2004年10月28日(木)
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河合センセの記事
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今朝は冷え込みましたね〜。奈良の朝6時は吐く息が白いもんねぇ。思わずコートを着てきましたよ。しかし、大阪に出てきたら誰もコートなんて着ちゃいません…浮き浮きでしたわ。
まぁそんな自分が大好きですねん。なにかぁ?『季節を先取りしてる』って感じでね〜。へっへっへ。明日ぐらいはマフラーを巻いてるかも知れません。おバカですね〜〜
さて先日、新聞のコラムにですね、心理学の河合隼雄先生のコラムがありまして…この河合先生の本を最近よく読んでいるので気になって見てみました。
そのコラムは「痴呆を生き抜く」という特集の中にありました。高齢化社会になる日本で痴呆の人に対するケアを考えようという特集。その中で河合先生のコラムには、
【人は皆違う。やりたいことも、皆違う。「高齢者」とひとくくりにするのは、やめた方がよい。生きる意欲、やる気というのは「みんな一緒」を押し付けられると出てこない。人は、物ではないのだから。「老人は何もしないからだめ」なのではなく「何もせずじっとしているから素晴らしい」。「死に近いから価値がない」のではなく、「死に近いから価値がある」 「うちのおじいちゃんは、ぼけてきた」と考えず、「うちのおじいちゃんは、神に近づいてきた」と考えると、見方が変わる。「この人は、どんな物語を生きようとしているのか。その中で、私はどうかかわっていくのか」という、物語を基礎にしたケアが重要だ。高齢者のふとした行為や振る舞いに物語を読み取り、共有することで、理解は進むだろう。】
おおまかに略すと、このようなことが書いてありました。みなさんはどのように感じられますか?私はこの人の本を読んでいるというひいき目もあるのでしょうが、とても大切なことだと感じました。
高齢の方と接すると、人はともするとちょっと間違っただけで「あの人はぼけてきた」と言ったりしますよね。あれは、そう言うと楽なんだと思います。本当はそうでなくても、ぼけたことにしてしまえば、痛いところを突かれても「またぼけた事を言っちゃって」なんて逃げれるんですよね。
それが日常化すると、だんだん家族との関係が希薄になって本当に痴呆になってしまう。これからの高齢化社会で家族のケアっていうのは大事なんだと思います。
「うちのおじいちゃんは神に近づいてきた」なんて考え方はとても良いですよね。神様なんて雲上の人ですから、私たちのような凡人にはわからないこともある、きっと良いことを言ってるから聴いてみよう…聴くことで共感することができ、おじいちゃんも聴いてもらえることで、理解されたと生きる意欲になるんじゃないでしょうか。
なかなか出来ることではありませんが、ちょっとそんな意識を持って接してみたら良いのかなと思います。
いつもと違って、ちょっと“社会派”な日記になりましたね〜。特に心境の変化とかがあったわけではありませんよぉ。たまたまそ〜ゆ〜記事があったので、心に残ったことを書いてみました。
さて、ガラっと変わりまして「田中家がおすすめするこの1品」の紹介。今回は、
「風呂湯保温器“バスパ”」
です。かなりの優れものを手に入れました。どうぞ読んでみて買ってみてください!?

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