礼しました』と、一礼して、元いた場所、志貴の後ろに戻り、姿勢を正した。
「……さっきの志貴、『赤い刃』になったときのフミヤに似てるね。しかし、女の子にそんな乱暴な言動は宜しくないよ」
フィルの言葉は、前半は独白だったが、後半は志貴に向けられたものだった。が、志貴は、前半の言葉に反応した。
「フィル。文也のことを知っているのか?」
志貴に問われ、フィルはキョトンとした。
「んっ……? 知っているさ。彼は僕の親友だからね。そういうシキは、どうしてフミヤのことを知っているんだい?」
「だって、ここにいるし……」
フィルは眼を見開いた。
それはもう、零れ落ちんばかりに。
そして、叫んだ。
「Whatーーーー!!」
それも、お国の言葉で。
この時、応接間の窓が全てギシギシと軋み、シャンデリアが大きく揺れた。
東条文也は目を覚ました。
周囲を見回すと、そこは志貴達の屋敷の、自分に宛がわれた部屋、自分ベッドで寝かされている。
文也の記憶は、ネロ・カオスが灰になった時点で途切れていた。その後、誰かが、この場合、志貴か、あの『弓』の肩書きを持つ、シエルのどちらかにここまで運ばれたのだろう。
傷の手当てもされている。それなりに深手だったが、東条文也なら、人外なスピードを以って、癒すことができる。
覚醒直後でありながら、頭はクリアで、冷静に状況を分析、把握している。
それ故に、部屋の隅で気配を殺し、空気のようにひっそりと佇む、少年の存在にも気づいていた。
「久しぶりだな、フィル。日本に来てるなら、連絡くらい寄越せ」
「そんなことしたら、君はまた首を突っ込みたがるだろ? 民間人としての自覚が君にはないんじゃないかな?」
親友同士の再会の言葉は、憎まれ口から始まった。
二人が、三栗矢市にいた頃も、こんなやり取りは何度もあった。
文也は、吸血鬼と戦うフィルの身を案じ、フィルは、無関係な人間である文也を事件に巻き込みたくないと思っていた。
文也も、フィルも、互いを心配している点では同じだが、だからこそ、二人の考えは食い違ってしまう。
「Sigh……」
しばらく口喧嘩を続けていたものの、疲れてきたのか、フィルは溜息をついた。
「できることなら、今すぐ君を、ダンボールに詰めて三栗矢市に送りたいよ」
「おい。もうこの町に死徒はいないはずだ。んなことされてたまっかよ」
「それがさ……」
フィルの眼が、スッと細まった。それで、文也も何となく察した。
「まだいるのか?」
「Yes……」
フィルは先程の、遠野槇久の話を文也に話した。
「……マジかよ……? ヴェドゴーニャだと?」
未知の化物の存在に、流石の文也も顔を引きつらせた。
「Yes……僕も初めて戦う相手だ」
「だが、俺の『命を否定する能力』なら、倒せるんじゃないのか?」
『命を否定する能力』は、命を持つものであれば、何であろうと、その存在を灰に還す。それは、ヴェドゴーニャであろうと例外ではないはずだ。
「……確かにね」
「じゃあ、俺も戦うぜ。大体、この件は志貴の命もかかってる。嫌とは言わせねえ」
「分かったよ」
フィルは頷かざるを得なかった。
文也を危険に晒したくないという気持ちは勿論ある。が、今回の敵は不確定要素があまりに多い。正体不明(アンノウン)と呼んでも支障のない者を相手にする以上、こちらは戦力を増強しておく方が得策だ。何しろ、文也は自分よりも強い。
「厄介なことになったな……」
一人呟いて、フィルは窓から外を見た。
宵が白み始めている。
もうじき、夜が明けるようだ。
後書き
何だか久しぶりの更新に、反省しきり。これからも更新大変だろうな〜 病院実習始まってるし。さて、物語も一応、折り返し、果たして卒業までに終わるのか?