FYシルクロード 中央アジア横断する古代の東西交通路。「絹の道」と訳される。Yahoo!百科事典

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西暦1世紀頃のシルクロード                                 シルクロードのテーマ曲には喜多郎さんの素敵な曲もあります。

シルクロード(Silk Road)は、中国地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹の道とも呼ばれる。現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代大航海時代以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。(Wikipedia)

シルクロードと日本                                     FYサイトリンク集

日本では、奈良の正倉院に残る数多くの中国製やペルシア製の宝物、天平時代遣唐使に随行してペルシア人が日本に来朝したことに関する記録などがある。当時の日本は唐代の東西交通路に連なっていたと認識されており、摂津国住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」飛鳥京平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。

日本では学校教育でシルクロードを取り上げてはいたが、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHK1980年に放映した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって一躍シルクロードの名は有名になった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタンイラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言っていいほど「シルクロード」という言葉が記されている。特に中央アジア(敦煌?サマルカンド)といえばシルクロード、という連想は非常に強い。

なお、日本国内においても、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子ら横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。

シルクロードの起点と終点

シルクロードを中国とローマの間の主要貿易路とするならば、その中国側起点は洛陽河南省洛陽市)(長安陝西省西安市)という説も有力ではあったが、2007年4月に中国政府は洛陽であると認定)であり、その欧州側起点はシリアアンティオキアと定義できる。この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味で理解すれば、この隊商路の主要な路線は次の3本になる。

  1. 敦煌(とんこう)からアルトゥン山脈に沿い、ホータンヤルカンドなどタクラマカン砂漠南辺のオアシスを通過してパミール高原に達する南方の交通路 (西域南道)。これが最も古い。砂漠の南を通ることから漠南路とも呼び習わす。
  2. 敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。
  3. 敦煌から楼蘭(ろうらん)を経てコルラ達する中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の紀元前2世紀にさかのぼり、最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていた。天山南路あるいは漠北路ともいう。(wikipedia)

         FYシルクロード http://www.geocities.jp/fbyyf5/silk-road2.html  山崎七宝焼教室  FY七宝ー七宝アトリエやまざ