強運?不運? 〜4・26甲子園劇場〜


 4月26日(土)甲子園。
そこは劇場と化しました。

  「野球はストーリーの無いドラマ」

うまいこと言いますね〜、まさにその通り。

 みなさんもご存知、あの6点差逆転した劇的な試合を実は、私たち夫婦は見に行っておりましたのです。
その時何があったか、どうなったか、どうしたのか。
逐一ここに記したいと思います。

 時は2003年4月26日(土)、我が大阪阪神軍の聖地甲子園。(今回は時代劇口調でいきますぞ〜)

 グリーンシートに陣取ったわれわれは、前日のポカポカ陽気に誘われ
『Tシャツの上にシャツを羽織った軽装』で出陣。(ここがポイントだ)

 我が阪神軍の前に立ちはだかるのは、広島鯉軍。
この時期が“旬”の不気味な存在である。

 我が軍先発は米国進攻の任務を果たし無事帰還した伊良部、対する鯉軍は黒田。
両右腕がうなる球で打者キリキリさせる中、先制攻撃を仕掛けたのは我が阪神軍。

 3回裏、投手伊良部の奇跡的な安打で1点、さらに若き4番浜中おさむの適時打で2点を追加。
3対0と優位にたった。

   妻曰く「3点差があれば大丈夫でしょう」

 しかし、長年阪神軍の援護してきた私と去年より援護し始めた妻には温度差があった。
そう、私は決して安心していなかったのであった。

   「3点差なんて安心できんっ!」

 さすがは20年以上阪神軍を見守ってきただけのことはある。
すぐさま4回表、あっという間に4失点。3対4と逆転である。
侮れぬぞ、広島鯉軍!?

 しかし、今年は闘将星野が2年目を迎え戦力が整った我が軍は一味違う。
5回にあっさりと同点に追いついたのであった。
(詳しい内容は忘れた…なんせこのあと色々あったので)

 ところが6回、鯉軍の隊長・前田に一撃を食らう。
4対6。あぁ伊良部無念の降板である。

 点差とともに球場を包む空気さえ、暗雲が立ち込めてくる。
この日の大坂の天候は曇り。西からの強風が肌にしみ、冷え込みが増してくる。

 7回の風船攻撃も、桧山の見送り三振で撃沈し迎えた8回表。鯉軍の一斉攻撃が始まった。
我が阪神軍が繰り出す若手投手をことごとく打ち砕き、気がつけば4対10。
二桁失点である。

 午後9時を回り、一層冷え込みが増す聖地甲子園。
そのうえ二桁失点で6点差。
席を立つ客人が多くいたのは言うまでもあるまい。

 そして、われわれ二人はというと・・・
前日のポカポカ陽気にだまされて、Tシャツの上にシャツ1枚だ。
売り子が熱燗を売ってる中、Tシャツにシャツ1枚だ。
そして6点差だ。

 結果はわかられよう。

 この回3人目の投手伊予野が投球練習をしているのを横目に、
往年のミスタータイガース掛布雅之が解説をしているのを横目に、
席を立ったのは言うまでもあるまい・・・

 この日われわれは、故郷の明石に帰ることになっておった。
阪神電車で三宮まで揺られ、明石へ向かう列車を待つホームでケータイが鳴った。

   『エエなぁ〜楽しそうですな♪』

友からのメールである。
バカにされているのである。

   何を言ってるのか全然わからぬ!
  6点差つけられたことを嫌味に言っておるのか、コノヤロ!

そう返事をすると、
すかさず友からメールである。

    『えっ!?
    今って同点に追いついて8回1死2・3塁で代打の神様八木やで。
    もしかして引き上げ中?弱っ!!』

 ・・・・・どうやらあの後、我が阪神軍が猛追したらしい。

 何ということを!
その後も友からメールが続く。

    『きた〜!
    さすが八木!!犠牲フライで逆転ですっイエイ!』

 なんということだ。
甲子園まで行って、寒中我慢して見ていた私どもは逆転劇を見れず、六甲おろしも唄えずだ。
家で酒を飲みながら見ていた友は祝杯をあげ喜んでいる。
どういうことなんだ!?

 思い返せば、10年前には新庄剛志のサヨナラホームランをこの目に収め、
昨年は浜中のサヨナラホームランをしかと受け止めたこの私。
強運の持ち主なのである。

 それなのに、そのような自分の強運をも忘れ、寒さにやられ引き上げてしまったこの日、
悔やんでも悔やみきれない(涙)

 その後、列車は朝霧に着き、ニヤニヤ笑いながら友が2人やってきた。
全くいい笑い者である。

 あぁ。きっと今年我が阪神軍が優勝を収めた暁には

   「4・26の大逆転劇、あれが今年一番の試合だった」

などと言うんであろう。
 そんな時、私どもは

   「まさに、その試合を見に行っておったぞ」

と自慢して良いのやら悲しいのやら…

 とりあえず、あの試合に行っていたと自慢はしたい。
なので、家に帰りTVでスポーツニュースをチェックし、
深夜の録画中継をビデオに撮り、
翌朝のスポーツ紙(写真)を買っておいた。

 (表紙の8回怒涛の攻撃を回顧してるのは、この苦労の成果だ)

 なんとも、強運だったのか不運だったのか。
嬉しくも悲しい観戦であった。



2003年05月01日 13時33分55秒

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